2015年12月に葡萄と郷愁というタイトルでブログを書きました。
 
 
 
それから2年経ち、我が家の2本のブドウの木たちは、すくすくと育ちました。
 
 
 
 
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今年の1月から、いよいよ本格的に育ってきたので、日本で買ってきたカバーをつけておきました。

 

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そして、大量の収穫期を迎えました!

 

 

 

ナイアガラ。

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巨峰。

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どちらの葡萄も、ほっぺが落っこちてしまうと大げさに言ってしまいたいほど、果汁が甘く、肉厚。
 
 
ニュージーランドはワインの産地のくせに、食べる葡萄のほうにはあまり力を入れておらず、
 
流通してるのは、主にチリ産かオーストラリア産の、果汁の少ない、しゃきしゃきした触感の葡萄が多い。
 
 
ナイアガラも巨峰もまずスーパーでお目にかかることのできない品種を、これでもか!というほど食べられるなんて、なんと表現すればいいだろうか?
 
 
リッチ?
 
 
いや、いや、リッチというより、寛かだ。
 
 
 
苦労して枝を引っこ抜いてきたかいがあった。
 
 
 
 
2年という間に葡萄の木は大きく成長したが、2年の間に我が肉親にもいろいろあったなあ。
 
 
前回のブログでは母親の法事だったが、その後祖母が他界し、父親が複雑骨折の大けがをしたり、家内の両親も病を患ったりと、ますます近い存在の人がいてくれることの有難さを考えなくてはいけない時期になってきた。
 
 
 
子供も大きくなって、もう来年には社会に出るし、僕も今年は50になるし、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、でも、これはどうしたらいいんだろうか?俺に乗り越える能力があるんだろうか、、、おいしい葡萄を食べながら、これまでに薄ぼんやりと遠くに見えていた様々な“直視したくないこと”や“考えたくないこと”を近くに感じ始めた2月の夜でした。