石垣りんさんのエッセイ『朝のあかり』

https://ameblo.jp/arigatouehon/entry-12799363028.html

 

 

 

 に引き続き

 

 

『家庭の詩』

 石垣りん編を図書館で借りて読みました。

 

 

 

もう、最初の一文から、最後の詩まで、心をギュッとされっぱなしでした。

 

 

最初の「いのちの来歴」の文章

石垣りんさんの詩

石垣りんさんが選ばれた詩

添えられた石垣りんさんのことば

すべて。


 

『朝のあかり』では、その時その時の思いを綴ったものを集めたエッセイ。(ほとんどが在職時代)

『家庭の詩』では、退職してから数年後、60歳を過ぎた時に編まれたもの。

結婚をして家庭を持ったこともありません。けれど生まれた家に深くかかわって生きてきた。それなりの経験をもとに、家庭全般についての知識とはちがう小さな思い出から語らせてもらおうと思います。

 

 

子どもの頃から、肉親の死をたくさん経験したこと、自分も自分の母と同じように早く死ぬのではないか、子どもに同じ思いをさせたくない、長生きする生命の保証がない限り、母親になるまいという思いが強かったので、結婚を望む気持ちもありませんでした。とのこと・・・・・。

 

一家の経済の大黒柱として一手に背負い、父親との葛藤、4度目の母親との葛藤は如何ばかりだったかと思うのですが、そんな思いも長い年月を経て昇華されていることに驚きました。

 

 

 

***なんちゃって短歌***

 

変えられない

過去の事実を

捉え方

見方を変えて

昇華するとは!!

 

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石垣りんさんの選ばれた詩もことばも唸るものばかりで・・・

(こちらが多数ページ占めています。)

 

1981年初版の本ですが、読めてよかった。

この本に出逢えて本当によかったです。

(図書館で借りて読みましたが、読み返したいと思いました。絶版のようで、中古のものをお迎えすることにしました。)


 

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なにげなく使っていた家庭ということばを、あらためて見なおしたとき、ふとおかしさがこみあげてきました。家の庭ね・・・・・。うふふ。遠い日、私は家庭の庭にまかれた草花のタネみたいなものだったのか、その家がどこにあったか、ましてやどこの国か、選択の自由はまったくないところで根を張り、芽を出し、せいいっぱい伸びたのかと。

 

なぜ今日まで書きつづけたのか、自分でもわかりません。ただ書きたかったから、どうしてもしたいことだったから、ごく自然につづけてきたのだと思います。そこに無理があっても、それをおしのける希求がなかったら、たちまちやめてしまったにちがいありません。

(紫の字は、本の最初「いのちの来歴」より)

 
 
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