友達って、どこからどこまでが友達なのだろうか
今は連絡も取っていない、高校大学時代をともにした彼らも友達だろうか
会社で同じ時期に入社した同期は友達だろうか
サークルで同じ趣味を楽しむだけの相手は友達だろうか
ツイッターやインスタでやり取りするだけ、顔も見たことない人でも友達だろうか
じゃあ友達と親友って何だろうか
相手にとっては自分は友達なのだろうか、親友なのだろうか
それともあかの他人だろうか
そういう思いがぐるぐるしたので、今はLINEもツイッターもほとんど開かず1週間がたとうとしている
通知もすべて切っている
どうせ元から個別でやり取りするような親しい友達や恋人なんかいないから
これらをやめても案外生きられるものなんだなって思う
人とかかわるのは楽しい
けれど、自分が相手に「楽しい」を与えられているかというと、それは自信がない
いやむしろ、相手に与えてもらうばかりで、自分は相手に何もできていないのではないだろうか
自分といる時間は彼らにとってどんな意味があるのだろうか
人間関係に対してコスパ・タイパという言葉は好きではなかったが、自分といるメリットを人に与えられている気がしない
だから、遊びも飲みも、自分から誘うことをあまりしてこなかった
本当は、会うなら少人数がいい
だけど、サシというのはもっと厳しい
自分は誰かのおまけでちょうどいい
だから、誰かにとっての特別にはなれないのだ
きっと自分は、なんとなくいたような気がするけど思い出せない
そんな人間だと思う
昔成人式で部活の顧問に再会したのだが
他の同級生の名前はすぐに出てきたのに、自分の名前だけは最後まで出てこなかった
別にそれについて怒りや悲しみの感情は湧かなかった
こちらも先生の名前を思い出すことなんて、数年に1回あるかないかくらいなものだから
自分が人生の主人公だと思うことができる、健全でまっとうな大人にはきっとわからないと思う
自分の人生なのに自分が主人公だと思えないこの感覚
自分はエンドロールに名前も出てこない友人A
ああそうだ、友人とすら思われていないだろう
男性A
社会の歯車でしかない自分が、
今会社を辞めても仕事は回るし
サークルをやめても写真にしか残らない
崩壊した実家を捨てても何も残らない
でも、できたらいつかは誰かにとっての特別になれたらと思う
それが家庭を共有するパートナーなのか、苦楽を共有できる友人なのかはわからないが
どうしたらなれるのか、考えているうちに30歳になりそうだ
P.S. 最近思いのままに書き連ねているおかげか、文章の悲観的な内容の割には心が軽い
手書きのノートではないが、書き出すというのは心にいいのかもしれない
自分の友人は、今はここでいいのかもしれない