もう、11月15日。七五三だぜ。
最近は、神社にも行かず、フォトスタジオで衣装をきての撮影だけで済ませる家族も多いとか…。 伝統行事ではなくて、単なる和装イベントでも、子どもの成長の記録にはなる。
少子化で子どもの数は減ったけど、果たして子どもは今日日、大切にされているのか? 同調圧力やいじめ、ただただ権力に対して従順な人間を育てるだけの教育。 子どもお断りの公園とかレストラン…なども一般的になってきた。
昨日、時間に余裕ができたので、「ほんとうのピノッキオ」というイタリア映画を観に行った。
ピノキオは、ディズニーのアニメが有名。
そうよ。「星に願いを」の世界。 素直で冒険好きなピノキオ。
ピノキオを作って、やがて人間の男の子になるように星に願いをかけた木工職人のジェベットじいさん。
どこかで見た顔だと思ったら、「ライフイズビューティフル」のロベルト・デニーニ(監督・脚本・主演のオスカー俳優)だった。
このジェベットじいさんの貧乏が中途半端ではない。 着ているものはボロボロで不潔。食べ物がなくて、木の鉢を削って食べている。
仕事もなく、近くの食堂に行き、お客が食事をしているイスやテーブルをゆすっては、「これは修理が必要だ」と店主に叫び、それに根負けした店主から一皿の食事を恵んでもらうのだ。
そのジェベット爺さんは、手に入れた丸太から売り物を作らないで、子どもの等身大の人形をつくる。 ピノッキオの誕生だ。
それは、繰り人形ではなく、命を吹き込んで人間のようにしゃべる。
命を吹き込んでくれたのが妖精。
ディズニーでは、ブルーフェアリー。
これが、「ほんとうの…」では、
ターコイズブルーの髪。 どこかで見た顔だ? エンドロールでマリーヌ・ヴァクト! フランソワ・オゾンの「17歳」の俳優。
大人になったんだね~。
その他、ネコ、キツネ、コオロギなども、「ほんとうの…」では、俳優がやっている。
ねことキツネ コオロギ
カタツムリなんて、背負っている殻もナメクジ部分も濡れていて、特殊メイクやCG、衣装がアカデミー賞候補になっているのが納得できる。
すごい労作で、見る価値はあるのだが、お話はほぼ原作通り(私の記憶が正しければ)。 映画としての創作性はないが、ピノキオをディズニー解釈している人は、「ほんとうの…」を観ることをお薦めする。
ピノキオのイメージ壊れてもいいんだよ。
ほんとうのピノッキオは、人間になりたいという願いをもって冒険するただの自由奔放でやんちゃな男の子ではなく、実は、いいかげんな性格で、誘惑に弱く、大人の言いつけも忠告もアタマにはない、出たとこ勝負なガキだったんだ。 それでも、周りのいい大人たちに助けられて、冒険は成就し、奇跡を成し遂げる。
子どもというのは、努力や義務や責任を押しつけようとする大人から自由であっていい。 むしろ、そんな大人たちから逃げろ、冒険しよう。それは残酷かも知れないけど、命を終える頃になると、美しくなつかしい…。
日本の晩秋の行事の七五三も、子どもの成長を願う大人の心は、「希望」といったものではなく、「哀愁」ではないのか?
イタリアでは大ヒットしたという。 ダークファンタジーは、意外とイタリア的? でも、映画の最後、ピノッキオは「マンマ(お母ちゃん)」ではなく、「パーボ(お父ちゃん)」と野原を駆け寄ってくる。
ピノッキオは、ギレルモ・デル・トロもネットフリックスでアニメ版を製作中。 ディズニープラスでは、ロバート・ゼネキスの実写版を近日配信とか…。 なぜ、今、ピノッキオなのか?
木偶の棒に命を吹き込んでくれたのはパーボ(創造主)でも、人間にしてくれたのは、冒険の途中で助けてくれた大人たち。助け合って生きるのだよ。
…考えすぎか?