テーマ《「願望実現」、その極意とは?》

 

はじめに

 

こんにちは。

ご無沙汰しております。ガブリエル・クロです。

 

寒くなってきました。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

 

12月に入って、もう9日💦

 

なのに諸般の事情により、記事更新ができずにおりました。

 

また書き始めますので、よろしくお願いいたしますニコ

 

 

 

 

「悟り」と「願望実現」の関係

 

以下、ヤヤコシイことを書きますびっくり

 

 

最近、メンターと思って私淑している方々が、奥深い内容(悟り・非二元)を語っておられます。

 

私も、数年間ほど気になっていたので、学びを深めているところです。

 

 

私ごとですが、「悟り」の域に進むというか、戻るつもりで、今世のキャラクターを演じながらここにいる・・・と思っています。

 

 

しかし、何をしに来たか…ということでは、それと同時に。

 

 

もう一つ。

 

読者の皆さまに、あるいは身近な方々に、

 

「願望実現」の奥深い意味を知ってほしい…との「願望ドキドキ」も持っています。

 

 

というのも、「願い」を持ち、何とか実現させたい❗️という思いがある方々は・・・

 

 

逆説的で皮肉な感じさえしますが、「悟り」の域にまで到達する必要があるからです。

 

 

そこまで至らないと、「願望」は遥か彼方に手の届かない所にあるままです。

 

あるいは、叶ったり叶わなかったりと。

 

 

 

この言い方には、かなり無理がある…とは、思います。

 

 

「悟った」人が、がむしゃらに願望を追求するイメージ?

 

どなたも描けないですよね。

 

 

願望などという、エゴの渇望感とは対極の位置が、まさに「悟り」でしょう。

 

 

なのに、この人、なぜ「悟り」と「願望実現」を関連させようとしているの😕❓

 

 

そう思われましたよね(⌒-⌒; )?

 

 

願望実現に関連して、諸説いっぱい、山ほどあります。

 

 

しかし「引き寄せ」とか「潜在意識活用」とか、そのような言い方では限界がある。

 

 

むしろ、「人間が、自我を超えた意識でいれば、願ったことは現実として体験するしかない」のです。

 

 

これが「願望実現」のたったひとつの極意とも言えます。

 

 

私の言い方に変えると、「魂の大元の意識と同調すれば、この現実の世界でも、その波動と同じ体験が広がっていく」のです。

 

 

このことに、私はなぜか興味がありましてびっくり

 

 

「願望実現」に魅入られた方々は、幸いにも「悟り」を意識せざるを得ないことに…です。

 

 

そんな方々は、そこに辿り着くために、願望実現への渇望という体験を今回のスケジュールに入れてココに来た⁉️ 

 

そんな感じさえします。

 

 

加えて言えば、「悟り」、それは「自分を無くす」、「虚無的に生きる」ことではない。

 

「真我の声に沿って生きていく=至福」ということです。

 

それは「自我の自己実現」とは一線を画した、とても自由で、自然で、心地よい生き方なのです。

 

 

 

既に叶っている現実を体験する

 

ただ、「叶えたいから➡︎ 悟りたい」の方向性では、無理ですよね。

 

 

「悟った」結果、叶っている満足した、そんな現実に生きるのですから。

 

 

「悟って」しまうと、願望は遠くにあるものではなくなる。

 

この現実こそが、望みの状態だった…となるからです。

 

あるいは、さらなるミラクル、不思議も起こるでしょう。

 

 

 

追加ですが、望みの現実は、わざわざ骨を折って作り出す必要はない。

 

 

既にある多くの可能性のバージョンから、意識を合わせて選ぶだけでよい。

 

 

これは、パラレルシフトとも言えます。

 

毎日の生活の一瞬一瞬に、パラレルシフトの機会が散りばめられています。

 

この辺りは、体験・体感することで腑に落ちます。

 

 

 

呼吸瞑想〜いいですね

 

必要なのは、「自我(エゴ・思考)」と一体化しないこと。

 

一日中そうであることはできないでしょう、生きていますので。

 

ただ、一日中そうである「視点」を保つことはできます。

 

ブレても、戻ればいい。

 

 

その訓練には、多くの方々がおっしゃっているように、「呼吸瞑想」が有効ですね。

 

あるいはマインドフルネス瞑想でしょうか。

 

 

もし、まだ始めていない方には、かなりお勧めです。

 

今、私も自分自身で体験中です

 

「エゴの観察」の視点を保つことができるようになります。

 

 

 

本当は、呼吸器の弱い私は、最初から諦めていました。

 

咳き込みが強いので、呼吸瞑想はできないナ…と。

 

せめて日常生活の中で、「今ここ」に在るよう意識していよう、と。

 

 

しかし、呼吸瞑想の重要性を知るにつけ、「喘息が〜汗」とか、言ってられなくなりました

 

 

そして、完璧でなくても、行えると確信できました。

 

ですから、たとえ呼吸器の弱い方や、完璧主義の方でも。

 

できるところから、始めてみることをお勧めしますヨ❗️

 

 

※ 何度かお勧めしている「ku式・呼吸瞑想動画」👇

 

 

※ ご自身でおこなう呼吸瞑想ではないですが、こちら「静寂の花』もイイですよ👇

 

 

まとめとして

願望実現と悟りは、表裏一体かもしれません。

 

穏やかに「ああ、願いは既に叶っていた」という境地。

 

と言いますか、

 

「幸せだ、至福だ、歓喜だ」という現実を体験していく。

 

 

それは、「もうダメかもしれない」「命さえ危うい」「死んでしまいたい」、というような…

 

そんな、かなりの恐怖を越えた時、体感でき始めるのかもしれません。

 

 

夜明け前の、一番暗い時期を体験なさっていても、夜は明けます❗️

 

 

 

そして、現実とは、自分の内面の投影です。

 

ですから、どんな自分であるか、どんな内面であるか。

 

そこがポイントなのですよね。

 

 

絶望感に襲われても、内面を平和にしていくという偉業。

 

そこに挑戦なさってください❗️

 

 

大丈夫❗️

 

望む現実は、既にある、あらゆるバージョンの現実がある❗️

 

望む現実は、わざわざ骨を折って、作り出す必要はない❗️

 

既にある多くの可能性のバージョンから、意識を合わせて選ぶだけでよい。

 

 

 

呼吸瞑想などで内面を整えて生きれば、大丈夫❗️

 

とは言え、瞑想で何とかしようと思わず、「一切の期待」を外して生きれば道は開ける❗️

 

 

 

12月最初の記事、またもや抽象的な話になりました。

 

後日、具体的にも書いていこうと思います。

 

 

 

すべての方々とすべての生命が、

 

より豊かに幸せにお過ごしになれますよう♡

 

 

 

 

 

 

⭐️よろしければ、お願いいたします。

 

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