短編小説「ラストグッバイ」 3~催眠~ | 有沢祐輔の「空虚ノスタルジア」

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「寄り道せずに真っ直ぐ帰ってきなさい」と母さんからメールが入り、僕は「ついに今日か」と授業が終わったばかりの教室でありったけの溜息を吐いた。まだ始業式から二日しか経っておらず新しいクラスにも全く馴染んでいないってのにこの不意打ちは血も涙もない鬼の所業だ。しかし、今の成績じゃ至って平凡な志望校に届かないことは僕自身がよく分かっている。だから素直に従うしかなかった。

 

「いいなぁ、俺ん家なんか家庭教師どころか塾だって無理だ」

「けど男だろ?女の家庭教師だったら天国なのにな」

「保健の授業お願いしまーす、みたいな」

「むしろそれだけでいい」

「裕哉、その先生と仲良くなってさ、知り合いの女子大学とか紹介してもらえよ。そしたら俺らにもコンパのお誘いとかかかるかも」

 

帰り道、入江たちのくだらないバカ騒ぎに僕は一人、顔をしかめた。だけど、人目も憚らずエロトークへ突入するコイツらより成績が悪い。その屈辱的な事実を前に何も言い返す気にはならなかった。勉強だけがすべてじゃないとかほざく大人も多いけど、学生は成績がすべてだ。大学入試に人間性を計る試験でも導入されない限りは。

 

 

「こんにちは。今日から家庭教師を務める柚木翔です。よろしくお願いします」

 

玄関のドアを開けた瞬間から違和感を覚えた。ミント系の香りが鼻を擽り、やけに空気が綺麗だ。散らばり放題の靴は全部シューズボックスに収納され、コンバースのスニーカーだけがポツンと並ぶ。見栄っ張り…と溜息を付きながら笑い声の漏れるリビングへ向かった。しかし、先生を一目見た途端、僕の吐息は止んだ。稲妻のような光が全身に走り、一切の動きを麻痺させたのだ。涼しげな顔で微笑む長身の男、他の景色などピントが狂ったみたいに霞んだ。

 

「裕哉、ちゃんとご挨拶しなさい」

「…よろしくお願いします」

 

ワントーン高めのどこぞのセレブを気取った母さんの声は途轍もなく気色悪い。けど、先生の神々しさを思えば当然だとも思った。僕らのような至って平凡な一般庶民が気軽に話し掛けていいものなのか、ましてや家庭教師をしてもらうなんて…誰がどう贔屓目に見ても仕えるのはこちら側。いや、使えることすらおこがましいというものか…

 

「じゃあ早速部屋に行かせてもらってもいいかな?」

 

朧気に「はい」と答えた僕だったがヒンヤリと背中に張り付いた汗が正気へ誘った。母さんの浮付きを見れば部屋も掃除してくれたとは思うが一応この目で確かめておかなきゃ。それに汗臭い制服も着替えなきゃならない。入江たちならともかく、いくら同性でも先生の前で貧相な身体を晒すのは抵抗があった。僕はいそいそと部屋に戻り慌ただしく制服を脱ぎ捨てた。モデルルームのように綺麗に整理された部屋を入念に確認して先生を招いた。

 

「お邪魔しまーす。おっ!随分と片付いてるね。窓からの眺めも最高だ」

 

夕陽が先生の顔を照らすと僕の心が大きく描き乱れているのが分かった。加速を増すばかりの心拍数に動揺しながらも見惚れずにはいられない。恋の経験のない僕にはこれがどういう感情かを知るのに少し時間が掛かってしまったけど、紛れもない恋だった。

 

「何から始めようか?宿題はあるのかな?」

「…数学のプリント」

「じゃあそれから始めよう」

 

勉強机に向かうと先生は左側に立ち、肩をポンと叩いた。触れるか触れないかのラインは近過ぎて、歯磨きもしときゃよかった、と思った。ほのかに漂う柑橘系の香りに軽い眩暈を覚えると、ふと、クラスメートの塚原均の顔が過ぎった。バスケ部のエースで容姿端麗、成績優秀な学年のアイドル。「おはよう」と交わすのさえ勇気がいる彼のオーラは先生に最も近い。だけど、キラキラ感はさすがの彼も敵わない。どういうツテかは知らないが、こんな人を連れてくるなんて、初めて父さんのことをスゴイと見直した。けど、出来れば違う関係が良かった。吐息が掛かる距離に立たれちゃ勉強どころじゃない。ただでさえ悪い成績が急降下するのは目に見えてる。

 

「数学は苦手?」

「…はい」

 

社会に出たら数学なんか何の役にも立たない、と心の中で付け加えた。

 

「確かに役には立たないかもね」

 

先生じゃなくても見透かすことは容易だったと思う。だけど、先生の霧に包まれた僕にとってそれは更なる傾きだった。

 

「でも、学生には避けて通れない課目だからね。なーに、上手に向き合えばたいしたことないさ」

 

催眠術にでも掛かった気分だった。勉強…特に多くの人が苦手とするであろう数学なんか半ば諦めていたのにキリっとした先生の切れ長の瞼が綻ぶと、本当にその通りかも…って前のめりなものが込み上げて…

 

相手は男だ。至って平凡とは程遠い。

それでも僕は初めての想いを抱いた。

 

至って平凡でいなきゃいけない理由などどこにもないのだ…と。

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

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