IBF日本の創設者

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池田久会長

2011年6月8日

前立腺がんのため亡くなった。73歳だった。

本日は、49日のために

05:00 起きて、一路奈良へ

JAL 101に乗り

06:30 羽田発に、07:35大阪伊丹着

バスにのり、JR難波駅に

09:00 近鉄線にのり、学園前に

長男の奈良市議会議員 池田のり久氏が迎えに来てくれる

11:00 49日の法要が始まる

会長のひとりごと

 

途中、となりのとなり田村栄敏がいびきをかいている

となりの新垣論が注意する

思わず笑いが

無事法要が終了

13:00 ステーキハウス 一番で会食を

むかしのOBたちが集まり懐かしい

すこし、IBF日本を紹介しよう

奈良の御大将が、今までのボクシング体制に不満を持ち

WBA・WBC

次の勢力団体IBFが出来、池田氏が承認を取り付けるが

日本ボクシングコミッションが認めず、現在に至る

1983年12月10日

日本IBFが大阪城ホールで初めての興行を開催。

ジュニアフライ級とジュニアバンタム級の世界王座決定戦を行う。

日本から出場した新垣諭、春日井健の両選手は揃ってKO負け

新垣は脳挫傷で病院送りとる

1984年4月16日月、新垣がエルマー・マガリャーノを8RKOで下し、

IBF認定の初代世界バンタム級王者となる。

1986年7月1日 亀田昭雄がテリー・マーシュの持つ

IBF世界ジュニアウェルター級王座に挑戦するが、6R TKOで敗退。

1985年に名古屋で行われたIBF日本の興行で

バトル川上(川上正治・奈良池田ジム所属)がバトルホーク風間ジムの

1986年6月には、ロバート・リー立会いのもとに新日本プロレスと業務提携。

その提携第2戦目として、1987年3月26日に

新日本プロレスが大阪(大阪城ホール)で開催した「INOKI闘魂LIVE PART2」では、

南浩文に塚田敬が挑戦したIBF日本ライト級タイトルマッチ(10R)が行われた

(3R2分40秒KO勝ちで、王者・南が防衛)

1987年4月28日、レオン・スピンクスを招へいして、名古屋(愛知県体育館)で

IBF中部日本協会設立3周年を記念した興行を開催。

スピンクスはWBC全米大陸ヘビー級王座(第5代)の初防衛戦(12R)を行い、

ジェフ・ジョーダン・同級8位(米国)を2-1の判定で下し初防衛に成功した。

2004年11月、IBFプロボクシング協会、

IBF日本国際ボクシング協会を新たに発足。

従来のジム加盟制に加え、欧米式マネージャー加盟制を採用。

2003年9月6日に京都府亀岡市(ガレリアかめおか・コンベンションホール)

において開催した「IBF日本チャリティーKOボクシング」を最後に、

日本IBF関連の興行は行われていない(2010年現在)

もう、30年前の話だ

4月には、池田氏から電話を貰い

IBFの30周年を計画してたが、会長の死亡により、計画は中止

残念な話だ

新垣論、初代IBF世界バンタム級チャンピオン

沖縄県立沖縄水産高等学校に入学後、

1981年のインターハイのライトフライ級決勝戦で、

青森商業の玉熊幸人に判定勝ちを収め優勝。

高校卒業後に船員になる予定をキャンセルし、

1982年に上原康恒、古口哲、山口圭司、三谷大和と並ぶ

日本プロボクシング史上最高タイ記録の契約金1000万円でプロへ転向した。

だれも知らない、世界チャンピオン

JBCも早く、IBFを認定して

この新垣の世界チャンピオンを認めてほしいものだ

田村栄敏

1998年1月16日、大阪で行われた

IBFアジアバンタム級王座決定戦に日本代表として出場、

アルバート・レシィラー(インドネシア代表)に1RKO負けを喫した。

2001年10月23日、同じく大阪で、同王座を保持し続けていたレシィラーに挑戦し、

3RKO勝ち。因縁の対決を制し、IBFアジアバンタム級王座を獲得した。

なお、この間にはIBFの世界ランキ(バンタム級・最高位14位)も果たしている。

その後、死去した前会長に代わり、所属していた大光ライトスポーツジムを継承、

現在は同ジム会長職にある。

この田村氏は、いつも私の餌食になり

リングでいつも倒されてた記憶が

川島志伸 

1985年4月14日 韓国にて

権順天(韓)vs川島志伸(池田)

(IBF世界フライ級タイトルマッチ)

渡辺二郎(大阪帝拳)に反則負けし、

その後1階級を落として新進IBFの王者となった権に、

創成期の日本IBFで活躍していた19歳の川島が

プロ5戦目で挑んだ一戦。
しかしアマキャリアがあるとはいえ、

5戦目で世界を獲得出来る程、世の中甘くは無く、

渡辺を苦戦させた王者の攻撃に、

得意のテクニックは歯が立たず、追い込まれるのみ

3Rにサウスポースタイルからの左フックを決められTKO負け。

撃沈!

この試合は、韓国の釜山で行われた

このときのジャッジは、国際審判員の私が裁いていた

9分で終了
この川島志伸は、世界チャンピオンの川島郭志の兄だ

弟に追い越されてしまって、

地元四国での立場は弟のが上だ

かなしい~~~

問題だらけのIBFは、

会長はじめ、みんな楽しかった

私の池田会長の恩恵を受け

世界タイトルマッチのレフリーを25歳で行い

以後、計15回世界戦のレフリー&ジャッジを行う

たぶん、世界で一番若い国際審判員ではなかろうか

池田会長が、大事にしたIBF

ぜひ、日本でも承認してほしいものだ

会長のひとりごと

会長のひとりごと

食事後、最後に記念写真を

右から

初代IBF世界バンタム級チャンピオン 新垣論

無冠の川島志伸(弟は世界チャンピオン)

なぜか、チャンピオンにはなれず、落ち込む川島

田村栄敏 (大阪の馬鹿ムスコ)

私も知らないたいタイトルの

IBFアジアバンタム級チャンピオン

法事では居眠りを

後ろの方は、池田ジムOB

そして、池田会長の長男

イケ面の奈良市議会議員 池田のり久

そして、わたしと

30年は早いものだ

しかし、新垣・田村・川島と話していると

何を話してるのか理解できず

現役時代、打たれすぎの3人

通常生活に問題がないか、心配だが

もとボクサーと話して理解するのは大変だ

子供には、ボクサーは進められず

なんにせよ、IBF池田に集まってくれたOB

ありがたい事でした

みなさん、ありがとうございました

 

合掌