出来ないことが優しさを作る | asobeの音

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書きたくなったら書く。気が付いたことを、徒然と書いていきます。

そういえばーで、昔から、すごい「焦り癖」ってあって、それって、チャンスがないとか、どうとかっていうより「次の機会があったとしても、できなくなってるかもしれない」というのはある。

 

手が動かなくなるかもしれない。耳が聞こえなくなるかもしれない、目が見えなくなるかもしれない。外にほとんど出られなくなるかもしれない。とか、まあ、色々と。

 

で、そういうので、できるうちにやりたい。で、やってた時って、自分にもたぶん、他人にもすごい厳しかった。優しくない世界。ただ、できることややれること、そして、出会える人は、その世界を通過したり、途中じゃないと会えない人もいたりするから、その流れが大事だったりもするけど。

 

で、今、じわじわできないことが増えていくフェーズになってるわけだけど、ちゃんと助けてもらう事と、そして、できないことのしんどさがわかるからこそ、助けてあげたいなと思う事とで、ペースが落ちたら、優しさは増えて来たかなあっと。

 

自分自身の保全とか、生きる事でいえば、「優しい世界でないと生きられないよ」というのは、確かにあるなあっと。厳しい世界、ぶっちゃけ、命削って、カウントダウンなんてしょっちゅうだった。

優しい世界に設定してみて、カウントダウンがないわけじゃないけど、周りを見る余裕が少しできたかなと。

 

できない人をできないからと切り捨てる世界ではなく、できない人も受け入れられる余裕があればいいよね。

 

ただ、ま、根本的に、それは向いてないし、あなたのやりたいことじゃないよね。という場合は「厳しい人」とか「なんかあれな人」を引き寄せがちではあるけど。しんどくなる状態っていうのは「あなた、そこから抜けていいのよ」というサインだったりねー。

 

厳しかったあの人が余裕みて、流れの中の色々を見ていたら、実は優しかったというか、もしかしたら、あのままいた自分のもう一つの世界だったのかもしれないな。で、それはいいか悪いかでいうと、それは嫌だったのかもしれない。

で、あー、これ、厳しくしちゃってたけど過去の私じゃんってこともあったからねーうん。