「母がね、あんまり外出たくないって言ってたの。
でもね、先生のレッスン受けて、
楽しかったって言ってね、
『体が動ける時は先生のレッスンに出たいから外に出る』
なんて言うんですよ。」
その昔、
その女性はわたしの所に駆け寄って生き生きとそう話してくれた。
昨日なんと偶然に
その女性とその母親に、
道端でバッタリ再会。
女性はいつものように
高齢である母親の背中を支えて立ちながら、
「先生!!」
と呼びかけてくれました。
わたしは思わずグッと近寄りました。
おばあさんの瞳はわたしを認識するやいなや、
大きく見開き、
うるんだ様に見えました。
少し痩せ細った体から
懸命に今を生きるエネルギーを感じました。
「あの時は、本当にお世話になりました。
本当に楽しかった。
ほんとうに。。。」
何度も何度もそう言われて、
言われる度にわたしは、
自分が思ってるよりもずっとずっと
この親子の心に存在していたことを知らされた。
人生の一部分に、
確かにたいせつな何かを伝えられていたことに気付かされて、
それがおそらく、
いえ確実に、
わたしが普段たいせつにしていることであったことに。
何でもない日常が、
ただ生きることの営みが、
「生きる楽しみ」に、
確実にできること。
別れたあと、
歩きながら泣いた。
生きることは働くこと。
生きることは愛すること。
生きることは楽しむこと。
企業の研修の場で、
カウンセリングの場で、
いろんな形にして
伝え続けて行く勇気を
もらえたような気がします。