待合室の母娘 | あらかんスクラップブック

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60代の哀歓こもごも

キルサンタス

 

2週間も痰がらみの咳がぬけない。市販薬でごまかしていたが、

仕事休みの日に、やっと病院にいった。

 

診察で2時間も待たされた間、 隣に座っていた高齢者とその付き添いの中年女性のやり取りを、ずっと聴くことになってしまった。

 

どうやら、老人介護施設に入居している母親の通院に、娘が付き添っているらしいという事情がすぐにわかったので、本を読むふりをして聞き入ってしまった。

 

娘は、ふだん、介護施設の面会では、話すことができないのだろう。

ここぞとばかりに、思いをぶつける。

娘「あの家は、もう帰れないの。何度言ったらわかるの」

母「追い出しておいて、私の家を取ろうと思ってもそうは行かない。」

娘「病気で、身体もろくに動かないで、人の世話になってるということを忘れないで。」

母「……」

娘「ちょっと具合が悪くなっただけで、私がこうやって呼び出されるのよ。お金を払ってるのも私とお姉ちゃん。」

母「そんなに嫌なら、来なくていいよ。」

娘「よく言うよ。年取ったらおとなしくしてればいいの。 あそこに入ってれば、心配ないでしょ。 もう家のことなんか考えなくていいの。」

母「家に帰りたい。あそこは嫌だ。人に気を遣って、じっとしてるの嫌だ…」

娘「私もお姉ちゃんも、それしかできないの。無理言ってごねて、いい身分ね。 アタシらのほうが、もう嫌だ」

母「一人でやっていけるのに…。家に帰りたい」

娘「それは、もう決めたこと。 転んで動けなくなった、ボヤ騒ぎ、もう忘れたの? オレオレ詐欺には騙されそうになるし…。 ママも納得してあそこに入ったの。 お金を出してること、忘れないで」

 

こういう会話は、施設に面会にきた家族と入居者で、よく交わされているのかもしれない。 この母は、個室ではなく、相部屋らしくて、話すチャンスがこのような場所になってしまったのだ。

 

30分ほどたつと、疲れてしまったのか、母娘とも居眠りを始めた。

娘がさきに眼を覚まし、母の身体をゆらす。

「順番が来るといけないから、起きてて」

 

それでも、母は眠ってしまう。 

寝たふりをしてるのか…。

 

やっと、呼ばれて、娘は、母を促し、杖を渡すのももどかしく、母親の脇をかかえて立ち上がる。二人分のバッグをあいてる片腕に通し、杖を握り、2,3歩歩くが、診察室のドアを開けられない。

 

私が、ドアをスライドして、看護師に引き継ぐ。

 

この母娘には、会計を待っているときに、再び遭遇する。 また、言い合っている。今度は、受験生をかかえた親の立場がいかに大変か、娘が一方的に訴えているので、どちらかというと、母のほうが寡黙だ。

 

高齢者の一人暮らし。家族がもう「限界」と判断し、施設に入る。

高齢者自ら、施設を選択することはほとんどない。 

家族は、「近所に迷惑をかけたくない」、「何をやってるか不安だ」で、

室内に監視カメラをつけたり、センサーなどで、安否確認をする。

それなら、いっそう、施設に入れて…と考えるのも、無理はない。

 

しかし、私はあえて、一人暮らし側に立つ。

 

人は長生きするのが目的で生きているわけではない。 

家族から自立し、ひとりで老いていくのを楽しむ。  

退化する体力や能力に対しては、自分で工夫して、試行錯誤するのもいい。 それは冒険みたいなものだ。 

 

老人の時間は、現役世代の時間ではない。

人手不足の施設のタイムスケジュールや、見知らぬ他人に合わせていては、自分の人生を送れない。

 

そういうことを理解して、 高齢者のペースに寄り添ってほしいな。

せめて、会計からタクシー乗り場までの杖歩行。 

お母さんは、いつもと違うカーペット敷の床をあるいてみたいのだよ。

 

せっかちに杖を取り上げないで、娘さん。

老人をタクシーに乗せること。 子どもを浪人させないで大学に入れること…。

教育や福祉が家族、とくに女に押し付けられている。 そんなのに乗っかからないで、自分のかけがいのない家族自身がどうしたいのか?…と考えてほしいな。

 

あ~ぁ、娘さんが押し込むから、お母さん、タクシーの座席に頭からダイブしちゃった…。

大丈夫かな?