おはようございます~わちけいこです
今日は前回の記事ガンバル菌が…に付いたコメントからのご紹介です


「わちさんは、人はなんで生を受けたと思いますか?
 私は、人格を高めるための修行が人生なんだと思っていて。
 苦労すればするほど、高みに行けると思っています。
 辛くても逃げずに頑張れば、もっと成長できるはずって。
 今の私はほんとにやりたいことをやれてないのか。
 やりたいことならきっと頑張っても辛くないはず。
 頑張らなくていいって、逃げてもいいってことなんでしょうか?
 私も昔から分単位でスケジュールを組んでました(苦笑)」

お答えします

私は、今回の人生で
「自分の(いいとこもわるいとこも)すべてを受け入れ愛すること」
を学ぶために生まれてきたと思っています^^

好きなことに一所懸命なることは、楽しいことですよね
私が言ったガンバルという意味は、完璧になろうと頑張るという意味でした
苦行は悟りと関係ないとお釈迦様は、おっしゃったような気がします・・・

苦労すれば人の痛みがわかる人間になれると私も思いますが、
人には、限界というものがあるとも思っています^^

私も昔は、限界だなんて、そんな弱音を吐いてはいけないと思っていました
とにかく1ミリでも1センチでも前に進むことが、
最善だと歯を食いしばってガンバっていたことがあります

今でもなかなか自分のガンバリ過ぎに気付けません
私は毎日カードを引くのですが、
最近は「もっと自分自身に柔軟になって…」みたいなカードばかり引いていました
でも、その時は、ナンノコッチャー、さっぱりワカランと思っていたのです
カードは、またいつものガンバリ癖が出てますよと教えてくれていたのです

自分には、まだ足りないものがあると考え、頑張ると
足りないものばかり目に付いて
焦ってばかりです
空回りや肩すかしに会う羽目になるのです

疲れ果てても、限界を感じてもまだガンバロウとする時
たぶん、心や体に変調をきたすでしょう
それでもガンバルことはできますが
次は、病気になって強制的にガンバルことをやめさせられるか
死をもって自分自身でピリオドを打つことになります

ですから、自分に限界があることを知っておかなくてはいけないのです
限界を感じることは決して逃げているのではありません
逆に限界を無視する方が逃げていると言えるでしょう

ギブアップしてもいいのです
これ以上できないと日々の生活の中で自分の限界を知ることは
心と体の健康のために必要なことです
私たちは自分が思っているよりいつも限界ギリギリで特に心を酷使しています
私たちは自分が思っているよりいつも自分を責めています
もっと頑張らなくては………と


いつもみなさんのコメント楽しみにしています
どうぞ率直にご質問ください~
あれー??って思ったらどしどしコメントしちゃってください

今日も質問してくださってありがとうございます(^_^)
高みを目指すということは、素晴らしい志です
     
                同志より