ちびたんの通う保育園はミッション、キリスト教系。
クリスマスやイースターといった行事があるのはもちろん、食事の前のお祈りといったところで日々、宗教に触れます。
最近、ちびたんはお祈りの全文を覚えて家でも唱えるようになってきました。
私と相方はクリスチャンではないので、複雑な気持ちです。
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先日、保育園の前で推定4歳くらいの男の子がお母さんに向かって
「◯◯(聞き取れず)、ぜ~んぶ、神様が作ったんだよ」
と話ししているのが聞こえてきました。
お母さんは無言。
とっさに返す言葉が見つからなかったのだと想像します。
その子は「ぜんぶ、神様がつくったんだよ」と繰り返しますが、なおもお母さんは反応できず。
そのうち「かみさまー、かみさまー」と連呼しはじめ、続きが気になりつつ私はちびたんを迎えに園内に入ってゆきました。
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神様が作ったのが例えば「建物」とかであれば、大人になれば事実を知り訂正されるのでよいのですが、「世界」「人間」など答えのないものだったとすると、世界の不思議に対して小さい頃に回答を埋め込まれてしまうのは避けたいというのが私の想いです。
何かを信じることが生きる力になることは確かです。
でも同時に、違うものを信じるや何も信じていない人との対立を生み出すこともあります。
ちびたんは違う信条を相対化し共存できるようになってほしいし、そのためには「答えは決まっている」ということを最初に埋め込みすぎない方がよいと考えます。
出会った世界をまずそのまま感受して、やがて自分でその解釈が色々とあることを見つけ出してほしい、と親としては願います。
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なお、保育園自体は職員はよい人ばかりで運営体制もしっかりしていてとても満足しています