アーティスト・パフォーマーのための無料情報発信サイト[ Art For You(アート・フォー・ユー) ]

Art For You(アート・フォー・ユー)で取材したアーティストさんの情報などを公開していきます。


テーマ:
みんなの食べ物記録!
新感覚プチブログFOODRECO!
話題のお取り寄せグルメが当たる!


$アーティスト・パフォーマーのための無料情報発信サイト[ Art For You(アート・フォー・ユー) ]

アーティストのための情報発信サイト「ART FOR YOU(アート・フォー・ユー)」

最初に自己紹介をお願いします。

徳永英彰:ギターリスト 大阪府出身 ロスアンゼルス在住
カルフォルニア芸術院(カルアーツ)大学院
甲陽音楽学院 講師(神戸本校・名古屋校)2003年から2005年度まで
現在ロスアンゼルス公立高校の数学教師 
2010年8月より 神戸マリストブラザース インターナショナル校において教鞭をとる予定。

1985年に関西学院大学を1年生の夏に中退し渡米。
当初はNYに落ち着きマイケルブレッカーが所有するセヴェンス・アヴェニュー・サウスにてバスボーイとして働く。
週末のアフターアワーズにソロギターを弾く機会が与えられ、同クラブに出演していたジャコ・パストリアス等のアーチストの後座をまかされる。
1990年の結婚を機にLAに移住。当地の カルフォルニア芸術院 チャーリー・ミンガス奨学金を得て特待生で入学。在学中1995年のダンビート誌主催のコンテスト受賞を機にミディ・レコードより(ユニバーサル配給で)デビュー。
2002年度は一時帰国し 甲陽音楽学院で講師として教鞭をとる傍ら、ビーイング/ギザ社にてジャズのギターリスト兼ディレクターとして活躍する。
現在も高校での教鞭とライブ活動を二足のわらじとして活動を続けている。


ギターをはじめたきっかけは?

もともと家が音楽一家と言う事が一番の理由だったと思います。
母(ピアノ・声楽)が英才教育で、兄(ヴァイオリン)、姉(マリンバ)に先生をつけて習わせていました。
私が末っ子で兄姉とは10年近く遅れて産まれたのですが、父が内の母に「こいつには音楽はさせるな」と助言したそうです。
おそらく始めるきっかけになったのはクラシックを英才教育でやらせて貰えなかったのでかもしれません。
なのでクラシックはこちらの大学に入るまで、全くと言って良いほど触れていない状態でした。



  お若い頃に単身でアメリカにわたられましたが、アメリカで最初どのような活動をされましたか?

日本の大学を1年生で中退して来たので、なんとか他の大学に繋げてという思いで、まずNew York University (NYU)というところへ行きました。
そこで語学学校も行ったのですが、週一回ジョー・ラヴァーノという人のジャズ科のアンサンブルの授業を取らせてもらいました。
その先生はここ20年来凄く有名になった方なのでその時代にその授業が取れていた事は本当に有意義な事でした。
時を同じくして大学在学中にマイケルブレッカーが所有するセヴェンス・アヴェニュー・サウスというクラブにバスボーイ(食器を片付け)として雇ってもらいました。マイケルブレッカー、ジャコ・パストリアスの他にも多くの素晴らしいミュージシャンが出演しているクラブで、すごく安い賃金で働かせられてたと思うのですが、毎日素晴らしいライブが見れるという魅力がありました。
週末にお店に鍵をかけて常連客30人ぐらいだけが残り、闇のバーをやり始めたとき、ソロギターをやらされました。
これがNYで貰った最初の音楽の仕事でした。ジャコやマイケルの後のステージで出来た事は今でも誇りに思っています。 その後このクラブ(1986年の正月)に潰れてしまうのですが、それからストリート・ミュージシャンで生計を立て始めました。
始めはサックスの人とのDuetでやっていたのですが、そのうちSubway(地下鉄)でちゃんとエンターテイメントの免許を取って活動しているMUNY/ミューニという団体に所属しているバンドに誘われて、生計が立てれるようになりました。


アーティスト活動の中で一番辛かったことは?

アーティスト活動の中で一番辛かったことは?
ブッキングが重なって入った時には、基本的にできないお仕事の方に、自分より経験を積んでいる人や知名度が上の人を送るようにしているのですが、次の仕事の機会にその人達に自分のスポットを奪われてしまう事もあるんです。
自分も同じような事をやって来て今があると思っているので自業自得なのですが。
それにその方法でしか生き残っていけない世界かも知れませんので、辛いなんて言ってられないんですが、やっぱりそれをやられた時点では本当に辛い事です。


アーティスト活動を通して一番感動した出来事は?

セヴェンス・アヴェニュー・サウスでソロギターを弾いていたとき、メインのセットで出演していたベーシストのジャコ・パストリアスが「俺の曲で出来る曲はあるか?」って再度ステージにあがって来ました。
"Three Views of a Secret"(彼の曲)っていったら一緒にやってくれました。ちゃんと今でも録音を持っています。奇跡的にうまく弾けました。その日からジャコは凄く優しく接してくれるようになりました。
当時私は19歳だったので、テクニックや難解なコードを重視していた演奏だったと思います。
後日ジャコが得意とする、チャーリー・パーカーの"Donna Lee"を猛スピードでやろうとした日もあったのですが、その時もちゃっかりジャコがいて、緊張してあまりよく出来なかったんです。
その時ジャコが楽屋に呼んでくれて、変な質問をしてくるんです? 「お前ビートルズ知ってるか? ジミヘンドリクス知ってるか?、、。知っていたら、ちょっと弾いてみろ。」って、その時ちゃんとジャズのアレンジが施された ビートルズの "Here There and Everywhere"という曲をやったら、ジャコは「おう、それは良い曲だけど、俺の言っているビートルズはこのRock'n Rollのだよ。」っていって私のギターを取り上げて歌い始めました。
ジャコのガールフレンドのテリーという女性が楽屋に閉じこもっている私たちに何度もノックして、「もう夜は明けてるわよー!」ってジャコを呼びにくるんですが、ジャコはまったく気にせずに私にアドバイスをし続けてくれたんです。
テリーが本当に怒って楽屋に入って来た時にジャコが「分かった、最後にもう1曲だけで帰るから。」って言って、 私がうまく弾けなかったDonna Leeを私のギターで弾いていって去っていってくれたのです。
それが一番感動する出来事だったんですが、この続きがあって長くなります。下の尊敬するアーチストとだぶっているのでそちらに書きますね。 



ギターをやめたいと思った事はありますか?


私にとってギターを弾く事は睡眠や食事や入浴とかいったような生活の一部なので辞めるって言うのは肉体的に無理にならない限り考えにくいです。
どんな生活のスタイルになっても練習時間の確保やライブの仕事を優先すると言う事での困難はあるのですが、それが辞めると言う事につながった事は一度も有りませんし、もし今後サラリーマンや公務員になれるチャンスがあったとしても、大金持ちまたは本当に貧困な状態になっても、辞めずに平行して続けていく事でしょう。


尊敬するアーティストと良ければ、その理由をお聞かせください。


(感動した時の続きなんですが)セヴェンス・アヴェニュー・サウスが潰れてあのジャコ・パストリアスがホームレスになってしまいました。
NYのビレッジにあるバスケットボール・コートでよく見かけるようになったのです。
私が初めてアメリカ人の女性とデートした日(今の奥さんと付き合い始める前)、偶然近くの場所を通りかかってしまってジャコをちょっと離れた所から見つけてしまったのです。彼女に「信じられないかも知れないけど、あそこにいるホームレスの人は世界一のベースプレーヤーなんだよ。」といったら、彼女が「あなたの知っている人なの?」って聞いてくるんです。
「知っているよ。」と答えると、「じゃー挨拶に行こう!」って言い出すんです。
恐る恐る近づいていくと、ジャコの方が私を見つけて「おー今からギターを持って来るから、ここで(道)で弾け」って言うんです。
彼はホームレスだったのでどっからギターを持って来るのかなーと思っていました。ジャコはそこに私と彼女と何人かの見慣れない人々をそこに残して去っていったのです。
後に分かったのですが、その見慣れない人々はジャコの親戚の人でした。
5分待ってもジャコは帰ってこなかったので、私は彼女に「サブウェイまで送っていくよ。」といったら、彼女も「ジャコがギター持って来るって言ったでしょ?」って去ろうとしないんです。
そうこうしているうちに本当にギターをもって戻って来たのです。
もちろん第一声は「"Donna Lee"やってみろ!」だったんですが、、。
次にエロル・ガーナという人が書いた有名な"Misty"というバラードがあってそれを弾いてくれって言われたんです。
もちろんそのリクエストにお答えして弾くと、ジャコが私に背を向けて上を向いていたのを覚えています。
なんかその場の雰囲気がおかしかったので、「ちょっと彼女をサブウェイまで送って来る。10分でもどるから。」といい残してその場を去りました。
この日は偶然にも親族がジャコを宥めて精神病院に行く強攻策がとられ、救急隊と警官隊が来た日でした。
10分後にその場に戻ると、警官隊がジャコを取り囲み手錠がはめられていたのです。
私は何かの勘違いと思い、慌てふためいたのですが、収容されていく方向がパトカーでなく救急車だったので安心しました。

それから1年位たってジャコは35歳の若さでフロリダ州のフォート・ローダデールという町で他界されました。
その時にバスと飛行機を乗り継いでフォート・ローダデールの彼のお葬式に参列したのですが、親族の入場の時になんとなく見覚えのある女性が私に微笑みかけてくれました。
その方はジャコの未亡人のイングリッドさんでした。後日プロデューサーの友人から電話があり、道で弾いたMistyの話を詳しく知っていて、そんな事があったのかって聞いてくるんです。
バスケットボールコートで何人かの見慣れない人々にイングリッド夫人がいたのでした。
あの時にジャコが私に背を向けて上を向いていた行動が、感極まって涙を流した行動だったという事をしりました。
おそらく精神病院に連行される強攻策を彼が知っていたのかも知れませんが、私が尊敬するミュージシャンが多い中で、私のギターに涙してくれたのは現在の所ジャコだけのようです。


これからの目標等ありましたらお聞かせください。

上記のようにジャコが私に与えた影響っていうのは、多大な物でした。
今回はジャコの話で終わってしまいそうですが、5年に一人位の割合でこういう人に出会います。
その出会いを大切にして、機会があればその人と録音させてもらって作品として残していけたらと思っています。 


徳永さんの演奏動画はアーティストのための情報発信サイト「ART FOR YOU(アート・フォー・ユー)」

にて!


ーーーー

徳永英彰さんのファンになって応援したい方、直接出演交渉をされたい方は
会員になって徳永さんを「気になるアーティスト」に追加しましょう!!

会員登録はこちらから


徳永さんの今後の動向が気になる方、徳永さんの最新情報は「徳永英彰プロフィールページ」よりご確認いただけます。 

「徳永英彰プロフィールページ」



AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

art4youさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。