政治家は自らの内なる魔物、金銭欲と向き合え | 永田町異聞

政治家は自らの内なる魔物、金銭欲と向き合え

「90年代の証言」(朝日新聞)という本で、政治とカネについて、森喜朗が興味深い話をしている。


司会者が、森の政治資金収支報告書の収入金額について、1987年3億7000万円、88年4億2000万円、90年、95年は5億をこえるが、「どういう政治活動に使うのか」と質問した。


そこで、森はこう答えた。「やっぱり若手議員への色々な支援でしょうね。お金を貸してほしいとか、支払いができないと相談してくれば、それはやっぱり何かしてあげなきゃいかんでしょう」


司会者はさらにたずねる。「それがまた自分の派の中の仲間づくり、グループづくりにもなるわけですね」


森は「まあ、そういうことでしょうね」とうなずいた。カネのあるところに、人が集まり、政治の数の威力がついてくる。


悲しいことにそれが現実だ。人が人に惚れてくっついても、やがて利害が絡むと離れてゆく。


この国には、ある時期まで、金銭欲を卑しみ、清貧を尊ぶ武士道精神の片鱗が残っていた。


勤勉、自立、倹約。運命に任せ、不可避に服従するストイックな心境。


仏教、神道、儒教の影響を受け、江戸期まで自然に培われてきたこの精神文化は、皮肉にも武士階級が滅亡した明治になって、懐かしまれ、新渡戸稲造の英語本によって世界に知られ、国民国家として船出したばかりの明治日本人のアイデンティティーになった。


ところが、その日本人像はいつの間にか崩れ、政治にカネがかかるのも人間のサガならば、きれいごとばかり並べ立ててそれを罵るのも商業マスコミのサガとなった。


それぞれ立場は違っても、つまるところ人は欲で動き、欲があるから、世間の評判をむやみに恐れ、手足も口も縛られる。


さて、海外での裏金づくりや、小沢一郎事務所への献金で一躍、悪人の名乗りを上げた西松建設前社長らの最初にして最後の公判が一昨日開かれた。


政治資金収支報告書の虚偽記載に問われた大久保秘書の裁判ではないのに、案の定、一部マスコミは小沢という鬼の首でもとったように騒いで見せた。


西松側が起訴事実を認めたとはいえ、検察の冒頭陳述をそのまま鵜呑みにして、「これでも責任はないのか」と、小沢側にすごんでみせる新聞の社説があったのには、いささか驚いた。


それはともかく、検察側から見える事件の全体像を披瀝する冒頭陳述の中身をじっくり眺めてみよう。そこで語られた事実を年代順に整理し、小沢一郎の足跡を重ね合わせると、何かしら見えるかもしれない。


冒陳はなんと、昭和50年代という遥か昔の話から始まった。


鹿島が公共工事受注の談合を仕切っていた東北地方で、小沢事務所が影響力を強めはじめたのは50年代の終わりごろからだったという。


昭和58年、小沢一郎は自民党代議士として早くも6回目の当選を果たしている。業者間では小沢事務所の意向を「天の声」と呼ぶようになったようだ。


西松が初めて小沢事務所に献金したのは平成7年のこと。金額は1319万5000円だった。小沢はこのころ、新進党をつくって自・社・さ連立政権に対峙していた。


平成8年、西松は、西松建設名義で1112万円、新政治問題研究会(新政研)名義で1700万円、計2812万円を寄付。


平成9年から11年までは西松、新政研名義で献金、12年から16年までは未来産業研究会(未来研)や関連会社も加えて、毎年1500万円の献金を続けた。


大久保秘書が、関わり始めたのは12年以降のようだ。小沢は新進党分裂後の平成10年から14年まで、自由党の党首だった。


新進党も、自由党も、自分がつくった党をまとめていくのにカネが必要だったことは想像に難くない。それでもカネのある党に、いつの間にか仲間が一人二人と釣り上げられていく。


平成12年、自公との連立が決裂し、二階俊博や野田毅らが政権残留のため小沢のもとを去る。小沢自由党が民主党に合流したのは平成15年9月26日のことだ。


業績が悪化しはじめた西松は平成17年、献金額を1300万円に減額した。18年、西松は「これが最後」と、500万円の献金をした。


その年の3月、小沢は菅直人を破って民主党代表となった。当然、西松からのカネの流れは途絶えた。


冒陳では、新進党、自由党時代の西松献金が目立っているが、時効の関係もあり、大久保秘書の起訴事実は、平成15年から18年にかけての計3500万円の献金を対象としている。


検察は西松から小沢側への献金額が平成7年からの12年間で1億2900万円に上ると指摘する。


これだと年平均1075万円。一企業からの政治献金として多いか少ないか、いろいろ見方はあろうが、池田勇人に裏ルートの資金を提供した河野一郎や、小佐野賢治、佐川清らとの資金パイプで裏金をばらまいた田中角栄と違うのは、曲がりなりにも政治資金報告書に記載された表のカネだということに尽きる。


贈収賄へ発展する気配もいまのところないようだ。西松からのカネと知りつつ新政研、未来研を献金者として記載したのが「悪質」でけしからんというわけだが、その解釈の妥当性に専門家の間から疑念 が呈されている。


あたかも小沢がゼネコンとの癒着の総本山のごとき扱いを受けているのを見ると、それなら、かつてゼネコンの「京都・八条口詣で」といわれた野中広務や、国交省官僚をも畏怖させる道路利権のドン、青木幹雄はどうなのかと、余計なことをいいたくなる。


自民党の政治資金団体「国民政治協会」には37億円もの政治献金が寄せられ、その中には特定の政治家への迂回献金が紛れ込んでいる疑いが強い。そのほうがよほど献金の実態を覆い隠す手段としては有効だろう。


企業との癒着は、小沢の問題であるが、小沢だけの問題ではない。自民党的DNAを引きずった政治家は、やはり本家の自民党にこそ数多い。


ちなみに、民主党の政治資金団体「国民改革協議会」への献金額は1億円に満たないのである。


ロッキード事件児玉ルートやリクルート事件で、重大な嫌疑をかけられながら、ときの政治力学の助けかどうか、検察不捜査の恵みにより、まんまと危機から逃げおおせた中曽根康弘の悪運の強さと比較してみるのもいいだろう。


東京第三検察審査会が、不起訴を不当と議決した二階経産相サイドへの西松献金を、検察はもはや、中曽根捜査のように葬り去ることはできないはずだ。


5月21日を境に、改正検察審査会法で、検察の思い通りにはいかなくなっている。


西松裁判で献金事件報道がぶり返すのを期待し、自らを棚に上げて、ここぞとばかり小沢の金権体質を非難合唱する自民党議員の顔に、自己の内なる魔性の金銭欲と向き合う真摯な姿勢があるとは思えない。


筆者の浅い経験では、自分だけは清廉だといわんばかりの人間に、ホンモノがいた試しがない。


一人や二人、「我々も自戒しなければならぬ」と心をこめて言ってくれる、古武士のような自民党政治家はいないものだろうか。


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