こんにちは。公認心理師の石川美樹です。
今年の暑さは、昨年の記録を更新したとか、、、、。
窓越しにいるだけなのに、日焼けして顔が黒くなってきた、、、汗
さて、本日のブログは、
【安心が欲しいけど実は怖い?】
というタイトルでお届けしようと思います。
私たちは日々、安定と安心を求めています。
無事でいること、予測できる未来、そして心地よい日常は、誰もが望むものですね。
しかし、この「安心」という感情には、実は複雑な一面が隠れていることがあり、それは、安心を求めること自体が私たちにとって恐怖の原因になりうるということです。
安心を求めるあまり、過剰に計画を立てたり、あらゆるリスクを排除しようとし、安心を阻害するような不安をしらみつぶしに探したりします。
これが逆に、未来への過度な恐怖を生むこともあるのです。
安全策を講じることで、一時的に心は安らぐかもしれませんが、心の奥底では「もし何かが起こったらどうしよう」といった不安を常に持ち続けてしまうのです。
ですから、安心を求めよう求めようとすればするほど、
不安に注目し、結局、それが生きづらさの原因になったりするのです。
また、幼少期の経験も、安心が欲しいのに実は怖くなる原因の一つとも言えるでしょう。
幼少期の安心安全は、養育者と言われる大人であり、通常は両親であることが多いのですが、
その両親のどちらかが、安心安全を与えてくれない環境(DVやネグレクト、毒親)だったり、
子供が安心を求めて母親に泣きついても、それを拒否したり、
「あらあら、お兄ちゃうなのに恥ずかしい」とか、
「そんなに泣いてばかりだと捨てちゃうよ!」など、
安心を求めても、
→ 求めた先に恐怖や不安が待っている
という経験をしてしまうと、大人になっても、
安心が欲しいと言いながら、
無意識に、求めた先に恐怖や不安をその度に思い出して、安心が怖くなってしまうのです。
「素敵なバートナーと結婚できたたら、私はもっと安心して生きることができるのに、、、」と思いながら、
結婚の話が具体的に決まって、安心が手に入りそうになると、結婚が怖くなったり、本当にこの人でいいのかなと不安になったりするのは、幼少期の経験が大きく関係するのです。
安心安全。
本当の意味での安心安全を手に入れたいですよね。そのためには、
幼少期の養育者との関係の中での《安心安全》をどう経験したのかを、振り返ってみると何かヒントが見つかるかもしれませんね。