ブラアラキ~館山編~ | 血塗ラレタ日記

血塗ラレタ日記

阪神タイガース、ブラアラキ、メタル、たまにオタク

この前年が明けたと思たら、早いものでもう2月になりまして

 

 

土曜の昨日はブラアラキ

 

諸々乗り換え、神奈川県横浜市鶴見区に入り

鶴見線浅野駅で下車

 
鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道の設立者、浅野総一郎に因んで名付けられた駅
 
駅チカのレンタカーで出発!
 
 
首都高速から約20年ぶりに東京湾アクアラインを走り

海ほたるパーキングエリア

 

川崎側のトンネルを掘る為の立坑跡に建築

 

木更津側

 

川崎側
 

横浜方面

 

南房総方面

 

千葉市方面

 

東京方面

 
 
千葉県木更津市に上陸し、館山自動車道に入り
 
出発地から約98km、千葉県のほぼ南端へ
 
最初に到着したのは

安房神社

 
所在地:千葉県館山市大神宮
創建:伝・神武天皇元年
 
安房国一之宮
 
現在の徳島県である阿波国からこの地にやって来て開拓した忌部氏、またはその祖先である天富命が創建した、という言い伝えで
 
旧国名「安房」は「阿波」が由来
 
祭神は天太玉命で、前述の天富命は天太玉命の孫
 
因みにこれで関八州一之宮を制覇(・∀・>)
 

一之鳥居と社号標

 

社号標の筆は元帥海軍大将東郷平八郎
 

一之鳥居を内側から

 

真っ白で立派ね

 

参道

 

小石が厚めに敷かれていて歩きづらかったw

 

参道から望む一之鳥居方面(北側)

 

参道途中の御手洗池

 

池の周りには桜木が植えられており

1本だけ早くも咲いてた!
 
最初、梅かと思ったw

 

館山暖かいのよ(ノ^^)ノ

 

 

参道を進み

二段上がった所に二之鳥居

 
こちらも真っ白

 

 

二之鳥居の先の境内
 
 
一之鳥居から参道を真っ直ぐ来て、ここで右折すると
東向きに建てられた社殿
 
拝殿
 


拝殿は1977年造営の神明造(コンクリート製)
 
本殿
 

本殿も神明造
 
屋根は拝殿とは違い檜皮葺
 
社殿隣の神饌所
 
神饌所とは神様に飲食物を供える場所
 
右に拝殿、左奥に本殿
 
 
社殿の裏は崖になっており
神社が吾谷山の山麓に鎮座してるのが分かる
 

境内周りの海食洞窟
 
縄文土器や装飾品や人骨が発見されており、古代からこの地で人が生活を営んでいた事が分かる
 
 
社殿の右側には

摂社に値する「下の宮」
 
祭神は天富命
 
この「下の宮」に対し、前述の社殿は「上の宮」と呼ばれ
 
伊勢神宮の内宮・外宮に倣ったという説
 

拝殿
 


本殿
 
この下の宮は717年の創祀
 
 
次に安房神社から約3.8km
洲宮神社
 
所在地:千葉県館山市洲宮
創建:伝・神武天皇元年
 
祭神は、安房神社の祭神・天太玉命の后である天比理乃咩命
 
社号標
 

鳥居
 
安房神社と同じく真っ白
 
高台の上に社殿
 

拝殿
 


こちらの拝殿も神明造
 

本殿も神明造
 
 
次に洲宮神社から約10km
洲崎神社
 
所在地:千葉県館山市洲崎
創建:伝・神武天皇年間
 
こちらの祭神もさっきの洲宮神社と同じく安房神社祭神の后である天比理乃咩命
 
この天比理乃咩命は元の名を「洲ノ神」と称し

洲崎神社が「洲ノ神」を祀る一宮、洲宮神社が二宮とされ
 
二社一体になったという説
 
もう一基の新しい社号標
 
前述の説が転じて江戸時代には当社が安房国一之宮になったこともw
 
 
境内には入らず、ひとまず海岸の方へ
少し進むと、鳥居と海が見えて来た!
 
洲崎神社の浜鳥居(一之鳥居)
 
海側から見た浜鳥居
 
向こうの山の中腹に洲崎神社が鎮座
 
鳥居の先に広がる海岸
 
方角的には相模湾方面かな?
 

浜辺にも鳥居が建てられており、その前には神石が置かれておる
 
隆起した後、波によって侵食され平になった、と素人が推測する海岸←
 
遠くにうっすら見えるのは伊豆大島
 
 
神社境内の方へ戻り

鳥居の奥に急な石段の参道
 
そして山の中腹に見える社殿
 
エグいw


二之鳥居
 
随神門
 
そしてその先の長くて急な階段に圧倒される
 
随神門は江戸前期の造営
 
門を潜り例の階段へ
150段!
 
まぁ、先月行った鹽竈神社の202段に比べれば余裕よ←
 
階段の途中から望む随神門と鳥居
 

階段を昇りきった場所から
 
眼下に見える海!最高の眺め(ノ^^)ノ
 
 
昇りきった目の前に
拝殿
 


質素な木造と銅板屋根
 

本殿
 
本殿は江戸前期1673~1681年間の造営
 
ソテツ(蘇鉄)が植えられており、南房総っぽいね
 
境内にも

ソテツがあり、南国ムードを演出しておる
 
こんな雰囲気の神社は初めてw
 
宮崎の方にはこういう神社あるのかもね
 
 
その後、次の現場へ向かう途中
 
洲崎神社から約1kmあたりを走っていると
洲埼灯台が見えた
 
車で走っている途中に見覚えのあるカーブとバス停があり
 
「この辺、前に来たことある気がするなぁ」と思っていたら
 
この灯台が見えてきて・・・
13年前の記事、良かったら見て下さいなw
 
 
そして洲崎神社から約11.5km
「とやま食堂」さんで昼飯
 
店内には
出川哲朗さんのサイン
 
こちらのお店に充電に来られてましたw
 

刺身と白身魚のフライ定食
 
新鮮なお刺身とふわっふわの白身魚フライ、うまうまでした(〃∇〃)
 
 
昼食後、お店から約1.5km
鶴谷八幡宮
 
所在地:千葉県館山市八幡
創建:平安時代初期
 
安房国の八幡総社
 
元は「安西八幡宮」と称し、1976年の本殿改修の際に今の社号に改称
 
里見氏や徳川幕府から崇敬を受けた神社
 
社号標
 
一之鳥居
 
大きくて立派!
 
参道
 
めっちゃ広くて真っ直ぐに長く伸びて綺麗ね
 
右側は駐車場になっておる
 
参道を進むと見えてくる二之鳥居
 
二之鳥居
 
一之鳥居との距離は約140m
 
参道はまだまだ続き
 
ようやく見えてきた社殿
 
一之鳥居から本当に一直線!
 
気持ち良い!
 
拝殿
 

拝殿は関東大震災で倒壊後1932年に再建されたもの
 
拝殿天井の龍の彫刻が凄い!
 
本殿
 


本殿は1721年の造営
 
 
次に神社から約4.5km
崖の途中に建つお堂が見えて来た
 
そんな訳で
船形山普門院大福寺
 
所在地:千葉県館山市船形
創建:伝717年
宗派:天台宗→真言宗智山派
 
奈良時代の僧、行基がこの山の岩肌に観音像を刻んだことがはじまり
 
その後、平安時代に円仁(慈覚大師)が観音堂を建立
 
社号標
 
 
さっき見えた様に、この寺院の見処は

この崖の途中に建つ観音堂
 
ゆえに「崖観音」と称される
 
上の写真は寺院前の駐車場から写したもの
 
 
とりま境内へ
本堂
 
こちらもソテツがたくさん生えて南国の雰囲気(ノ^^)ノ
 

本堂越しに見る崖観音堂
 
いや、凄いわ!
 
 
境内の左側から、いざ崖観音堂へ

圧巻!!
 
こんな所によく建てはったわよ
 
 
登る途中にはいろいろあって
これは穴を彫って仏像を安置したのかな?
 
不動堂
 

何の岩かは分からないけど、見事な地層!
 
砂岩泥岩互層かな?(適当)


崖のもっと上にも仏像が立っておるね
 
そんなこんなで
やっと観音堂の真下まで来た
 
この様に崖などの高低差が大きい場所に、長い柱などで床下を固定してその上に建物を建てる建築様式を「懸造り」と言うそうよ
 




圧巻!!(2回目)
 
 
そして観音堂の中へ

因みに拝観料は無料です
 
で、中に入ると凄い!

天井の絵がめっちゃ綺麗(ノ^^)ノ
 
 
そして、ここからの眺めが最高!
館山湾を一望!
 

もっと天気が良かったらねぇ
 
 
次に寺院から約47.5km
 
富津市に入り、最後に訪れたのは
富津岬の先端
 
地図で見ると、木更津のちょい下に東京湾にとんがって突き出ている場所
 
南からの風と関東平野からの風により砂が三角状に集まってできた岬
 
この展望台(明治百年記念展望塔)は「ブラタモリ-東京湾編-」でタモさんが訪れた場所!
 

こちらは岬の根本方面
 
左が南房総、右が三浦半島
 
つまり東京湾の入口
 
横須賀方面
 

千葉方面
 
対岸に見えるのは富津火力発電所
 

こちらも横須賀方面
 
小さい島の様に見えるのは第一海堡
 
その左にもっと小さく見えるのが第二海堡
 
「海堡」とは、海上に人工的に造成した島に砲台を配置した軍事要塞
 
明治~大正期に建設され、第一海堡は1914年、第二海堡は1821年の完成
 
この写真には写っていないけど、第二海堡の南側に第三海堡もあるよ
 
因みに第一海堡は財務省の所管、第二・第三海堡は国交省の所管で
 
第一・第二海堡は富津市に属し、第三海堡は横須賀市に属しておる
 
 
第三海堡に建てられた建築物は横須賀市内に移転され、過去に見に行ったことがあるで
 
第一海堡は土砂の堆積と関東大地震による隆起で岬と地続きになっていた時期があったそうなw
 
現在は上陸禁止で「歩いて渡るのは危険なので止めて下さい」みたいな看板があったけど・・・
 
いやいやいや、今は無理でしょww
 
第二海堡のみ、上陸ツアーに申し込めば民間人でも上陸可能
 
ブラタモリではタモさんが無事に上陸されはりました(・∀・>)
 
 
そんなこんなで長くなったけど、館山の旅終了
 
今回の御朱印