埼玉県立近代美術館で開催中の展覧会、
“メキシコへのまなざし”に行ってきました。
(注:展示室内は一部撮影可。写真撮影は、特別に許可を得ております。)
まず、本展の冒頭で紹介されていたのは、
1955年に東京国立博物館で開催された展覧会、
“メキシコ美術展”の図録と関連する資料の数々です。
日本で初めて本格的に、メキシコ美術を紹介した展覧会で、
多くの日本人、とりわけ日本の芸術家たちに大きなインパクトを与えました。
この展覧会を通じて、メキシコ美術に関心を抱いた芸術家は少なくなかったとか。
そんな伝説の展覧会では、古代メキシコ文明の美術だけでなく、
当時のメキシコを代表する現代作家の作品も紹介されていたそうで。
本展の第1章では、その出品作家たちの作品が展示されていました。
↑左から、オロスコ、リベラ、シケイロス。
メキシコ壁画運動の3巨匠が揃い踏みでした。
なお、一番右のシケイロスの《カウテモックの肖像》は、
1955年の“メキシコ美術展”の出品作だった可能性が高いそうです。
他にも第1章では、メキシコで活動した北川民次の作品も紹介されていました。
《タスコの山》に、《タスコの裸婦》に。
一瞬、タコスと空目してしまいましたが、タスコでした。
タスコは、銀の採掘で栄えた高原の街なのだそうです。
ちなみに。
その直後に展示されていたのが、リベラの版画。
タイトルは、《タコスを持つ子供》。
こっちはタコスでした。
続く第2章では、利根山光人や芥川(間所)紗織ら、
メキシコに魅了された5人の日本の美術家が紹介されています。
シュルレアリスムを日本に本格的に紹介した福沢一郎も、そのうちの一人。
実は、1955年の“メキシコ美術展”よりも前に、
日本にいち早くメキシコ文化を紹介していました。
それどころか、“メキシコ美術展”の東京開催を、
メキシコ政府へ申し入れる際の仲介を務めたのも福沢一郎。
メキシコ美術ブームの立役者の一人と言っても過言ではありません。
確かに、シュルレアリスム風の作品以降、
1950年代の彼の作品は、明らかにメキシコの影響が見て取れました。
さらに、メキシコといえば、この人も。
そう、岡本太郎です。
何を隠そう、岡本太郎は1955年の“メキシコ美術展”の実行委員の一人。
現在、渋谷駅にある巨大な壁画《明日の神話》も
もともと、メキシコのホテルを飾るために制作されたもの、
と、日本とメキシコ美術をテーマにした本展には欠かすことのできない人物です。
本展では絵画と併せて、彼がメキシコで撮影した写真も紹介されていました。
また、意外なところでは、河原温も紹介されています。
コンセプチュアル・アートの第一人者として知られる河原ですが、
作家活動の当初は、〈浴室〉シリーズという絵画を描いていました。
河原は1965年からニューヨークを拠点とし、
コンセプチュアル・アート活動を続けたわけですが。
それ以前の1959年から62年までは、メキシコに滞在していたそうです。
その頃の活動はあまり明らかになっていませんが、
おそらく、コンセプチュアル・アートに目覚める何かがあったはず。
ちなみに。
河原温といえば、メディアに一切登場しないことでもお馴染みですが。
本展で展示されている1956年に開催された4人展の案内状には・・・・・
ガッツリ顔写真が掲載されていました!
しかも、それだけでなく、当時の住所と電話番号も。
メキシコに渡る前は、逆にめっちゃオープンな人だったのですね。
メキシコで一体、彼に何があったのでしょう?!
さてさて、本展を締めくくる第3章では、
埼玉県立近代美術館のメキシコ美術コレクションが紹介されています。
これまでに同館では、1985年の“メキシコの美術”をはじめ、
メキシコ美術に関連する展覧会がたびたび開催されてきました。
その理由の一つが、埼玉県とメキシコ州が姉妹提携しているから。
そして、もう一つ大きな理由が、同館の初代館長が本間正義であったこと。
彼は、メキシコブームが下火となった1970年代も、
メキシコ美術の展覧会を開催し、その普及に努めた人物でした。
その縁もあり、同館はメキシコ美術コレクションが充実しているのだそうです。
「椅子の美術館」こと埼玉県立近代美術館は、
「メキシコ美術の美術館」でもあったのですね。
なお、そんな「メキシコ美術の美術館」は現在、
ミュージアムショップもメキシコ色が強めになっています。
豊富なラインナップの中には、「老人の仮面 木彫りキーホルダー」なるものも。
1点1点手づくりのため、どれも微妙に顔が違います。
ロン毛のマーク・パンサーみたいなのもいました。