『ヒョンジュ…』
ウォンは苦しみから這い上がれないまま横たわる彼女の傍で声を殺した。
熱いものが込み上げ、思うままに声を出してしまえば楽になりそうなものだったが、そうすれば堰を切ったように止めどない涙が溢れる事は容易に想定でき、何とか理性で声を出さずにいた。
ただ、無情にも涙だけは後から後から溢れてくるのだ。
ひやりと冷たい感触に目を開けるとヒョンジュの細い腕が伸び頬を伝う涙に触れた。
『…ウォン…さん?』
ウォンは無言のままヒョンジュの手を取る。
無我夢中で伸ばされた細く白い手にしがみついた。華奢な指が儚く思えた。
『?何…?私たちの赤ちゃんは?』
『!?』
まるで脈絡もない質問を真剣に問うヒョンジュにウォンは戸惑うしかなかった。
『無事に生まれた…のよね?』
力無く言葉は消えそうでヒョンジュの意識はまたも遠ざかろうとする。
『生まれたって?え、、だってここには…』
『え?って、、何?ここは病院でしょ?私…陣痛で運ばれたんじゃ…』
『あ、、あぁ、無事に…産まれた…産まれたよ』
どうやら記憶に問題があるようだったが興奮も動揺もさせぬようにひとまず取り繕う。
『良かった…ずっと一人でどうしようかと心細かったの。。ウォンさんが来てくれたなんて夢みたい。。もしかして夢?
夢なら…言えるわ。貴方からの宝物私が大事に育てるから、、何も知らせなかった事…許して…』
『ヒョンジュ、、心細く思うな。俺がいる。傍にいるから…』
『……何を言ってるの…貴方は結婚したんでしょ…冗談は止めて、、迷惑かけないようにするから。何もいらないし、、それより何だか凄く身体が痛くて…休みたいわ…』
ヒョンジュは意識をはっきりと覚醒した訳ではなかった、夢と現の狭間を行き来していた。
再び目を閉じていく。闇に吸い込まれるように意識が遠ざかる。
ただ、ウォンにしてみればこのヒョンジュの言葉から別れていた間も深層ではウォンを想い、心細くあった日々を過ごしていた事が垣間見え、益々後悔に胸が疼く。
再び閉ざされた瞼の端から水晶の様に輝く雫が零れたのを見つけウォンの心は言い知れない思いが広がった。
一人の女に対しての仕打ちが我ながら余りにも罪深くこれまで存在した自己肯定の自信も何もかもが失われた。
何もかもを手にしたつもりでいたが、肝心な物を手から落とし、数年経過した今結局、何も得てはいなかったとようやく理解した。
コンコン
戸を叩く音に慌てて涙を拭う
『…はい、、』
静かに扉が開くと入ってきたのは弟タンの母親であった。
コンコン
戸を叩く音に慌てて涙を拭う
『…はい、、』
静かに扉が開くと入ってきたのは弟タンの母親であった。
『どうも、、こんにちは…どう?ヒョンジュさんの具合は』
『まぁ、、1度は目を覚ましたのね…じゃあきっと良くなるわね』
いつもの派手な様子でない義母にウォンは些か驚いた。
『あの…今日は?もしかして父さんに…』
『違うわよ。ここに来たのは私の勝手。あの人とは関係ないし、勿論言ってもないわ』
ヒョンジュの入院で残された息子を慌ただしく準備もままならないままタンに託した。そしてそのタンは子育ての先輩に託したのであろう。
『当たり前じゃないの。あの子は子育てなんかしたことないし…最も最初はウンサンの所で面倒見てたの…ウンサン昼間は学校でしょ?そしたらパクさんったら…ああパクさんはウンサンのお母さん。彼女ったらうちに連れて来てね仕事部屋に置いてくれって自分の孫だなんて言ってるのよ。ウンサンの姉の子だって!怪しいでしょ?で、問い詰めたら私の孫だったって事』
『いや、、すみません。それは…』
『良いのよ。それに、顔を見れば誰の血を引いてるか分かったもの…だから問い詰めたんだし』
『え?』
『え?』
思い掛け無い一言に思わず顔を上げた。
『貴方にそっくりよ…私がタンを連れて初めてあの屋敷に来た日を思い出したわ。歳の割に貴方はもう随分と大人だった…シユン君は貴方の小さな頃にそっくりよ…。
でも実を言うと始めはね、タンに似てると感じて、まさかウンサンが内緒で産んだんじゃないかと…』
『まさかウンサンの母親にそれを?』
『そうなのよ、そしたらあの人目を丸くして、笑いはじめて!腹が立ったわぁ、、で、ピンときたのよ』
『でも、何故…』
『はい、これ着替えよ。ここ数日貴方着がえてもないでしょ?私が見てるから一度シャワーでも浴びてらっしゃい…そんな不潔な格好で病院にいたら追い出されちゃうわよ…特別室だからってここのシャワーだけじゃゆっくり休めないでしょ?』
『まさかウンサンの母親にそれを?』
『そうなのよ、そしたらあの人目を丸くして、笑いはじめて!腹が立ったわぁ、、で、ピンときたのよ』
『でも、何故…』
『はい、これ着替えよ。ここ数日貴方着がえてもないでしょ?私が見てるから一度シャワーでも浴びてらっしゃい…そんな不潔な格好で病院にいたら追い出されちゃうわよ…特別室だからってここのシャワーだけじゃゆっくり休めないでしょ?』
『いえ、ここにいます…』
『髭も伸びっぱなしで…あんまりよ。ここからだと貴方のマンションは遠いから一番近い別邸にでも寄ってらっしゃい。。でも良かった、、もしかしたらと来てみて正解ね。タンにはそこまでの考えが及ぶはずがないから…』
『……あ、ありがとう…ございます。でも、、』
『あ、大丈夫よ。あの人にはバレないようにシユン君は見てるの。それに私は…ヒョンジュさんの気持ち、、分かるから。』
深く眠るヒョンジュの額に優しく触れるタンの母にウォンはまたも驚く。
『長い事【日陰の女】やってきた私よ?ヒョンジュさんを一番理解出来るのもきっと私しかいない…そう思わない?』
『あ、、はい…すみません。。』
思わず謝罪を述べた。
『ふふ…じゃあシャワー浴びて気持ちをリフレッシュして…それから交替しましょう?タンは今会社で四苦八苦してるみたいだから貴方の片腕になりたくて…』
『十分ですよ…十分すぎます。タンがいてくれて、、感謝してます』
『ありがとう』
その一言は何故か声に出せなかったが義母には届いていた。
母は背を向けていながら涙を堪えていた。
タンを産んでキム家にとって疎まれた存在であろうと心の何処かでその罪悪感は重りのようにズシリと存在を発揮し、息子を取られ軟禁された日々に酒に逃げた過去もあったが、間違いではなかったと報われた気持ちが生まれていた。
それは又ウォンも同じで、自分さえ長男として存在しなければタンとこの母親は歓迎されていたに違いない。
タンを憎みきれず心の闇をタン自身に向け彼を疎外していたにも関わらず当の弟は兄と慕う。どうすれば闇が晴れるのかと日々をヒョンジュと過ごす事で癒され安らぎを与えられていた事に衝撃を感じた。
『……バカなのは俺だけだな…』
自虐的に呟くと部屋を背に歩き始めた。
ウォンは母に聞いた自宅ではない別宅へ向かった。病院に近い事だけでなく、ヒョンジュが発した『私達の赤ちゃん』に今すぐに会いたくなった。
しかし足取りは軽くはなかった自宅よりもどちらかと言えば自然の多いここは遥か昔、ウォンの母親が静養に使っていた。ただ、女主人のいなくなった屋敷をウォンは悲しい記憶の場所と位置づけ近寄る事はなかった。それはまた父も同じである。そういう事から義母はここでシユンを見ていたのだろう。?
母との思い出が瘡蓋をめくりはしないかと不安に足が重くなる。
大きな鉄製の門に手をかけると中から小さな子供の笑い声が聞こえてくる。
ウォンは意を決して中へと進んだ。
『……』
子供の声以外に物音はない。不思議に思い静かに様子を伺った。
歩を進めるが笑い声さえ消えた。。
『うわぁっっっび、びっくりした。。ウンサンのお母さん…貴方がシユンを、息子を見てくれていたんですね…』 ?
ウォンのすぐ背後に音もなく立っていたウンサンの母はシユンを抱いていた。
ウンサンの母は頷く
『しかし、シユンは何で遊んでいたのかな…可愛い笑い声が外まで聞こえたが…』
その独り言のようなウォンの疑問にウンサンの母は僅かばかり微笑みそのまま大きなリビングへと進む。ウォンも後をついていく。
リビングには庭に続く大きなガラス窓がありそこにかかるレースのカーテンが入り込む風に寄せては返し揺れていた。
シユンを抱いたままウンサンの母はそのカーテン目掛けて走り出す。
余りの出来事にウォンは声を失う。が、反対に息子はカーテンをくぐる瞬間に小さな可愛らしい声を上げて笑うのである。
『あぁ、、カーテンくぐりか…』
ウンサンの母は乱れた髪のままに笑顔で頷き、幼な子を解放する。
解き放たれた息子は出会ったばかりの父親に向けて、覚束ない足取りで歩き始めた。
両手を上げて向かってくる息子に感動を覚えウォンは跪き抱き上げた。
『シユン。ただいま』
その表情は父性の慈愛に満ちたものであった。
『パパとお風呂入るか?』
幼い息子を連れ懐かしい邸を回った。
壁の傷を見ようと、母を思い出そうと、何故か心は痛まなかった。
『おまえと、ママが居てくれるだけで。。強くなるな…何で気付くのがこんなに遅かったんだろうな…パパはバカだよ』
息子に向け呟いた。
何も知らぬ幼な子は父親の顔を小さな指で柔らかくつまんだ。
胸の奥を擽る存在にウォンは改めて何かしらを決定した瞬間であった。
『……あ、ありがとう…ございます。でも、、』
『あ、大丈夫よ。あの人にはバレないようにシユン君は見てるの。それに私は…ヒョンジュさんの気持ち、、分かるから。』
深く眠るヒョンジュの額に優しく触れるタンの母にウォンはまたも驚く。
『長い事【日陰の女】やってきた私よ?ヒョンジュさんを一番理解出来るのもきっと私しかいない…そう思わない?』
『あ、、はい…すみません。。』
思わず謝罪を述べた。
『ふふ…じゃあシャワー浴びて気持ちをリフレッシュして…それから交替しましょう?タンは今会社で四苦八苦してるみたいだから貴方の片腕になりたくて…』
『十分ですよ…十分すぎます。タンがいてくれて、、感謝してます』
『ありがとう』
その一言は何故か声に出せなかったが義母には届いていた。
母は背を向けていながら涙を堪えていた。
タンを産んでキム家にとって疎まれた存在であろうと心の何処かでその罪悪感は重りのようにズシリと存在を発揮し、息子を取られ軟禁された日々に酒に逃げた過去もあったが、間違いではなかったと報われた気持ちが生まれていた。
それは又ウォンも同じで、自分さえ長男として存在しなければタンとこの母親は歓迎されていたに違いない。
タンを憎みきれず心の闇をタン自身に向け彼を疎外していたにも関わらず当の弟は兄と慕う。どうすれば闇が晴れるのかと日々をヒョンジュと過ごす事で癒され安らぎを与えられていた事に衝撃を感じた。
『……バカなのは俺だけだな…』
自虐的に呟くと部屋を背に歩き始めた。
ウォンは母に聞いた自宅ではない別宅へ向かった。病院に近い事だけでなく、ヒョンジュが発した『私達の赤ちゃん』に今すぐに会いたくなった。
しかし足取りは軽くはなかった自宅よりもどちらかと言えば自然の多いここは遥か昔、ウォンの母親が静養に使っていた。ただ、女主人のいなくなった屋敷をウォンは悲しい記憶の場所と位置づけ近寄る事はなかった。それはまた父も同じである。そういう事から義母はここでシユンを見ていたのだろう。?
母との思い出が瘡蓋をめくりはしないかと不安に足が重くなる。
大きな鉄製の門に手をかけると中から小さな子供の笑い声が聞こえてくる。
ウォンは意を決して中へと進んだ。
『……』
子供の声以外に物音はない。不思議に思い静かに様子を伺った。
歩を進めるが笑い声さえ消えた。。
『うわぁっっっび、びっくりした。。ウンサンのお母さん…貴方がシユンを、息子を見てくれていたんですね…』 ?
ウォンのすぐ背後に音もなく立っていたウンサンの母はシユンを抱いていた。
ウンサンの母は頷く
『しかし、シユンは何で遊んでいたのかな…可愛い笑い声が外まで聞こえたが…』
その独り言のようなウォンの疑問にウンサンの母は僅かばかり微笑みそのまま大きなリビングへと進む。ウォンも後をついていく。
リビングには庭に続く大きなガラス窓がありそこにかかるレースのカーテンが入り込む風に寄せては返し揺れていた。
シユンを抱いたままウンサンの母はそのカーテン目掛けて走り出す。
余りの出来事にウォンは声を失う。が、反対に息子はカーテンをくぐる瞬間に小さな可愛らしい声を上げて笑うのである。
『あぁ、、カーテンくぐりか…』
ウンサンの母は乱れた髪のままに笑顔で頷き、幼な子を解放する。
解き放たれた息子は出会ったばかりの父親に向けて、覚束ない足取りで歩き始めた。
両手を上げて向かってくる息子に感動を覚えウォンは跪き抱き上げた。
『シユン。ただいま』
その表情は父性の慈愛に満ちたものであった。
『パパとお風呂入るか?』
幼い息子を連れ懐かしい邸を回った。
壁の傷を見ようと、母を思い出そうと、何故か心は痛まなかった。
『おまえと、ママが居てくれるだけで。。強くなるな…何で気付くのがこんなに遅かったんだろうな…パパはバカだよ』
息子に向け呟いた。
何も知らぬ幼な子は父親の顔を小さな指で柔らかくつまんだ。
胸の奥を擽る存在にウォンは改めて何かしらを決定した瞬間であった。