スタジオジブリの宮崎駿監督が、6日東京都内で記者会見し、最新作「風立ちぬ」をもって引退することを正式に発表しました。
私も宮崎監督の映画が大好きなので、引退はものすごく淋しいです。
宮崎監督「何度もこれまでやめると言って騒ぎをおこしてきた人間ですが、今回は本気です。」
引退を決めた理由「『風立ちぬ』はポニョから5年かかっている。次の作品を考えると5年じゃすまない。6年か、7年か。僕の長編アニメーションの時代はもう終わったんだ。」
引退会見の内容は、こちらから全て読む事ができます。
「引退の辞」
引退会見(1)「僕は自由です」
引退会見(2)「時代に追い抜かれた?」
引退会見(3)「健康について」
引退会見(4)「風立ちぬ後の生き方」
とても長いので、所々抜粋します。
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僕は自由。車が運転できる限りは毎日アトリエに行こうと思っています。それでやりたくなったものはやろうと思っています。
いちばん自分の中にとげのように残っているのは「ハウルの動く城」です。ゲームの世界なんですけれど、それをドラマにしようとした結果、まあ、本当に格闘しました。
スタートが間違っていたと思うんですけど、自分が立てた企画だから仕方ありません。
僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入った人間ですので、基本的に子どもたちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければならないと思ってきました。それは今も変わっていません。
美術館の展示品というのは、毎日掃除しているのにいつの間にか色あせてくるんです。その部屋に入ったときに全体がくすんで見えるんです。
そのくすんで見えるところを1か所きらきらさせると、たちまちそこに子どもたちが群がることが分かったんです。
美術館を生き生きさせていくためには、ずっと手をかけ続けなくてはいけないことは確かなんで、それを出来るだけやりたい。
僕は文化人になりたくないんです。僕は町工場のおやじでして。だから発信したいとかあんまりそういうこと考えない。
映画を作りながら、時代に追いつかれて追い抜かれた感じがありました。
どんなに体調を整えて節制していても、描くことに集中していく時間が年々減っていることは確実で、それを実感しています。
例えば、ポニョのときに比べると机を離れるのが30分早くなっています。この次は1時間早くなるんだろうと、その物理的な加齢によって発生する問題はどうすることもできませんし、それでいらだってもどうしようもないんです。それで長編アニメーションは無理だと判断した。
監督になってよかったと思ったことは一度もありませんけど、アニメーターになってよかったと思ったことは何度かあります。
アニメーターというのは、何でもないカットがかけたとか、うまく水が描けたとか、うまく水の処理ができたとか、光の差し方がうまくいったとか、そういうことで、まあ2~3日は幸せになれるんですよ。短くても2時間くらいは幸せになれるんです。
40代の半ばにジブリを作ったときの日本は、経済大国になって浮かれ騒いでいた。日本はすごいんだ、とか。それについて、かなり頭に来ていました。
頭に来ていないとナウシカなんか作りません。
ナウシカ、ラピュタ、トトロ、魔女の宅急便というのは、基本的に経済は勝手ににぎやかだけど心のほうはどうなんだ、ということを巡って作っていた。
でも1989年にソ連が崩壊して、日本のバブルもはじけています。その過程でもう戦争が起こらないと思っていたユーゴスラビアが、内戦状態になるとか本当に歴史が動き始めました。
今までの自分たちが作ってきた作品の延長上に作れないという時期が来たんです。その時に豚を主人公にしたり、高畑監督はたぬきを主人公にしたりして切り抜けたんです。
僕らのスタジオっていうのは、経済の上り調子のバブルの崩壊する、ここのところに引っかかったんです。それがジブリのイメージを作ったんです。
そのあと、じたばたしながら「もののけ姫」を作り、「風立ちぬ」まで、ずるずると下がりながら、これはどこに行くんだろうと思って作り続けた作品です。
ただ、ずるずるが長くなりすぎると最初に引っかかったナウシカ以降の引っかかりが持ちこたえられなくなる。
僕の70というのは、ずるずると落ちていくときに、友人や隣の保育園の子どもたちがいるなかで、なるべく背筋を伸ばしてきちんと生きなければいけないと思っています。
「風立ちぬ」を作っている間、自分の記憶の中によみがえっているのはモノクロ時代の映画です。昭和30年以前の作品です。暗い電気の下で生きるのに大変な思いをしている若者や男女が出てくる作品ばかり見ていたんで、そういう記憶がよみがえるんです。
それと、今のタレントさんのしゃべり方を聴くと、がく然とします。何という存在感の無さだろう、と。
「風立ちぬ」は、音響監督とも同じ問題意識が共有でき、いろんなポジションの責任者、制作デスクの女性も音楽の久石さんも、なんか円満な気持ちで終えたのは初めてなんです。
20年ぶり、30年ぶりのスタッフも集まってやり、そういうことも含めて、映画を作る体験としては非常にまれなよい体験として終われたので、本当に運がよかったと思います。
映画を一本作るとよれよれになります。健康は、いろいろ問題がありますが、とても心配してくださる方々がいて、寄ってたかっていろいろやらされますので、しょうがないので、それに従ってやっていますので、なんとかなるんじゃないかと思っています。
『憲法を変えるのはもってのほか』という文章をジブリの「熱風」という小冊子に載せた理由は、鈴木プロデューサーが新聞で憲法について語った時に、鈴木さんのところに脅迫が届くようになった事がきっかけ。
冗談でしょうけれども、電車に乗ると危ないと、ぶすっとやられるかもしれないとか、そういう話があって、これで鈴木さんが腹を刺されているのに知らん顔するわけにいかないから、だから僕も発言しよう、高畑監督も発言してもらって、3人いると的が定まらないだろうと思って発言した。
「この世は生きるに値する」については、自分が好きなイギリスの児童文学作家にロバート・ウェストールの作品に、自分の考えなくてはいけないことが充満していて、この中で、こういうせりふがあるんです。
「君はこの世で生きて行くには気立てがよすぎる」というせりふがありまして、少しも褒めことばではなく、そんなことでは生きていけないぞと言っているんですが、本当に胸を打たれました。
僕が発信しているのではなく、僕はいっぱい受け取っているのだと思います。多くの読み物とか昔見た映画とかから。
生きるに値するんだ、、それを僕も受け継いでいるんだと思います。
最初は僕は「ルパン三世カリオストロの城」は4か月半で作りました。それは、そんなに一生懸命にやって、寝る時間をさいてでも何とかもつというぎりぎりまでやると、お陰様で出来たんです。
そのときはスタッフ全体も若くて、それと同時に長編アニメーションをやることは生涯に1回あるかないかみたいな、そういうアニメーターたちの群れがいてですね、非常に献身的にやったからです。
それをずっと要求しつづけるのは無理なんです。年もとるし、所帯もできるし。どうしても時間がかかるようになったんです。
自分は机に向かっている時間は7時間が限度だったと思いますね。それでももう限界ぎりぎりでしたから。これ以上続けるのは無理だろうと。
この「風立ちぬ」のあと、どういう風に生きるのかというのは、これはまさに今の日本の問題で。
この前青年が訪ねてきて、映画の最後でカプローニと二郎が重なっていきますけど、その先に何が待っているのかと思うと本当に恐ろしい思いで見ましたっていう、びっくりするような感想だった。
それはこの映画を今日の映画として受け止めてくれた証拠だろうと思って、それはそれで納得しましたが、そういうところにいま僕らはいるんだ。
こんなにたくさんの方がみえると思いませんでした。本当に長い間、いろいろお世話になりました。もう二度とこういうことはないと思いますので、ありがとうございます。
<抜粋終わり>
ジブリとは、イタリア語で「熱風」。まさに宮崎監督の熱い心を表しています。
宮崎さんは、これで肩の荷がおりたと思いますが、常にフツフツと湧き上がる熱い想いをお持ちの宮崎さんがこれで終わるとはとうてい思えません。
今後は自由なお立場から、子どもたちに向けて様々なメッセージを発信して下さるだろうと期待します。
原発に反対する活動もされている宮崎さんは、きっと今のウソだらけの政府の発言に物申したいお気持ちなのではないかとも察します。
長編アニメが観られなくなるのは残念ですが、彼の想いが込められた珠玉の作品をずっとこれからも大事に子どもたちに伝えて行きたいです。
宮崎さん長い間、お疲れ様でした。ありがとうございました。
私の大好きな「ルパン三世カリオストロの城」より




