眠気を誘う各省作文集の施政方針演説 | 永田町異聞
2009年01月29日(木)

眠気を誘う各省作文集の施政方針演説

テーマ:政治

昨日、麻生首相が施政方針演説をした。今朝の新聞で全文に目を通したが、いつも通りお役所の作文の寄せ集めで、感動もサプライズもない。これでは予算案も各省庁積み上げの膨大なものになるわけだ。長時間のセレモニーは、議員諸公も眠気をこらえるのにさぞかし苦労するだろう。


ところで、施政方針演説は1890年の第1回帝国議会からはじまった。国民が政治に参加する場を求める自由民権運動により、ようやく開かれた議会だった。歴史的な第一回の演説をしたのは山県有朋首相で、明治元年(1868年)から数えて22年後のことだが、ここからすこし余談を許していただきたい。


山県有朋といえばどうしても言及しておかねばならないことがある。江戸封建制から明治維新を経て国民国家を“創業”した西郷隆盛、大久保利通を明治10年、11年に相次いで失った日本は伊藤博文、山県有朋という新たな指導者の時代に移行する。


創業家の西郷、大久保らには、武士道精神を基盤とした「無私」の精神があった。晩年、病気がちで明治10年に亡くなった木戸孝允も同様であったろう。この三人には、それぞれに個性があり、哲学があった。


それでは、大久保の権力を継承した伊藤博文、西郷の陸軍を受け継いだ山県はどうだったか。司馬遼太郎は「明治という国家」のなかでこう書いている。


「西郷、大久保を失ったのは明治の不幸でした。かれらのあとは、精神の輝きよりも出世欲が強くて権力をうまく操作し、物の処理においてのみ巧みであるという人物が出てくるのであります。ずいぶん品下がります」


カネも権力も持たず書生っぽい情熱をたぎらせて維新を成し遂げた創業家の精神は、しだいにこの国から消えうせ、出来上がった新権力への争奪に血道をあげる時代が始まったということだろう。ただし、伊藤を山県と人括りにしてしまうのは気の毒な面がある。伊藤は山県に比べると「私欲」がはるかに少ない人物であったことは申し添えておかねばなるまい。


さて、山県の話である。伊藤と同じ長州の人であり、低い身分であったが高杉晋作の奇兵隊に入って頭角を現し、明治政府で出世の階段を上った。彼は先述したように「権力操作」の達人だった。つまり官僚をうまく使いこなして、自らに利するというやり口で、政治力を身にまとうのである。


山県は「日本軍閥の祖」ともいわれる。帝国議会が開かれ、国民の政治参加が実現したといっても、彼自身もともと官僚であり、自らに都合のいい官僚支配を続けるために権力を握っていたともいえるだろう。のちに軍事官僚の暴走を招く源をつくったともいえるかもしれない。


この国の支配構造は、山県有朋の施政方針演説以来、少しも変わっていないのではないか。各省ごとに官僚が演説の草稿を書き、官邸に寄せ集め、官邸サイドで時の総理大臣の色を加えて完成させる。既得権を有する特定の団体や個人とつながる官僚が、それに周到に配慮した羅列的な政策方針を盛り込み、そのうえに首相が政治的思惑の色彩を加えるという、権力の共同作業がおこなわれる。


そして、ほとんど無意味な膨大な文字の列を、新聞は一面を使って全文掲載する。


官僚組織が肥大化、硬直化し、国会が形骸化している。その象徴的なセレモニーがこの施政方針演説になってしまっているのは、国民として虚しく悲しい。


下手でもいい、自らのやさしい言葉で国民に語りかける演説を聴きたい。全てを網羅することは何もないのと同じだ。首相が一番何をしたいのか、そのためにどうするのか、そのために解決せねばならない問題は何か。明確なメッセージがあれば国民はそれをしっかり受けとめ、ともに考えるだろう。納得すれば、それが実現するまで我慢もするだろう。


この国の最初の議会から119年。もうそろそろ、施政方針演説のありようを考え直してもいいのではないだろうか。


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