家への道 | あらかんスクラップブック

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60代の哀歓こもごも

まだ、このパソコンは生きている。

かなりイカレテきているが、死ぬまで待つことにした。

年末から、買い物ついでに複数の家電量販店に行き、今と同じメーカーの同じレベルのパソコンの値段を調べた。

Windows10のPCがだんだん安くなり、今ではWindows11搭載機が2か月前の10と同じ値段になっている。 急いで買わなくて良かった。

それで、死ぬまで待つということで落ち着いた。

 

とりあえず、3Gガラケーをスマホに替える。 ネット対応はこれで間に合う。

デジタルとどう向き合うか? デジタルというのはバーチャルな世界だ。PCを始めてから30年近くなる。最初はIBMのブラウン管のやつだった。

それから当たり前のようにPCライフ。これで5代目。 でも、スマホは必要を感じなかった。四六時中、インターネットとつながっている必要はない。

バーチャルがあたかも真実であるように、ネットがフェイク化し、ウソ情報が見分けられなくなった。 ウラをとっていないニュースが横行し、支配されるようになる。

この分厚い本をせっせと読んでいたから、ネットのニュースもTVニュースも情報番組ともしばらく遠ざかっていたが、それがなかなか快適だった。 

ニュースは悪いことばかりを伝える。 殺人、火事、事故、汚職、詐欺…。石川五右衛門じゃないが、「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種はつきまじ」。退屈だ。 そんなものを追いかけてもバカみたい。

政治もコロナも飽き飽きした。

それより、うさぎのはるちゃんの動きを追ったり、畑で霜柱の割れ目から芽をだした球根を発見したりするほうが新鮮だ。

もう先が短い人生は、バーチャルなんかにかまっておれないのだ。

量より質。 くだらないものに時間を費やしたくない。

 

コロナで仕事や住宅を失った人たちが、携帯料金をはらえず、携帯が使えなくなってますます困窮している。 コンビニなどの無料wi-hiもなぜか最近減った。 ネットで食料支援や派遣仕事を探して、やっと生き延びてきた人の命の火を断ち切ることに等しい。

国連は「インターネットは基本的人権のひとつ」という。 デジタルテクノロジーは、生活を一変させた。 でも、人間はアバターが代わりに生きるわけにはいかないのだ。 人間は生物で、他の人間とつながって、群れで助け合って生きる。 AI、メタ、アバターと機械は進化しても、人間の生物進化はそれに合わせることは不可能だ。格差や無関心でネットが人を分断させて不幸な人を大量生産させてるのが現実だ。 それにおっさんばっかりの政治や企業は、デジタルで個人情報を駄々洩れさせる。 

 

シリコンバレーの頭脳明晰な人たちよ。 さんざん独り勝ちしたら、そのテクノロジーは人々に還元すべきだ。 インターネットは世界中どこでも無料でつなげることはできないのか? パソコンもTVのようにプラグを入れれば使えるようにはできないのか? スマホの端末も高すぎる。私みたいな年金生活者がインターネットを利用するのに利用料を月に1万円も取られるなんて搾取以外の何ものでもない。

 

そこで、テクノロジーから降りてしまったアイルランド人の本を読んでいる。

マーク・ボイル「ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした」

               紀伊国屋書店

 

著者は私と同じ年代で、人生の前半はデジタルがなかった世代。

29歳の時に3年間お金なしで暮らした経験をもつ。「金なし男(the maneyless man)」と呼ばれた。

今度は携帯電話、パソコン、テレビ、洗濯機、電動工具、時計、ガスコンロ、蛇口の水も、いっさいない暮らしがはじまった。電気や化石燃料で動く文明の利器をいっさい使わずに、仲間と建てた小屋で自給自足の生活をはじめた。貨幣交換も拒否している。
火をおこし、泉の水を汲み、人糞堆肥で野菜を育て、鹿を解体して命を丸ごと自分の中に取りこむ。地域の生態系と調和した贈与経済の中で暮らす1年間、今も続行中。

これが、アイルランドの自然と相まって、けっこう大変だけど、身体を動かし、知恵を巡らし、やることは多様で、無料のゲストハウスも運営していて、人との交流も多い。

行ってみたくなった。 飛行機を使わず、陸路か海路でとある。 日本から行くには時間がかかりそうだ。

原題は「THE WAY HOME」、家への道だ。

 

29歳のときの体験記もおススメする。

「ぼくはお金を使わずに生きることにした」 

 

YouTubeもあった。世捨て人ではないことがわかると思う。