「前衛」写真の精神: なんでもないものの変容 | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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現在、渋谷区松濤美術館で開催されているのは、

“「前衛」写真の精神: なんでもないものの変容 瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄です。

 

(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)

 

 

1930年代から40年代にかけて、シュルレアリスムの影響を受け、

全国各地で同時多発的に、空前の前衛写真ムーブメントが起こりました。

そんな日本の前衛写真が紹介される機会が、

ここ近年、国内だけでなく、国外でも増えてきました。

本展もまた、日本の前衛写真にスポットを当てるものですが。

これまでのものと一線を画しているのは、

“実は、日本の前衛写真の精神は戦後にも細々と受け継がれていた?!”、

そんな意外な真実を明らかにするところにあります。

本展で特に重要なのが、こちらの方々です。

 

会場風景

 

瀧口修造、阿部展也、大辻清司、牛腸茂雄の4人。

それぞれ今年が、生誕120年、生誕110年、

生誕100年、没後40年と、4人全員がメモリアルイヤーです。

・・・・・と、それはさておきまして。

 

日本の前衛写真を辿る上で、

まず外せないのが、美術評論家で詩人の瀧口修造。

日本にシュルレアリスムを広めた第一人者です。

 

会場風景

 

彼は、本場のシュルレアリストたちと同じく、

フランスの写真家ウジェーヌ・アジェが撮影した、

パリの街中の「なんでもない」光景の写真の数々に感銘を受けました。

そんな瀧口が1938年に設立したのが、前衛写真協会です。

彼自身は写真を撮影しませんでしたが、理論面で大きなサポートをしました。

それが大きな契機となって、先述したように、

国内で空前の前衛写真ブームが巻き起こるわけですが。

 

会場風景

 

このブームに最も納得していなかったのが、誰を隠そう、瀧口修造その人でした。

というのも、当時の日本の前衛写真は、

見た目こそ、シュルレアリスム感満載なのですが。

瀧口が考えるシュルレアリスムとは、

「日常現実のふかい襞のかげに潜んでいる美を見出すこと」。

つまり、“なんでもない”日常の光景にこそ、

シュルレアリスム的な美が潜んでいると考えていたのです。

 

そんな瀧口に若くして、その才能を認められたのが画家の阿部展也。

彼は瀧口から勧められたことで、前衛写真にも取り組むようになります。

 

製作:土屋幸夫 撮影:阿部芳文 (展也) 《夜間作業―オブジェ》 1938年 東京国立近代美術館蔵

 

 

そして、その2人の活動に触発され、

写真家を目指したのが、大辻清司です。

 

展示風景

 

本展で紹介されていた写真の中には、

演出・阿部展也、撮影・大辻清司という貴重なコラボ作品も。

 

展示風景

 

なお、本展のタイトルにある「なんでもない」は、

大辻の『アサヒカメラ』での連載「大辻清司実験室」、

その第5回のタイトルに由来しているのだそうで。

 

展示風景

 

 

それゆえ、会場では、「大辻清司実験室」が厚めに紹介されていました。

 

展示風景

 

 

また、大辻清司は長らく、渋谷区代々木上原に住んでいたそうで、

巡回展の最終会場となる渋谷区松濤美術館では、渋谷区繋がりで特別に。

大辻が自宅の近所で撮影した写真の数々が紹介されていました。

 

展示風景

 

 

場所から察するに、代々木上原駅近辺でしょうか。

今ではすっかりハイソな街の印象ですが、

この頃はまだ、庶民的な雰囲気だったのですね。

代々木上原がどこにでもあるような“なんでもない”街だったなんて。

 

さらに、大辻清司の珍しい映像作品も上映されています。

こちらもやはり近所の様子を、定点観測で撮影し続けたもの。

 

大辻清司《上原2丁目》 1973年 武蔵野美術大学 美術館・図書館蔵

 

 

ザ・昭和といった映像が、延々と映し出されるだけなのですが。

あまりに自然の光景過ぎて、しばらく観ていると、

むしろ映画のワンシーンなのでは?と錯覚してしまうほど。

『ALWAYS 三丁目の夕日』の“なんでもない”シーンを見ているかのようでした。

 

 

さてさて、展覧会のラストを締めくくるのは、牛腸茂雄。

彼は、1965年に入学した桑沢デザイン研究所で、

講師を勤めていた大辻に強く勧められ、写真の道へと進みます。

本展では、その時代の作品も多く紹介されていましたが、

学生とは思えないほど、どの写真もセンスがキレッキレでした。

 

展示風景

 

これは、大辻清司も写真の道を強く勧めるのも納得です。

その後、大辻イズムを受け継いだ牛腸は、

病で36歳で亡くなるまで「なんでもない」写真を撮り続けました。

 

牛腸茂雄《SELF AND OTHERS》 1977年 ゼラチン・シルバー・プリント 新潟県立近代美術館蔵

 

 

これまで牛腸茂雄は、日本のコンポラ写真の旗手として紹介されてきました。

コンポラ写真とは、コンテンポラリー・フォトのことで、

日常の何気ない被写体を誇張や強調をせず、あるがままに映した写真のことです。

しかし、この展覧会を通じて、

日本の前衛写真の系譜を辿った上で観てみると、

単なるコンポラ写真ではなく、確かに、前衛の精神が宿っている気がしました。

 

なかなかマニアックではありますが、

日本の写真史のある一面に光を当てた意義深い展覧会。

「なんでもない」ような写真が「なんでもなくない」ように思う。

そんな展覧会です。

星

 

 

ちなみに。

前衛写真とは全く関係ないですが。

写真作品だけだなく、当時の写真雑誌も多数展示されていたので、

個人的には、その中に掲載された広告がいろいろ気になってしまいました。

特にこちらの天然女性ホルモンの広告。

 

阿部展也 「フォト・ニュールック 前衛写真家作品集」 『週刊朝日』1949年秋季増刊号 個人蔵

 

 

その名も、オバホルモン。

現代なら、一発アウトのネーミングセンス。

前衛すぎるネーミングセンスです。

 

 

 ┃会期:2023年12月2日(土)~2024年2月4日(日) (注:会期中、展示替えあり)

 ┃前期:2023年12月2日(土)~2024年1月8日(月)  後期:2024年1月10日(水)~2月4日(日)

 ┃会場:渋谷区立松濤美術館
 ┃入館料:一般800円
 ┃休館日:月曜日(ただし、1月8日は開館)、12月29日(金)~1月3日(水)、1月9日(火)

 

 

 

 

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