父の安住の地が決まり、ホッとした私。


父が亡くなってから、父のことを思わずにいた日はない・・・


毎日、後悔したり、泣いたり、父の最期を想像しては気が狂いそうに


なったり、叫びたくなったりしていた。



それが、何故だろう?


昨日ふと思ったんです。



言葉としては的確ではないんだけど、立派死だったんじゃないかと・・・


孤独死ではなく、立派死だったと。


葬儀を終えて、私は実家へと足を踏み入れた。


そして、自分が想像していたより、父が相当苦しんだであろう現場を


目の当たりにした。



なんて辛かったんだろう、苦しかったんだろう、一人で看取られずに


可哀相に、申し訳ないことをした・・・


亡くなって以来それしか頭になかった私。



でもね、可哀相だと思ってしまうと、父の人生は可哀相で気の毒な人になり、


可哀相な、気の毒な人生となってしまうのではないかと。


父は可哀相な人でも、気の毒な人生でもなかったと娘の私は思いたいし、


思うのだ。



父から連絡がないと心配し、大家に連絡をして亡くなった父を


見つけてくださった会社の方、体調の悪い父に、食べ物屋を経営している


大家さんは「いつでもうちのものでよければ運んであげるからいつでもいいなさい!」と


声を掛けてくれた。


父の兄弟はお金のない私たち、父に代わり、自分たちの香典だけで


葬儀があげられるように・・・と通常じゃありえない程の香典を下さり、


お坊さんを呼んで、最低限の密葬をしてもおつりが出るほどにしてくださった。


嫁いだのに、父の願いを聞き入れて快く納骨堂に父を入れてくれることに


してくれた伯母や、そのために何度もお寺さんと交渉してくれた従兄弟がいて・・・


毎度、同窓会の写真等を送る際に叱咤激励をしてくださった学生時代の友人・・・


これだけの素敵な方々が父のことを想ってくれていた。


父を想い動いてくれた。


父を想い泣いてくれた。


これを幸せな人と言わずに何と言おう。



前に大原麗子さんが亡くなって発見されたとき、テリー伊藤さんが


人は亡くなるときは必ず一人で亡くなるんだ。


誰かに看取られたから幸せで、看取られなかったら不幸みたいなのは


違うんじゃないかと。


その人のトータルの人生で見てあげないと・・・


と言うようなことを確か仰っていたのであるが、そうだよなぁ・・・と


思う。



父は生前、会社の方が「娘さんに連絡して何とかしてもらった方がいい」


と言って、自分が連絡してあげるからと言ったのに


最後まで教えなかったと大家さんが教えてくれた。


あれだけの最期を迎えるにあたり、その直前は相当苦しんでるはずなのに、


父は誰にも連絡をしていない。


新聞を5月の3~4日までは取ってるから、誰かに連絡をして助けを求める


事も出来たはずなのに・・・


それをしなかった父は、どんなに辛くても、痛くても、苦しくても、娘に迷惑を


掛けてはならないと一人で歯を食いしばっていたのかも知れない。


私なら到底真似できない、あれだけになる前に誰かに泣きついて助けて


貰うなり、救急車を呼んだに違いない。


それが父の生き様なんだ。


これを可哀相と言ったら逆に可哀相な気がしてきた。


私は、この壮絶な生き様を父から教えられ、ある意味、立派と言うか、


武士道のような生き様を見せ付けられたような、そんな思いがしたのだ。



私は、この生き様をずっと記憶し、父が遺したメッセージを受け止めなければと


思うようになった。


決して、私は自分を正当化しようとかは思っていない。


ずっと、自責の念に駆られている。


何か出来たはず、何でもっと・・・なんでこうなる前に・・・


けど、父は自分の命を削ってでも、娘に迷惑を掛けるまいとしたのだ。



だから、遺された私たちがこれからしなくてはならないのは生きることだと。


父が生きれなかった分生きて、そして父にとっては孫である私の子供、


妹の子供を立派に育て上げるのが何よりの供養であり、望んでいることなんだと。


それをせずに自ら命を絶ったり、悔やんでずっと後ろ向きに生きて家族がバラバラに


なったり、暗い家庭になっては、父があれだけ辛い思いをしたのがなんなのか?と


言うことになる。



それだけはしてはいけない。


父を失った悲しみはあるけれど、前を向いて歩いていこうとやっと


思えるようになった。



父が生きた証の一つが私たちの存在だ。


父がいたから私たちはこの世に生を受けたのだ。


父の体は灰になったが、父がこの世に間違いなく生きた証が


あるじゃないかと。


そして、その父の証が、私の息子、甥っ子へと繋がった。




そう、父が亡くなってから、友人が心配して電話をくれたり


手紙を送ってくれた。


昨年、お兄さんを亡くした友人とは二人で泣きながら話した。


手紙をくれた友人の母が去年、癌におかされ、そうなって母が


いなくなるかも知れないと怖くなり、パニくっていろいろ考えたと


書いてあった。(でも、今は治ったそうだ)



自分の親とか兄弟ってどうしてか無敵と言うか、人が死ぬのは


100%なのに、そんな日が自分にはこないような気がしてならなかった。


けど、別れはやってきて、そして、あ~すればよかった、


こうしていたら!?と思い、後悔の日々を送ることになる。



身内を亡くして初めて後悔のない人生を送らねば!!と


気づかされるのである。


言いたいことは思ったらすぐに!


そのうちには・・・出来るだけなくそう。


会いたいと思ったらお金や、時間の心配をするより会うべし!



亡くなってから悔やむ後悔ほど辛いことはないです。


私もこれからの人生、そういう後悔を出来るだけしないような


生き方を出来ればと思いました。



父を亡くして、本当にいろいろな事を学んだ気がします。


それもこれも父の最後の教えなんでしょうね・・・