国内の原発50基の中で唯一、運転している北海道電力泊原発3号機が夜の11時頃、定期検査のため停止するのです。
国内の原発がすべて止まるのは42年ぶりだそうです。まあ、当時は2基しかなかったようですが。
原発に反対する人にとって、こんなに嬉しい日はありません。どれほど原発ゼロの日を待っていた事か。
今夜はお祝いをしたい気分です。
さて、今日は「子どもの日」にちなんで震災の日に誕生したお子さんのお話をご紹介したいと思います。
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2011年3月11日午後2時46分。未曾有の大震災が東日本全域を襲いました。
死者・行方不明者は約2万人。
あの日、多くの命が奪われた一方で、新たに生まれた命もありました。
被災地で3月11日に生まれた11組の子どもとその家族の姿を記録し、命の尊さを伝えようとする本が出版されました。
- ハッピーバースデイ3.11 あの日、被災地で生まれた子どもたちと家族の物語/並河進
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3月14日の「モーニングバード」で放映されたその中の一組に、私はとても感動しました。
佐藤春晴くんは、地震が起こる10時間前に生まれました。
何と、出産予定日には1ヶ月も早かったのです。
これは、春晴くんにはちゃんとした意図があったとしか思えません。
宮城 南三陸町で暮らす佐藤さん夫婦の三男として春晴くんはやってきました。
隣の石巻市にある赤十字病院で春晴くんが誕生してから10時間後に、あの大震災が起こったのでした。
しかし、春晴くんがこの日の誕生を選ばなければ、お父さんとおばあちゃんの命は危なかったのです。
震災の日、お父さんの健司さん(30)は、前日に破水したひろみさんに付き添う為、仕事を休んでいました。
健司さんが働く町の老人ホームは、あの日、高さ10m以上の津波にのまれ、入所者や職員およそ50人が亡くなっていたのでした。
また同じ時、春晴くんの祖母 和子さんも、春晴くんに命を救われていました。
和子さんもあの日、孫が生まれるとあって仕事を休み、自宅にいたのでした。
佐藤さんの自宅は高台にあった為、津波の被害から免れる事が出来たのです。
しかし、和子さんが勤める病院は津波の直撃を受け、患者やスタッフの約70名以上が命を落としました。
おふたり共、普段通りに勤務していたなら、間違いなく津波にのまれ命さえ危なかったのです。
春晴くんは、生まれる前にこの家族を選び、この家族を何とか助けたいと思って震災の日に生まれて来たのではないでしょうか。
無理をして予定日よりも1ヶ月も早く生まれたため、春晴くんもひとり小さな身体で最初の困難に立ち向かう事になりました。
体内の酸素濃度が低く、集中治療室で治療を受ける事になったのです。
家族を守るために生まれて来た勇敢な命と家族の絆に、私はとても感動しました。
ご家族はどれだけありがたく思った事でしょう。
失われた命が多かったからこそ、救われた命を大事にして、生かされた意味を考えそれを活かしていかなければと感じた事でしょう。
私たちも、今、生きている意味を考えようと思います。
そして、尊くて純粋な子どもたちの命を守っていかなければと決意を新たにしました。
原発は、絶対、絶対廃炉にさせていきます!
今日5月5日の「子どもの日」には、原発ゼロという最高のプレゼントを子どもたちに贈ります。
原発ゼロは一時的なものではなく、永遠に稼働させはしません。