ここまで読んできた読者は困惑されたことと思う。一方では、企業は会社に長い間尽くしてきた社員も、あっさり切り捨てることを数多くの証拠が示している。

この点では、大学スポーツも同じで長く活躍した選手でもさっさと見限ってしまう。しかし他方では、持ちつ持たれつという言葉がある。恩を仇で返してはいけないとも言われている。これはどんな社会でも普遍の行動規範だ。持ちつ持たれつの精神こそが、人々の協力を確かなものにするのであり、学者の中には、人類はこの精神を無意識のうちに受け入れて行動してきたから、進歩したのだと言う人もいる。この精神はどこへ行ってしまったのか


実際にはごく単純なことである。人間は個人と個人の関係では、音を仇で返すような事はしないが、会社を始めとする組織の場では、恩に報いる気持ちが薄れ、それが行動に現れると言うことだ。

ピーターベルミと私は、このことを確かめる1連の実験を行った。そのうち2つでは組織または個人的な関係において、こちらから頼んでいないのに、誰かが親切をしてくれたと言う設定にした。そして実験参加者がその親切にどのように恩義を感じたかを回答してもらった。

第一の実験は、誰かがディナーに招待してくれ、勘定を払ってくれたと言う設定。第二の実験は旅行から帰ってきたとき、空港に迎えに来てくれ、自宅または会社に送り届けてくれたと言う設定である。どちらの場合にも個人的な友人にそうしたもらったときには、次の機会にお返ししなければと感じるが、所属する組織の上司や同僚でもあればそう思わないと言う結果が出た。もちろんこれは実験であり、家庭のシナリオに過ぎない。次の実験では、実験参加者に高価な商品の当たるくじ引き券を配り、親切な申し出をしてくれた。相手にそのくじ引き券を渡してもらうことにした。すると、組織での親切に対して渡す。券の枚数は個人的な親切に対して渡す枚数よりかなり少なくなかったのである。

このように組織における人間関係では恩に報いる気持ちが薄れる傾向にある。さらにもう一つの実験ではある仕事に対して予想していたより多くの報酬をもらった場合、感謝の意味を込めて、おまけでもう少し仕事をしてあげるかどうかを尋ねた。この場合にもまた個人的な関係ではもうひとがんばりするが、組織ではしないと答えた人が多かった。このように個人的な関係と組織の場では恩義を感じる度合いにかなりの差がある。職場ではオンに向いることが少なく、暗黙の約束が簡単に破られるのは、このことで説明できるだろうそもそももち持たれの原則は、他人から受けた親切や行為に対する同意的義務について述べたものである。だが、以前に社会心理学者のロバート、チャルディーニが語っていた通り、雇用関係にそうした同意的義務があるかどうかは大いに疑問だ。なるほど社員は会社のために熱心に働き、長い年月を会社の繁栄のために捧げるかもしれない。だが、会社はそうした勤労と努力に対して報酬を払っている。となれば、会社としては社員に恩義を感じる言われればなかろう。これはあくまで労働とお金の交換に過ぎないことになる。自由な競争市場とされている。労働市場においては、野党側にも雇われる側にも建前上は選択肢がある。だから、雇用関係が成立するときは、双方がフェアな取引だと認めたときのはずだ。に帰れば、これはフェアな交換であり、一方が他方に対して、道義的義務を感じるべきものではないさらに企業を始めとする組織の場合には、将来的な配慮が優先されるため、人間関係が打算的になり、収益性や有用性が重んじられ取引関係により近くなる。友人、知人や隣近所のお付き合いといった関係では、お互いに公平に相手は使い親切にしてもらったら、こちらも親切にすると言うのが普通である。だが、職場などでは、この人は将来役に立つか、自分にとって有益かといったことに基づいて相手を判断しがちだ。そこで過去の検診より将来の貢献度に注意を払うことになる。以上の点は、日ごろ大方の人が感じていることを裏付けるものと言えるだろう。そのまで職場と言うのは計算高く、利益優先で同意心とは無縁であり、さらに言えば通常の行動規範にさえ縛られないと言うことである。要するにあなたが将来役に立つとみなされている間は、会社はあなたを厚遇する。だが、この先もうあまり役に立ちそうもないと、判断した瞬間に、あなたの過去の貢献を無視されるのである。