コスモポリタンースナフキン | あらかんスクラップブック

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60代の哀歓こもごも

このバラは3分後にまた見たら、散ってた

まだ、22歳のツールツルの女子が、私みたいな65歳以上の引退ババぁに会いたがるのか?

わからないまま、待ち合わせて、3時間もしゃべった。

33回もエントリーし、面談5回で、まだ4月からの就職が決まらない。暖たかそうなオフホワイトのコートに長くてきれいなストレートヘア。

こんな娘が、胸の中に大きな挫折感をもってるとは思えなかった。

 

「私は、だんだん暴力的になってきてるから、あんまり私としゃべらないほうがいいよ」と最初に言った。

唖然としてるので、言い直した。

「人をぶん殴るんじゃなくて、考え方がね」。

 

働かなくなって、同時にコロナで平穏的な日常じゃなくなって、入ってくるのがとんでもない政治情況ばっかりで…。

本を次々と読むようになり、これまで無心でやっていたガーデニングや水中ウォーキングの最中も、読んだ本について考えをめぐらせている。

 

本を読んで思慮深くならないで、暴力的になっていくというのは…、もちろん衝動的な暴力ではない。不思議なことにだんだん絶望的になってきていることはたしかだ。

これまでずっと、「市民的善」やキリスト教的な「隣人愛」の世界にいたような気がする。今でもそうで、「いい人ね」と他人に言われたりするが、「いい人」であってはいけないと自戒するようになった。

 

転向したというのではない。嫌いなもの、軽蔑するものは同じだ。

内向的になったということか?

今までは、群れて世の中変えなきゃというのがあった。でもそれが単なる井戸端会議のように思えてきた。

人間嫌いになったのではない。人間にはずっと興味がある。

だから、本をどんどん読むんだけど、人間の負の部分、怒ってる、悲しんでる、狂ってる…にすごく共感できるようになった。

 

それを「暴力的」と彼女に言ったのだけど…。

現在の22歳にとっては、まったくの意味不明だろうな。 たぶん、私が何を言っても、「言ってることがわからない」と、コミュニケーション不能だろうと思って会った。

 

だから、まず、言い訳の時代背景を語る。

「私が小学校に入ったころは60年アンポ。22歳の頃は、70年安保と言われる争乱期でね。  それから高度成長期で一億総中流なんて時代で、それからジャパン・アズ・ナンバーワン、それでバブルが弾けて…」と言いかけたら、「分かります。私、経済学部ですから…」といきなり、クギをさされてしまった。

そうなんだ。 だったら、今の日本の経済については熟知しているはず。

もう、何十年も不況でしょ。

こういう時代の就活については、就職課に聞いたほうがいい。なぜ、私に会いたがるのか?

 

「なんで、私がこんな目に遭わなきゃならないの?」

あぁ、それも、大学の心理コンサルに聞いてもらったら…。

「何のために仕事をするの?」

「生きていくためでしょ。食べていかなきゃならない。親が死んだあとも」

 

そのために、新卒で正社員にならなきゃと、自分も親も思い込んでいる。 それが苦しみのもとだ。

でも、もし新卒、正社員のキャリアをスタートしても、どうだろう。自分の仕事に意味を見出して、いい人生を送れるか?

自分の仕事は、非正規の人を踏み台にしていないか? 外国人労働者を奴隷扱いしていないか? 自然を犠牲にしてはいないか?

そんなことに気づいたなら、自分も非正規でいたほうがいい人生を送れるというものだ。

自分をいと小さき者として、身を置くという生き方もあるのだ。

尊大になってはいけない。 儒教的な謙虚ではない。 小さい者、弱い者、低い者として身をおけば、負の側に共感をもち、自覚が生まれる。

 

たぶん、ほとんどの宗教が、それが、幸せだと教えている。

文学や芸術も…。 

彼女のスマホの待ち受けがムーミンのスナフキンだった。

「そうだよ。スナフキンみたいな生き方してみれば…」と言ってみた。

「? 何? スナフキン?」

「好きなんでしょ?」

「なんとなく」

 

「脅迫観念に囚われることないって…。 人から押しつけられたものじゃなくてね。 スナフキンは、コスモポリタン、風来坊、デラシネ。 自分にくっついてる周りの環境や概念をそぎ落とせば、いい生き方ができるよ」

納得していないようだった。

でも、人生。私と会うような、こんな時間の無駄もいっぱい経験したほうがいい。

 

先日、書道展の会食のあと、バーで、「若い頃、書けてたものがだんだん書けなくなる」と吐露した人がいて、みんながうなづいた。

ひとりで絶望的になりながらも、筆をとる毎日。 

長寿の書家の字も、書展で「こんなヨレヨレの字を晒せるか?」と弟子たちが止めようとしても、本人はガンとして拒否をする。

これは、ヨレヨレではなく、慣性で書いたものでもなく、自分の絶望への強い意志。書かれた線をたどればよくわかる。

 

バーテンダーが、みんな赤い服を着ているからと、カクテルのコスモポリタンを作ってくれた。 いい赤だねとみんなが口をそろえて言った。

来年もまた会いましょう。 「すばらしい字が書けますように」と乾杯した。

 

 

ライムを添えてくれるように注文したら、「あんたはまた余計なものを(書き加える)」としかられた。

そうだね。 もっと、取るに足りない者にならなきゃいけない。

一人で強くならなきゃいけない。