7月の本のジャンルで紹介した、文化人類学者のデヴィット・グレーバー氏が、9月2日にイタリア、ベネツィアで亡くなった。59歳。
著書の「ブルシット・ジョブークソどうでもいい仕事」(岩波書店)の日本語版が出たばかり。 この本、4千円と高いけど、すごく面白いし、なんかスカッとするので、いろいろな人に薦めていたばかり…。
思想書ジャンルの本のタイトル、それも岩波の本に「クソ」がつくなんて、愉快だし…。
私は最近、チョー(超)という枕詞はやめて、「クソ」を常用している。
コロナ禍の外出制限の生活で、感染リスクを負いながら人の役に立つ仕事について、考えた人も多かったと思う。
医療従事者だけでなく、清掃作業員、運送業、小売り販売、農業、漁業従事者。鉄道、港湾労働者、工場、教員、保育士、介護職…。
グレーバーは、そのような仕事を「シットジョブ」と呼んでいるが、そのような仕事は総じて待遇が良くなく、労働者は搾取されている。
それに対して、「ブルシット・ジョブ}、クソどうでもいい仕事は、このコロナ禍で在宅ワークしながら、忙しくしているだけで、コロナのような緊急時にはなくてもいいのではないか?と思った人も多い。
私にもリモートワーク中に、「何のために、受験勉強をし、就活をし、今、ストレスを抱えて苦労しているのか?」と、メールをよこした高給取りのエリートがいる。
シットジョブとブルシット・ジョブ。 ブルシット・ジョブは管理経営、ホワイトカラーで、もとよりシットジョブをバカにしているし、シットジョブは卑屈になり反発を覚えている。
同じ労働者が分断されて、統治されているということに対して、大げさにいえば、グレーバーは、その文明のあり方を問うている。
なんか、指針となるような人物が消えてしまったので、悲しい。
最後に、動画を紹介します。
声にも話し方にも、暖かい人柄が伝わります。
仕事は、「我慢料」。 生活費を稼ぐために、好きでもない仕事をしている人は多いが、やっぱ違うだろ…。
自分の好きな仕事、自分に合った仕事をすれば、人生どれだけ幸せか。 どんな仕事でも、この仕事はミスマッチだという人は存在する。
自分に合って、好きなことで苦労するのは、人間的な成長ができる。
そして、みんなが好きな仕事をすれば、十分現場でやれるので、管理したり評価したり、予測するだけの仕事はなくてもいいのだ。
ブルシットジョブは無意味になり、なくなる。
そのためには、ベーシックインカム制度が有効かもしれない。仕事を貨幣価値で決めるのは、政治的なバイヤスがかかっている。
私は、決して、デスクワークや介護の仕事は好きではなかった。
農業とか、落ち葉をかたづける仕事とか、ホームセンターの園芸売り場とかがいいな。
もっと、若い時に気が付いていれば…な。
なんか、若い時に宇沢弘文さんの「社会的費用」という経済学の本を読んで、目からウロコだった。 その時のような感じが、この本と著者にはある。
残念。 資本主義的な経済や社会のあり方前提ではなく、経済、社会、文化のトータルで、語れる人が亡くなるのは、ぽっかり穴が空いた感じがする。