この集まりに向かって「tomas-chor」のzoomミーティングが幾つか行われました。その中で二つのキーワードが出ました。それは「万が一の場合が起これば」と「周りの目(どう思われるかがとても気になる)」というもの。これについては日本人であれば当然の質問であり、不安材料であり、生活に直結するほどの問題点です。
しかし、一旦「日本人」を離れれば「万が一の場合が起こるのは当たり前。いつもそれを前提にして行動する」「どうして周りの目を気にしないといけないの?」となります。
考えておかなくてはならないこと、それは「万が一」が起こったならば、そしてそれによって人から「誹謗中傷、圧力」がかかった場合、それらから守られるシステムが構築されている、という安心感」があれば何も不安になる必要がないという事。
ですから「守られるシステム」が何よりも重要だということです。不安感を抱えている社会は成熟していないという事になります。
「新型コロナウイルス」感染対策については自分自身が万全の策を取るのは当たり前です。他から強制的にさせられたならば、つまり自身の意思が伴っていなければ中途半端な取り組み方しかできないという事になります。
要は、「感染しない」、「させない」。特に、もし感染した場合でも、その後の治療が医療従事者にとっても、もちろん患者にとっても、他の病気療養中の人たちも、関係するすべての人、機関が疲弊することなく安心のシステムの中で守られるということこそ問われるべき事項なのです。
決して個人に置いて「責任」という形で問われることではないと私は考えます。
社会全体で考えられるべきことであり、特にその発言力、行使できる政治的権力を持つ人、機関こそが率先し、積極的に対策をいち早く取らねばならないことは確かでしょう。個人の出来る事には限界があります。私たちが納めている税金はそのようなことに多く使われるべきものであって良いはずです。
毎年お世話になっている宿、伊豆湯ヶ島温泉「白雲楼」の努力とサービス、姿勢は驚きです。誠心誠意、が感じられてとても心強く、私たちに人間としての、音楽を生きがいとする者に大きなエネルギーを頂きました。安心感に守られての活動となる事ができています。心からの「感謝」です!(写真は伊豆湯ヶ島温泉「白雲楼」の若主人が作ってくれているお餅。これが本当に美味しい上に、一人一人に好きなものを入れて手渡してくれる。もう疲れも緊張感も吹っ飛びます!)
今日の練習も楽しものになりました。メンバーも増えています。人間こそが味わえる音楽。そのアンサンブルや響きの妙味に「生きている」ことを感じる。その感動が、明日をも〈生きたい〉と思わせる原動力です。
万全の対策をあらん限りとりましょう!周りに恵まれ、守られ、〈共に〉今回の「新型コロナウイルス」の終息へと立ち向かいたいと思います。
総合練習も明日を残すのみになりました。演奏会への具体的な響きが整い始めています。まだその様子を公表することはできませんが、演奏会近くになれば少しだけでもその新しい取り組みをお見せしたいと思っています。







