させて頂いているという気持ちってやっぱり大事だなとここ数日改めて感じております。
ストーリーズに呟いたときは、自分自身を戒めていると書いたけれど、
戒めたという表現より、改めてそう思い至ったというのか、思い直したという表現の方がしっくりきます。
わたしは自分自身が身体があまり強くなく体力ないので、疲れ果てるとどうしても小さなモヤモヤというか、
モヤモヤというほどでもないのだけれど、だけど塵みたいなものが心にやっぱり少し積もることもあります。
「頑張ってるんやけどなぁ。。」という自分がちょいちょい顔を出して、それが面倒だったのです。
なんやねん「頑張ってるんやけどなぁ。。」って。
誰かに認めてほしいんか、と、ずっと心の中で対話してました。
これはただの自分自身の心の捉え方であるというのはもう頭では理解しており、
だけど、それがまだ塵のように捉えられるということは、私の心に何かがあるということで。
これは真摯に受け止めなければならない。
最近は、なんでも飄々とこなしているように見られることも増えてきましたが、全然そんなことない、
毎日必死に走っていて、課題だってたくさんあります。
心で抱えきれなくなるような重さを、毎日朝起きてから寝るまでに何度立て直しているかわからないのに。
それを疲れ果てた心と身体の中で何ヶ月か俯瞰していたのだけれど、
ある日、ふと、
させてもらってるっていう気持ちを、もう一度考え直さないと、と、改めて思い直せた瞬間がやってきたのです。
なんかいっぱいいっぱいの自分を自分で大きくしてしまっているなと思ったのです。
これは、あかんやつや。
何も良いものを生み出さない方向のやつや、と思いなおし、
そうしたら疲れ果てて犠牲的になりかけている自分を受け止められました。
それからは、疲れ果てていてもちょっと違う感覚になっています。
またひとつ大きくなれたような気がします。
今年はそういう自分にとっての割と今までしつこくまとわりついていた自分自身の壁(課題)をこのことを含めて二つ越えられた感が実はあって、
このふたつを超えられたことは自分にとってかなり大きな成果だったように思います。
もうひとつのこともまた改めて書いてみたいと思っていますが、
自分自身の壁はいつだって、限界近くにならないと本気で向き合うこともできないし、向き合うことができなければ超えることだっていつまでもできないことは明白で。
小さなものはいくつも超えられるようにはなったけど、それで出来た風になっていてもなんの意味もないことも自分でよくわかっています。
なんかうまく書けていないけど、、
この犠牲的な自分を超えられるというのは、
私にとっては本当に大きな気づきだったんです。
今年は私自身にとっても、自分の本当の意味での成長として、大きな成果を得た年になったなぁと思いました。
単純に、嬉しいです。
こういうのってお金では買えないし、
都合よく手に入るものじゃない。
自分自身が手に入れることができたときに本当に悦びとして感じられます。。
でも、まだまだやっぱり未熟で。
まだまだ向き合って超えていかなければならない自分もあるけれど。
大切なことを、大きなミスを犯す前に今回は気付けたような気がします
それも嬉しい。
今まではまぁまぁ大きなミスとして現実に現れてから、矯正してきた感が強いので笑
相変わらずヘトヘトで、倒れそうになるときが本当にあるのだけれど、
こういうことを書くと心配してくださる方がいるので書かない方がいいのかもしれないけれど、
でも、これがわたしの体力の実情なので、そのまま出していこうって思っています。
だけど、心はそれに呑まれてはいないから、心はとても健全な場所にありすので、心配かけてしまうかもだけど、大丈夫ですので安心してください⭐︎
いつも気にかけてくださる方のためにも、体力作りもしないとですね。
がんばります!