こんな巨大な石棺をどうやって地下に入れたの? | misaのブログ

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遊びに来てくださって ありがとうございます!

サッカラでは、「イムホテプ博物館」からほど近い「セラピウム(セラペウム)」にも行って来ました。

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だけど、見渡しても何にもないサハラ砂漠。。

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こんな所に何かあるの??

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あるようです。。⬇︎
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中は撮影禁止だったのですが、内部の広さに面食らいました。

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(画像はこちらよりお借りしています)
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両サイドに巨大な石棺が収まっていました。

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このセラピウムは、1851年にフランスのエジプト考古学者オギュスト・マリエットによって発見されました。

カイロ考古学博物館の創設者の方ね。

広大な地下回廊には、28の埋葬室と平均の重さが約70tもある24個の花崗岩製石棺が置かれていました。

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中は、人間のミイラではなく、プタハ神の聖牛アピスのミイラが入っていたそうです。

古代エジプト人は、動物を神の化身として、また神に仕える聖獣として崇めていたようです。

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創造神であるプタハ神は、メンフィスで崇拝され、神殿内では聖なる牛アピスを飼育したのち、死後ミイラにしてセラピウムに埋葬していました。

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聖牛アピスと認められるには、29もの特徴すべてをそなえた牡牛をエジプト全土から探し出す為、特別の祭司が任命されるほどの徹底ぶりでした。

身体が黒く、眉間に三角か四角の白い斑点があり、背中に鷲の形をした模様、尾には2重の毛が生え、舌にはスカラベの様な模様がついている事がその条件でした。

(そんな牛いたの?)

そのため、新しいアピスが発見されると、エジプト中が歓喜し、全ての人が祭りの服装に身を包みお祝いしたそうです。

そんな貴重な聖牛ならば、こうやってミイラにまでするのも分かるような。。

けれど、この巨大な石棺を一体どうやって地下に運び込んだのでしょう。

エジプトツアーの前に、テレビ番組「林修の歴史ミステリー」でもセラピウムの事をやっていました。

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このスロープを使って、中に運び入れていたとか。。
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こんなに重いのに?重機も何もない時代に、相当な作業だったと思います。

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⬆︎私たちも、この石棺にハシゴを掛けて登らせてくれました。中は空っぽでしたが。

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本当に立派な棺でした。

サハラ砂漠の下は、海底が隆起した硬い岩盤が続いているそうです。

一面の砂漠地帯、他にもこのようなトンネルが秘かに眠っている可能性もあるのです。

セラピウムは、偉大なるマリエットだけでなく、ツタンカーメンの墓を発掘したハワード・カーターにも所縁のある場所だったのです。

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カーターは1903年頃、監査官としてサッカラの地に赴任していました。

ところがある日、セラピウム入口にいた警備員と、入場料を払わずに入ろうしたフランス人観光客の間で起きた小競り合いにカーターも巻き込まれてしまったのです。

酒に酔った14人のフランス人たちは、文句を言いつつもほとんどの者がチケット代金を払う事に同意して、中に入ったのですが、内部にキャンドルが灯されていなかった為、チケット代金の払い戻しを要求してきたのです。

それに対してカーターは規則通りに払い戻しを拒否し、フランス人達に退去する様に命じました。

しかし、観光客たちは酔っ払っており、殴り合いにまで発展し双方に怪我人が出てしまいました。

この事件を知ったフランス総領事は責任者であるカーターを非難し、公式な謝罪を要求しましたが、カーターはその謝罪を拒んだため、とうとう考古局を解雇されてしまったのです。

そして、カーナヴォン伯爵と出会うまでカーターは観光ガイドをしたり、自身で描いた水彩画を観光客に売ったりしながら、古代エジプトの都市テーベ(現在のルクソール)の墓地遺跡の発掘に何十年もの時を費やしたのだそうです。

カーターにとっては苦い思い出のセラピウムでしょうが、そんな事がなければ、ずっとサッカラにいたかも知れないので、人生何がキッカケで思わぬ方向に進むか分からないものです。

あ〜あ、今日も私は1箇所しか進まなかったよ(汗)

エジプトの旅はまだまだ続くのでありました。。