オウム真理教事件に見る氷山の一角〜死刑囚の死刑執行 | あらやす日(本)誌

オウム真理教事件に見る氷山の一角〜死刑囚の死刑執行

日本では裁判所が死刑判決するが、

死刑執行の最終権限は法務大臣に委任される。

 

【参考】

刑事訴訟法475条第1項:「死刑の執行は、法務大臣の命令による。」

この法務大臣の命令は閣議決定も必要になると思われる。

 

 

裁判所で死刑判決が出ても、

即、法務大臣が執行することはなく、

長年、死刑執行を止めている死刑囚は多い。

現在、

死刑執行されない死刑囚が

全国の刑務所に100人以上収容されている。

(死刑囚の13人、全体の10%以上がオウム真理教事件の犯罪者…)

日本政府はほぼ死刑廃止論を採用していることになる。

 

 

7/6、

オウム真理教のすべての事件を組織的に計画して実行させた、

オウム真理教の「教祖」だった松本智津夫(偽名:麻原彰晃)の死刑が執行された。

また、

オウム真理教事件の他の死刑囚12人のうち6人の死刑が執行された。

 

【蛇足】

・1980年代〜1995年、オウム真理教には、松本を教祖の冠にして、過激な欲望を満たす悪人が結集した。松本の周囲には、通常の善悪の観念を論外にしてさまざまな自己の欲望を発散させる多くの人々が集まった。日本特有の人権擁護で新興宗教団体ができる自由な行動、課税されない不透明な裏金で集まるマネーを利用してクーデターを画策する左派系やアナキスト(無政府主義者)系等のテロリスト志望者も集まったようだ。

・多くの事件に深くかかわったオウム真理教の幹部(建設省大臣だったが、なかば軍事大臣か?裏の独裁者?)、早川紀代秀も死刑執行された。早川は、大学時代から左派・アナキスト系のテロリストとして警察(公安)からマークされていたようだ。教祖の松本よりも5歳くらい年配で、表は教祖の松本、裏のトップが早川だったのだろう。この裏の世界は…教祖のために、自己保身のために隠蔽されやすい。

 

・教祖・松本の反社会的・武装化の方向性→幹部A(早川等)の計画提案→教祖・松本の承認=信者の寄付等で集めたカネと洗脳した信者・ヒトの確保→幹部Aが詳細の計画準備→幹部Aだけでなく他の実行犯Bも犯行…のような組織化された犯罪の流れもあり、多くの事件を生んだのだろう。

多くの人々を犠牲にしても社会を支配したい邪悪な欲望を実現させるために、カネ・モノ・ヒトを自由に使える宗教団体を利用したい輩が結集できたことがオウム真理教事件の実態だろう。

 

 

松本は、

地下鉄サリン事件等の13件の事件で29人を死なせたことで

(実際、刑事事件にできない事件の被害者は…その倍以上…?)

2004年2月、死刑判決が出て、

2006年9月、松本の死刑が確定し、

10年以上、日本政府は死刑執行を保留していた。

 

今年1月、

オウム関連の刑事裁判がすべて終わった。

 

来年2019年に新元号になり、

オウム真理教が起こした極悪なテロ、サリン事件(1995年)から四半世紀をへて

2020年、東京五輪が開催される。

東京五輪でのテロ抑止・防止の風潮を強化するために

オウム真理教事件の死刑囚の死刑執行を政府は決めたのだろう。

 

【蛇足】

・オウム真理教事件は、歪んだ日本社会が生んだ歪んだ日本特有の事件だろう。

この事件は、東西冷戦時代、1970年代から推進してきた「軍」なき日本型「平和」実現のために、非公式に行ってきた日本社会の左傾化・反日化・反国家化=東西・中立化政策が生んだ副作用そのものではないだろうか。

この事件は、東西冷戦時代の中立化政策として反社会化・反日化・反国家化した土壌を受容した日本でおきた。左派系等のテロリストやその支援者を社会から積極的に排除しなかったことで、安全保障、テロ対策・治安が弱体化している日本社会の実態を露骨にあらわにした事件(昭和後期の戦後社会が生んだ平成事件…)になった。

 

・オウム真理教による最大規模の人災、地下鉄サリン事件が起きた年、1995年1月に阪神・淡路大震災の天災が起きた。1995年は、人災と天災共に、「国民の生命・資産」の価値が日本で縮小していたことを明確にあらわにした年だった。

阪神・淡路大震災の天災時に自衛隊を災害派遣する手続き(派遣命令等)に時間がかかったことを教訓にして、迅速に自衛隊を災害派遣する体制を構築した。その後、東日本大震災(2011年)時、自衛隊は即座に災害派遣されて2万人弱の被災者を救助した。阪神・淡路大震災時に自衛隊が即時に派遣されていたら、多くの被害者の命が救われていただろう。

 

・日本の「国民の生命・資産」の価値を縮小させ始めたのは1970年頃かもしれない。輸出重視の高度経済成長期にあったこの頃、70年反安保運動(ベトナム反戦運動含む)、東西冷戦時の平和をテーマにした大阪万博、再軍備による日本の独立化を目指したノーベル文学賞候補・三島由紀夫の自決事件の持つ重大性を払拭(消極的に弾圧?)させて、1970年から左傾化による東西・中立化政策を社会的に非公式(政府等の公言はなく…)に地道に日本は推進してきたのだろう。

 

左傾化と共に反日化の動きが同期して1970年代から四半世紀かけて、日本・日本人のアイデンティティーは縮小(反バブル化)したことで、最優先すべき第一の国家責務である「国民の生命・資産」防衛の意識も縮小してゆく。

 

そして、高度経済成長は停滞し、1980年代後半からプラザ合意(1985年)で円高傾向が強まって(ドル円:200円台→150円になり)輸出産業に急激にダメージを与え、1989年の経済バブル崩壊(人災&天災)=国民の資産の崩壊、1995年に起きたサリン事件(人災)と大震災(天災)=国民の生命の危機が露骨にあらわになった。

アイデンティティーの反バブル(矮小)化、「国民の生命・資産」の危機感が、消極的な内需重視の経済政策で輸出産業を停滞させて日本の経済成長を停滞させた(今、日本のGDPでの輸出依存度は、ドイツ・中国の半分程度、フランス並の低レベル…)。目下、日本は増税路線によって消費性向低下、人口減少にも拍車をかけていると思われる。

また、失いつつあるアイデンティティーと「国民の生命・資産」防衛の希薄化の中で、外国資本がじわじわと浸透してグローバリゼーションを席巻させる土壌になっているようだ。

 

…オウム真理教事件は、日本の反面教師か、日本への日本のオウム返しか…

 マクロに多面的に見ることで教訓になる事件だ。