7月上旬、2泊3日の東北のツアーに参加する。

十和田湖•奥入瀬渓流、角館•男鹿半島のなまはげを観光。

ツアー参加者は30名。1人参加は12名。

添乗員はやや年配で話し方が丁寧でソフトなベテラン男性。


新幹線の隣の席はアメリカから一時帰国している若い母娘だった。アメリカの物価や医療費の高さ、大谷選手の話、法人税が高くてカリフォルニアからトヨタが撤退して移ったとか。

たわいない話をしているうちに北上駅に到着。


バスで武家屋敷が残る角館(かくのだて)へ。


角館(かくのだて)仙台市


 武家屋敷通り


集合時間まで渡された地図を見て、好きな武家屋敷を自由に見学した。





⚫️ 岩橋家(県指定史跡)中級武士家屋 75石





 岩橋家(県指定史跡)角館

岩橋家は芦名家の重臣で、禄高は75石。芦名氏断絶後角館支配となった佐竹北家に召抱えられその後廃藩になるまで仕えました。

この屋敷は江戸時代の末期に改造、屋根の萱葺もさらにその後の改造で現在のように変わりました。角館の中級武士の家屋として間取りなど典型的な形を残しています。(仙台市公式サイト)


⚫️旧松本家(県指定有形文化財)下級武士家屋




 

   旧松本家(県指定有形文化財)

松本家は佐竹氏の重臣今宮家の組下で、芦名家臣団とは別に田町菅沢に住居を構えていました。芦名氏断絶後、佐竹北家の組下となり現在地の小人町に移り今に至ります。

小人町は、足軽、中間などが住んでいた所で、松本家も軽輩でしたが、郷校弘道書院の教授を勤め「烏帽子於也」の著者として知られる須藤半五郎を出した向学の家です。建築年代は幕末の頃と推定され、離れの寝室も遺されています。(仙台市公式サイト)


⚫️ 旧青柳家(県指定史跡)上級武士の家屋


 ↑「天正八年(1580年)、常陸国青柳和泉守より続く角館を代表する武家屋敷です。三千坪の屋敷には植物園のように草木に覆われ、その中には六つの資料館、武器蔵、解体新書記念館、秋田郷土館、武家道具館、ハイカラ館、体験ツアーなどがございます。

万延元年(1860年)の薬医門からご入場され、安永二年(1773 年)建造の母屋を通ってごゆるりと散策ください」


と書かれてありました。
上級武士しか建造を許されない拡張高い薬医門から入りました↓(入場料500円)



「薬医門」

藩への功績が認められ特別に許された青柳家の薬医門。門はその家の位や威信を表すとされていた当時、上級武士しか許されない重厚で拡張高い造りは、青柳家の誇りでした。(パンフより)



 母屋(1773年建造)



秋田県第一号ポンプ車(明治後期活躍)


人をのせて人力で運ぶ駕籠(かご)

近くで見学していた女性と一緒にかついでみました。ずしっと重かったです。人がのっていたら、どれだけ重いのでしょう。(体験自由)



ハイカラ館(アンティークミュージアム)






『解体新書』の挿絵を描いた小田野直武が角館出身で、「解体新書記念館」に資料が展示されてありました。

刀や兜、アンティークのカメラやレコード、蓄音機と、見応えがありました。


こんなに広かったです↓




この広い屋敷の中で、主君、家臣や家族がどんな暮らしをしていたのだろう? 

ふっとそんなことを想像したら、自分が時の傍観者であり、そんな自分もまた時の中に飲み込まれていく不思議な感覚になりました。


今回は時間的に3箇所の武家屋敷しか見学できなかったので、またいつか角館を訪れて他の武家屋敷もゆっくり見学できたらと思いました。


詳しくは公式サイトにて↓



2日目観光(入道崎、真山神社、伝承館•なまはげ館)は次に続く