★とらわれて夏
流産を、自分の体に裏切られる、と表現したときに、胸がつまった。
そして、人を誉めたり認めたりすることは、ひとつ人間としての次元を上にあげることなんだと思う。
本当に俺の子なのか、と懊悩したトラウマがあるから、絶対に自分の子ではない存在にたいして、ある種の安心感を抱き、心から愛してあげられる。
過去にとらわれていたけど、今は隣に誰かがいる。その状況は、安心してよいもの、らしい。
親が性に対する事柄を実子に伝えるのは、どこの国どの時代でも、紋切り型であると同時に、情緒や感覚を言葉で伝えてあげるというのも、親にしかできないことであると思う。


★スペースアドベンチャーコブラ
男気を参考にしたくて見たけど、案外悲しい。あと、コブラの声優が松崎しげる。
ボソッと呟く声とかは本当に男の色気を感じるが、叫んだりするとなんか幼さが出る。でも、不思議な魅力の声だった。
作画が死ぬほどよくて、もう台詞とかいらないんじゃないかってくらい。
あと、想像力が爆発してる。ロボットや葉巻やライターに仕込まれたギミックとか、何故か燃える馬に跨がる美女とか。あと惑星の爆発が、黄金の紐のようになって爆発するイメージとか、とてもよい。
でもおっぱいに星マークつけるのはどうかしてる。
敵はなんかわからんけど隙あらば高笑いしてて非常に好感がもてる。でもなんでお前はクリスタル「ボーイ」なんだ。馬鹿にされてるぞ。


★プラトーン
あのポーズをしっかりやりたくて、みた映画。
戦争が起きないように努力するのは大事だが、努力してても起きることは起きるだろう。戦争が起きているときの極限状態でどのようにいきるか。それが大切で、フランクルの夜と霧を思い起こさせる。
ベトナム人からみたベトナム戦争の映画ってあるのかな。
ヘルメットに葉っぱつけただけのベトナム人っていう描写がなんか、ステレオタイプっぽい。


ウィレムデフォー、妙な美しさある。
バーーーーーンズ!!


チャーリーシーン、名前はしってたけど、プラトーン以外そんなに大作でてないね。麻薬のスキャンダル多いからか?


便衣兵(べんいへい)とは、一般市民と同じ私服・民族服などを着用し民間人に偽装して、各種敵対行為をする軍人のことである。 国際法違反であり、捕虜となっても裁判にかけられ処刑される。


ちからを持って、相手を脅す、殺すことがよしとされるなら、僕も同じことをするかもしれない。戦争映画を視るときはいつもそういう気持ちを持って鑑賞してる。
ナチスがアメリカに変わっただけ。


誰かがいってたが、ここまで仮想現実がクオリティ高いものになってるんだから、命を奪い合う戦争も無意味なことになるのでは?


最初、死体は噛まない安心しろ、みたいな台詞があって、最後の場面でチャーリーシーンが死体の下に隠れるのはささやかな伏線回収だと思った。


形勢逆転の鍵が、たんなるヤケ起こしというのもなんだかねえ…


この虚しさたるや…


★スピード
「さて、家に帰ってセックスでもするか」
「そんなんじゃゲロ吐くだけだよ」
とか
「あんた相当大バカだが、タマはドでかいものぶらさげてるぜ!」
「それは少々下品すぎないか?」
という洒落たやり取りが聞ける映画。
脈絡のない大爆発が大好き。
地球に大穴が開くほどのプラスチック爆弾だ!
笑いとスリルがいい感じにミックスされてる。


★レゴムービー
コミカルな動きを見たくて見た。
口を端によせてしゃべるってなかなかいいな。
いろいろパロディあったけど、量産型の兵士はゼイリブのパロディか?
そして最後はインターステラーのようないくつものレイヤーが重層的にかさなるような不思議な感覚に陥った。

★ゴッドファーザーパート2
最初の30分が濃すぎる。
ちょっと元気ないときから見始めたのだが、ひきこまれてしまった。
百パーセントいい意味で「え、まだ30分なの⁉」と驚いた。こんなに濃厚な30分。複数日に分けて見る必要がある。
ファミリーファミリー、言っておきながら、マイケルはビトーからなにを学んだのか?ビトーは自分の家族からなにを学んでのしあがってくのか?
答えは、なにも学ばなかった。腐った世界を直視して、苛立った。だから自分の思い通りにしてやる。そういう野性的な志向性が彼らを導いている。それはいま、僕が考えてる脚本の助けとなってくれる。血が繋がってるはずの親を信用できず、親からなにも学べなかったということは、逆に親以外の世界からたくさん学べたということだ。
でも不思議だ。この映画は流血や銃撃などたくさんのショッキングな出来事があるはずなのに、仕事とかで不安なことがあるときに見るととっても心が落ち着く。
間の演技。
間、間、間。まったく別の展開が起ころうとも、数直線的な間は担保されている。
ビトーが隣人から銃が一杯つまった袋を渡される直前みたいに。
「彼との婚約を破棄しろ、そうでなければーーーーーーーーーー私は軽蔑する」
なんだ、この間は!
台詞と台詞の間に緊迫感ある間がずっとある。次に何が起きるか、予想できない。


強者がどんどん儲かる理由がわかる映画。
ビトーがニューヨークの顔役のマフィアを殺してから、街の八百屋やアパートの大家が、ただでものや金をくれたりするようになった。それによって実利を獲得できるし、汚れた仕事をすればするほどより畏怖される存在となり、金も儲かっていく。
弱者が強者にむらがって、自分ができることをただで強者にしてしまうから、どんどん儲かっていく。



★華麗なるギャッツビー
たしかに、ストーリーのどこに感動すればいいのかわからない。


あー、これもうムーランルージュの監督(バズラーマン)だわって思ってたらやっぱりそうだった。


すごく楽しそうに3d映像用にガンガンCGやファッションを作っていったんだなあって感じがする。


しかし、ムーランルージュもそうだったけど、なんか尻すぼみ感あるな。


でもなんかこーゆー脳内麻薬的な映像は想起するのによい。


てか、2013年のあの時代にどうしてあれを映画にしようと思ったのか?


どうしてこの時代、この場所で、それをやるのか?っていう明確な意義が見えないものは


なんにせよモヤモヤする「?」だけのこって、作者がやりたかったからなんだろうね、という何の生産性もない


感想しか残らない。


だが、この映画を見ると、あしたか君を思い出す。


てゆーか、“I’m Gatsby.”のくだりなんて、もうまんまあしたかくんだし。


ディカプリオがあしたかくんのものまねをしてるとしか思えなかった。


2時間半、あしたかくんのための映画だ。

 

★ララピポ
成宮寛貴を観たくてみた。
クズなのに憎めないのは、幼いから。
幼い、純粋さがあるから。ひとつの指向性だけしか見えてない。愚直さがあるからだと思った。
火事のところ、火が出てないのに臨場感あって、演劇の舞台っぽかったな。
煙と照明で火事の場面にしたりするもんな。
あと、性のことをテーマにすりゃ売れるっしょ、みたいな、哲学なき邦画界を憂いたりべつに無関心だったり。



★大脱走
ドイツ軍は、実際はジュネーブ条約に乗っ取り、捕虜としてイギリス軍人を丁重に扱わなければならない。
勝手に射殺したりは出来ない。つまり、イギリス軍人は捕虜と言いつつ、静かに暮らしていれば命の保証はされていると言ってもよい。そして捕虜収容所の所長はそれを望んでいた。
一方、イギリス軍人は捕虜になった後でも軍人として、軍に役立つことをしなければならない。軍に役に立つこと。それはドイツ軍の統制を乱すこと。つまりそれが大脱走だという文章をどっかのブログで見て、なるほどと思うと同時に、結構複雑だなとも思った。
イマジネーション、イノベーションや教養が人命を助けたりすることが史実にもとづく映画によってはっきり示されている。(土を運ぶためにズボンの中に仕込む袋、数カ国語を操れる教養など)
あとは、いかに屈強であったとしても、トンネル掘りの達人で何十回もトンネルを掘ることに慣れていても、やっぱり心が折れるときは折れるということ。
身体を鍛えれば心はなんとかなるみたいなことがツイッターで言われてるけど、あくまで理想論だわな。
そういうふうに、予測不能な、他人の不調に対して、極限状態であっても適切な行動と判断を下せることが、下手したらロボットみたいに見えるかもしれないけど、ほんとのいみで強い心なのだと思う。



★新聞記者
『新聞記者』を観た。
まず、SNSによる情報操作のところが弱いな、と思った。
しかし、質感、特に、命を落とす瞬間でさえ無機質な世界のなかで、それぞれの人間の肌の質感をしっかり映していて、やってることは情報というネットワーク上の概念操作という形而上的なものなのに、生々しさ、生老病死を感じる肉感があった。そのため緊張感が最初から最後まではりつめて観ることができた。


新聞、つか、クオリティメディア(今はもう決してペーパーに限られる時代ではない、もちろんdeepfakeもごろごろ転がってるけども) 
はどう生き残るんだろう。
それは、フリージャーナリストがどう立ち回るかなんだと思う。


地方新聞の衰退がすさまじい中、つい最近茨城の地方紙は綿密な事実検証で自治体のカネ問題をあぶり出し、地方議会が総取っ替えすることになった。しかし地方紙の記者は4、5人ほどだったという。
ジャーナリストを名乗るなら、新聞社の中にいて、本当にいいのか。
その新聞社が圧力やしがらみがないわけがない。
エビデンスに基づいて覚悟をもって、少数または一人で発言の責任を負うことがもっと盛んに行われなければならないのではないか。
実際にアメリカの過疎が進む地域では地方紙のジャーナリストが一人もいなくなった途端、その市長の給料が何百万も高くする法案が出され反対票ゼロで可決した。
別の地域で取材をしていた記者がその情報を聞き付け、スクープにしたという。
「市役所に一人でもジャーナリストが出入りしてくれればこんなことにならなかったのに」
と、その地域の公務員は言ったという。
この映画の新聞記者も、大勢じゃなく、少人数でなんとかしようとする。
新聞社という巨大組織も政府と同様に大きすぎるがゆえにどの部分(構成員)がガン細胞かわからないまま責任の所在もわからず壊死していく危険をはらんでる。
それならジャーナリスト個人個人が"新聞社"になるべきでは?
もちろんパトロンが必要で、そのパトロンが本当に永遠に中立かはわからないけど。
考える材料にはなる映画だった。
どんな社会派の映画も嘘があるのはしょーがない。
問題は映画や小説などの作品という鏡をつかって、どんなふーに自分の頭の中身を写すのか、どーやってじぶんの中身を見返すのか、これがもっとも大事だ。
政治や社会をテーマに用いた作品では「国」という言葉は


僕にとってはすべて「家族」に置き換えられる。置き換えられてしまう。


僕にとって家族というのは、男女関係と同様またはそれ以上に脆くて価値のないものに成り下がる、きわめて不愉快な観念でしかない。
家族っていいね、って思ったことがない。
みんながそうだと思ってたけど、違った。
単なる血縁者がひとつの空間にいる、機能不全の共同体でしかない。


血縁関係にない人間からのほうが、血縁者よりも自分を認めてくれる、受け入れてくれる。そういう経験があまりにも長く続いてるから、温室育ちの人々は、僕の家族観を認知の歪みというが、実体験の伴わない幻想が認知だというのならそれこそが歪んだ価値観ではないか。


そして映画の最後の無言のシーケンスは、


言葉なんて役に立つと思う?


という挑発を感じる。


そうなのだ、ここまで言を尽くしても、全くの無駄死にであることもままある。


★ブロークバックマウンテン
バイだから叩かれる、というか、この物語に限って言えば、途中のシーケンスで、こいつらだから叩かれる、と思うほどクズっぽいところがあった。
(養えないから避妊をしよう、俺の子供を産めないなら抱かない、の場面など)


ポンポンポンポン別れと出会いを簡単に繰り返す、美男美女(笑)な展開ではなく、別れ(一時的なものであったとしても)のあとに、小さな別れ、辛い別れがある。
そしてそこに言葉なんか必要なく、むしろそこにその人がいること自体で意味が完成していた。無言の場面がきわめて多く、身体性を味わえるのでその点はとても満足だった。
人間は善悪どちらにもなりうる。同性愛やコンプレックス?のようなものを悪として糾弾し、場合によってはそいつを殺す時代もあった。ところがその同性愛が展開される背景の巨大なブロークバックマウンテンという、人間の対極としての自然は、そもそも善悪が存在しない。現象があるだけ、その現象にたいして何者も評価しない。


1960年代から80年代を描いてるわけだけど、その描きかたのひとつに、車のデザインの進歩があって、おお、これ良い描写だな、と思った。パクるためには何千万もかかるけど…。


ヒースの演技で、セリフと台詞の間に「あれ、これアドリブなんじゃないか」と思うところがあった。
(最後に19になった娘が結婚するって言って「彼はお前を愛してるか」と聞いたあと娘がうん、と言ったあとに横を向いて涙をこらえる場面)
そこがとても胸に辛く、とてもよかった。


★ビッグフィッシュ
極めてパーソナルな記憶が思い起こされたので、ここに書くことではない。
ただ、安心してみることができた。


★ゴジラ キングオブザモンスターズ
#GodzillaMovie
辛口で感想を言います。
百点満点で。


人間ドラマ  3点


最初の一秒に表れる3Dのあの二文字      2000点


渡辺謙    1万点


渡辺謙の声優 2万点


#KAIJU    2千億点


音楽、エンドクレジット、キングギドラの氷ペロペロ含め7兆点


その他、得点調整の結果
800億垓点です。


もう、明日会社いきたくねえ。


ある瞬間に見せるゴジラの瞳がね、
僕らがまだ小学校にも通ってない子供の時、毎年楽しみにしてたVSシリーズのゴジラの時の瞳なんだよ。


何度泣いたかわからない。
かっこよすぎて。


何度笑ったかわからない。
かっこよすぎて。


最初の2文字を3Dで映画館で観られる時代が来るとは思ってなくて、その瞬間に、子供時代に引き戻されて感動して泣いた。


あと、ゴジラの音楽が流れた瞬間、なんだろ、神性を真正面から受け止めすぎて泣いた。


今回のゴジラの映画は、どんな感じなのかというと、人間ドラマがつまらないと言われているのですが…


ズゥゥウウン…


ズウウウウウウウウウン


ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼‼‼‼‼‼‼💥💥💥💥💥💥💥💥💥💥💥💥💥💥


デーーーーーンデンデンデンデンデーーーーンン‼‼‼‼


今回のゴジラ映画は最初から最後まで上記のような感じです。


最高でした。


彼らはhimself & herself だ‼‼‼‼
背鰭(デンデンデンデンデンデデデデデデ‼‼‼‼‼‼)


僕(仮装大賞の点数ランプだ……)
渡辺謙担当の声優って本当上手いな、声が渡辺謙そっくりなんだもん

 

★ソイレントグリーン
香港での現在の騒動?暴動を思い起こす。
皆で貧しくなればいい、と上野千鶴子は言ったが、皆で貧しくなればこの映画のような未来が待っている。
ソイレントグリーンを食べてる場面がもっとあってもよかったんじゃないか。
チャールトンヘストンは撃たれても死なない。
水とか、お湯とか、石鹸の香りとか、野菜の味とか、そういう当たり前のものにとても感激する。
そういう演技的な勉強にもなった。
フォールアウトみたいな未来。
ITという当たり前のものが存在しない未来


★銀河ヒッチハイクガイド
地球が早々に爆発する映画。
それが見たかったのではなく、その出来事が起きても、ハリウッド的にすさまじい感情の爆発の演技があるわけではなく、深刻ではない子供の喧嘩みたいなテンションで物語が進んでいく。神的な存在も多数いて、それぞれが自分の職務をまっとうしようとする。
各人間、各知的生命体が、なんらかのシステムの歯車の一部であることを無意識に植え付けられるかんじ。
今、機械化する人間の感情とか人間そのものを考えてるから、何かのヒントになったかもしれないし、なってないかもしれない。
惑星を作る会社の場面で、とても美しい景色が展開されるのだが、それまであんま活躍しなかった主人公が涙を浮かべてる場面が美しかった。
美しいものを見ているその人間もまた美しくなるのかもしれない。

★ファンタスティックプラネット
シュールレアリズム、前衛芸術ってそもそもどんなだっけ、と思い、次の公演のために見た映画。見終わったばっかりだけど、面白かった。たぶん、なんらかの社会的問題の暗喩なんだろうけど、それを抜かして、主従関係が逆転するのは面白い。
人間という矮小な存在が、空の向こうのオゾンを破壊し、何億年もそのままだったはずの気温を何十度も高め、そして月へいこうとする。気持ち悪めの、生殖器をモチーフにしたような生物たちが跳梁跋扈する。
すべての生物が無機質で、死ぬ瞬間だけ生きようとする熱量をかんじる。

★JOKER
JOKER 観た。
割と見やすかった。
もっと重いのを覚悟していたが…。
感想がまとまらない。
事実を知ることで価値観が変わり、行動が変わり、人間そのものがかわる。
自分の人生とリンクする、屈辱的な場面が多々あった。危険な同化効果。
ダークナイトライジングが公開されたころ、アメリカで映画館での銃の乱射事件があったことを上映中に思いだし、
もし、真後ろの座席に座ってる人が、俺の背もたれに拳銃を突きつけていて、発砲したら?
と思うと、恐ろしかった。たぶんそれは、映画の内容がそれほどちからがあるものだったからだろう。
ニートだったとき
食べたいものは食べたいときに食べないと死ぬ
という気持ちを持っていたことも思い出した。
報いを受けろという言葉は狂気ではない、ジョーカーは言わないようなセリフだ。
ちゃんとした感情の論理がある。
コリンファースも、ロバートデニーロも撃たれ死にっぷりがいい


ひとついえるのは、
今度まみこちゃんやせきねちゃんと映画観に行くなら、純粋に楽しいのを観たいな…


★裸のランチ
クィアということばが、ゲイとして和訳されていた。
寝とり寝とられる世界ってどうしてこうもむなしいのか。あほくさい、ということばがよくにあう。
笑えるグロ?の感じ。
無職の時の、虫が沸いたことを思い出した。そのときは、布団のなかにも虫がいて、体内に侵食される恐怖わ、味わった。
麻薬では味わえないであろう、逃げ場のない現実としての恐怖があった。
トイレのドアがずっと開きっぱなしなのはなぜだろう?汚いものと地続きの生活ってこと?

バロウズの奥さんはバロウズにウィリアム・テルごっこで殺されたのは事実な訳で、それをこの映画では戯画的に用いている。死者への冒涜などということばは、この作られた世界ではあまりにも薄っぺらい。
1991年、僕が生まれる一年前の作品。
バロウズ自身が、
作家の条件は、一人で何年も部屋に座ってられること、それができなきゃ諦めろ、と言ってる。少なくとも今の僕には無理のようだ。




★バンデットQ
オープニングから良すぎる。まず、タイトルがいい。理屈なしで頭に残る響きだ。バンデッドQ。
予兆は全て音から始まる‼
縄の病気はなおったの?って、子供向けの映画でSM出すところがテリーギリアムだな。そしてショーンコネリー!!!!

いろんな時代をタイムトラベルしてるのに同じ俳優と女優が中世でも古代でもタイタニックのなかでもコミックリリーフ的なカップルがいるとそれだけで面白い

タイタニックのなかの小さな人たちがかっこいい。

僕はあの最後の爆発を、観客への挑発というか、テリーギリアム自身が
「俺(の作品)ってこういうやつだから‼」
って観客に名刺がわりに見せつけてやったんじゃないかなー、って思う。
だって、テリーギリアムつったら
「子供向けっぽいけどどーせ一筋縄じゃいかねーんだろ?」
っていう先入観が、30年以上たった今でも我々に染み付いてるわけだし。

僕はファンタジーはすごく苦手。
ハリポタロードオブザリングもそんなに…なので。なんでもありになっちゃうから。
でも、テリーギリアムの作品であるという時点で、何かしらの「縛り」みたいなものを感じざるを得なくて。其の点の緊張感があったかな。それが面白い。
ハリポタとか、死んだと思っても生きてたり、幽霊になったり、タイムトラベルしたりするじゃんか、なんでもありだから
「どーせなんとかするんだろ?主役の三人は死なないだろ、ほらね」と思っちゃうが
ギリアム作品では例えファンタジーであっても「未来世紀ブラジル…ドクターパルナサスの鏡…」という不穏な、緊張感のある気持ちをどこかで味わいながら観てた。

脈絡のない、因果やストーリーラインからはずれた不条理をしっかり見せる。そういうものもあっていいのだ。

★ターミネーター 新起動
公演とか創作に役立ちそうかなと思って見た。役にはたたないけど、それなりに面白かったんじゃないか?
人類の希望の象徴のジョンコナーが早々にやられるという。
そして、マットスミスはとくに印象もなく。
でも、なんか、アトラクションというか近未来を舞台にしたゲームみたいだった。
一時間半くらいでよかったんじゃないのかな。



★ハムレット イーサンホーク
傑作ではない。
レンタルビデオ屋さんのなかで、例のTobe or not tobe が始まるわけだが、現代の状況で古典を物語るシチュエーション、よく僕がやりそうなことなのだが、印象に残らないわけではないが、はっきりした言葉としての感想にはならないシークエスンスだ。往々にして僕の、特に一人芝居とか、即興のパフォーマンスは、明確な言葉としての感想をもらえないことが多い。明確な言葉をもらえたら、(それこそ、 「味噌汁のなかに虎がーー」みたいなものでもいい)と思う。
隠しマイク、監視カメラ、映像、コラージュ、レンタルビデオ、面白いギミックがもっと生かされてるといいのだがなあ。
ヴィゴツキーの芸術心理学では、ハムレットはなぜ悲劇かということが論じられてる。それは矛盾の重層性だという。
観客は「あー、どうせ王を殺すんだなあ」
という《筋》を前提として持ってる。ところが、挿入されるエピソードは殺人に無関係なことととか、ハムレットのためらいとか、そういう《事実》。筋と事実が全然違うので、矛盾が連続で生じる。矛盾が多ければ多いほど、それは悲劇になる。そして矛盾が解決された其の瞬間は、虚しさが残る。

それと、ハムレットの構成にすごい、と思うところは
ハムレットが「俳優の涙なんて嘘っぱちじゃん」という。
つまり俳優=嘘の存在。しかし、それだとハムレットを演じる俳優=嘘の存在になってしまい、観客は醒めてしまう。
そこで、劇中劇の形をとる。そうすると、王を殺した話を観ているハムレットも現王も観客となる。つまり、俳優とは対極の存在になる。つまり、その時ハムレットたちが、真の存在となる。少なくとも、単なる俳優の状況ではなく、本物の観客と同じ要素を含むから、真の存在に近づく。
とんでもなく恐ろしい計算がされているような、構成だ。

序盤の結婚の場面、記者会見みたいになってたけどあからさまに不自然で、大塚家具か!ともおもった。





★キングオブコメディ
サスペンスかとおもったら、人間讃歌の話だった。
人間は行動が大事だというけど、この話では行動が悪循環を産み続け、再起不能ではないか、と思う奈落の底の絶頂、暗い極致点に到達したときにあの場面がある。
映画の中の観客の喝采を聞いたとき、この映画を見ている僕たちも、彼と同じく安堵し、観客と同じように笑う。
ジェリーを誘拐するヒロインのかおは鼻と口が大きくて、彼女のかおを見ているはずなのに、目のピントが合わないというか、見ているのに顔を背けているような、記憶から消しているような、別の映画で2回目の遭遇を果たしても、そのときには忘れてるような、そんなかおであり、
僕自身もまた、その類いの顔と体なのだ。



★アイアンジャイアント
見てよかった。ダークナイトライジング的な部分もあり。ディテールに神が宿る。しかし演劇はそうでもない。どんなにディテールをしっかりしてても、一瞬で人間が知覚しアナムネシスできる事柄の数には限度があるためである。映画は再生産、再評価されることが前提として社会に存在するから、こだわればこだわるほどよい。
ぶつ切りで見たけど、とってもよかった。

 


★第9地区
この映画自体に最初、南米への差別意識を感じた。が、それはアパルトヘイト製作を反映したものだった。
喋れるエイリアン。
大人向けの寓話のようだ。
みんな勝手なのがデフォルトで当然だ。
他者に期待するな。
だが、勝手じゃない人は大切にしなきゃ。
でも自分だけ勝手じゃないような気がする世界で、誰かに感謝する義理があるのか?

★96時間
いいとーちゃんとダメかーちゃん。
お前を信じる、だが殺す!
いいっすね~
リュック・ベッソン作品はやっぱ短編が強いなあ。96時間っていうよりも、93分だし。
リーアムニーソンの前では、娘以外の存在は全部肉人形だ!つかえつかえつかえ!

★シャーロック・ホームズ
まあまあ普通かなあ。
当時の雰囲気をスピード感もって映し出してるのをみたかっただけだから。それなりそれなり。ジュード・ロウがあまり活躍してないような。吹き替えで観た。
古い城と 鉄骨の大きい橋 が対比されて一つの画面の中に 存在する場面があるんだけれども古い城の方にはオカルト的な敵が いて 鉄骨の大きい橋というのは産業革命とか 科学の力という近代的なものの象徴 に思える。
そうすると古い城 に住むその敵はオカルト的な 力を持っている まさか 産業革命や科学を 使って悪事を働いているという風には 思えないような思い込みを 観客は無意識のうちに刷り込まれる
対比という表現は そのように思い込みを刷り込ませる効果があるのだと思う A と B 両方を対立させて a の中に b の要素はなく B の中にもええの要素はないというような 先入感を抱かせる効果があるような気がした
そういう対比の効果を用いれば観客を裏切って 面白い ストーリーを構築することができるのではないか


★フランケンシュタイン
女の子の死体の演技がリアルすぎる。
周りがとても楽しいのに自分だけ一人絶望に打ちひしがれているその孤独。
全てが完璧な70分。


★ヤング・フランケンシュタイン
終わりかたがよすぎて拍手してしまった。
「私がフランケンシュタインだ!」
といったとき、ジーンワイルダーのほうがモンスターな顔をしている。
とにかく素晴らしい。
1930年代につくられたオリジナルの映画を本当にリスペクトしつつ笑わせてくれる。
死ぬことと性って、タナトスとエロスなわけで、テーマとしてその二つはすごくマッチしてるよな。

★フランケンウィニー(実写)
主役の子がイケメン。
ディズニーよく企画とおしたよな。
どうやってほんものの犬にメイクを施したのだう

★フランケンウィニー
フランケンシュタインの映画は必ず白黒にしなきゃいけない決まりでもあるのか?笑
みんな不気味だからそれぞれかわいく見える。気がする。
この映画もオマージュがすごくいい。
屋根裏部屋ってのがいいよね。
すぐちかくに悪意があるのもよい。
せむしおとこが反抗的なのがおもしろい。
「1回目の実験には愛があった、でも2回目にはなかった。」
「では変数を変えたんだな」
なんていいセリフだ。
シーモンキーに塩を接種させてたおす。本当に科学的な方法をつかって勝つのがすごい
最後の怒濤の展開に、画面を食い入るように観てしまった。フランケンシュタインの怪物と吸血鬼との熱いバトルになる。

★ペットセメタリー
死んだと思ったやつが急に動き出すのは結構怖いね、いいね。
そして脳みそ少年は、なんか、ティム・バートンの作品に出てきそう。
音楽もダニーエルフマンみたいだし。
蘇生後の猫はオーディオアニマトロニクスかな?
蘇生してチャイルドプレイみたいになった我が子と、生きてて元気だった我が子が交互にフラッシュバックされてあく場面がとても悲しかった。
なんか、寂しくなるホラー映画だった

★ミッドサマー
すっげー良かった、、、🌷🌼🌻😊
俗世の論理から離れていく多幸感。

人は生き続けるべきだという自明の価値観も近代の、医学の立場からの考えであって、それが生まれる以前の何百年、何千年の間生け贄文化が世界各地にあったわけだから
人類史としては本当に異常なのは近代以降か以前か、という問いがある

もちろん、その異常さの基準をどこにおくの?という疑問も生じるけど。

ウイルスのような病で大変な目にあっている僕たち人類を振り返ってしまう。
私が昔知り合ったことのあるダンサーは
「癌は治さないで命がつきるのを待つ」
とも言ってたのを思い出す。

ビックリする場面はあるけど、そこまでではない。グロテスクな場面は作り物感があるから見慣れてれば大丈夫。どちらかというと幻覚のような回想シーンがきつかった。

あと、「ファニーゲーム」のオマージュみたいなシーンがあった。
そういやファニーゲームはむごすぎて途中早送りした唯一の映画。

90年に一度のお祭りなのに、あの儀式をたくさん見たと言ってたひとがいたけど、けっこうわかかった。
それがわからない。

吐息とか泣き声とか、目のかすかな動きとか、カラダに浮かび上がる血管とか、シワとか。
そういうものがふんだんに映されたり音として拾われていて、すごく高揚した。

でもねー、最後のダンスというか慟哭の動きは
「おいもっとやれただろうが⁉⁉」
って思っちゃった笑
あんなにたくさんのひとがいたのになあ。

あと、日頃自分が心の片隅においている不安とかがリンクする場面があって
「あー、あるある」ってなった。
視線を感じるとやっぱり誰かが見てる、とか。

でもなんか、本当に素敵な夢を見たような感じ。よっっく眠れそう。
実際見たのは、起きたとき少し残念な気持ちになる夢だったけど。


★ターミネーター4
結構面白かった。
でも、なんかターミネーター2のことが無しになってない?
自分が機械であることを知らないのは、こーゆー世紀末的な限界状況でなければ破綻する設定だと思う。
手が冷たい人は心が暖かいとか、そーゆー描写が描かれてるなら、限界状況でなくともある程度は成り立つかもね。

★フォレストガンプ
僕はなぜか軍隊に合ってた、という台詞ではっとした。
怒りながら誉める軍曹面白い
めちゃくちゃ泣いた。あの、ベトナムから帰ってきたときに女の人と会う場面と、最後の女の人のはかの場面とで泣いた。
歴史は、語られるものによって全く異なる様相を呈する。だからこそ面白いと言える。
最後、あの女の人がやや自己中じゃないか?とも思ったけど、結婚式の場面で、
他の人と比べて何かが足りない人々が集まってそれでも幸せを分かち合える瞬間があるということに、気持ちが動いた。
実家に、アメリカで買ったと思われるルーカスフィルムの本があって、そこに車イスの場面で足を見えなくするやりかたが書かれてあったのを思い出した。今ならブルーバックとかはフツーに個人でもできるようになっちゃった。25年でだぜ?
あと、笑えるところはしっかり笑える。Googleで調べてもこの映画はコメディに分類されるらしい。テンポがいいから納得。

★28日後
最上の愛を込めてあなたを病院にいれました。私たちは先にいきます。目覚めないで。
ゲームをやってるみたいな映画。
全裸という初期装備から始まるし。
例えば背中に傷を受けてても、痛みを感じなければ自分の背中にどんな傷があるかわからない。
クリストファーエクルストンが。タイプキャストから逃れようとしてたのかな。
と思ったがドクターふーのほうがあとか。
まあでもとにかく叫んで観客?受容者をいためつけるのは、いいね。
女性を賞品みたいに扱う感じとか、古代ギリシャの兵隊とそれ以外の市民とあまり変わらない感じとか、人種年齢関係なく全員ゾンビになったら殺す、そこらへんに逃げずに表してた。
ダニーボイルの監督作品だった。最近気になっている。007の監督になれなかったひとだから。もっと絶望的な終わりを期待してたんだけどなあ。

★テリーギリアムのドンキホーテ
観てきた。
これを「意味不明」とする批評家はクビにしたほうが世の中のためだと思う。
一貫して、想像力が他人に伝播するという素晴らしいテーマが描かれているではないか。
最後の場面がとてもよかった。

自分の想像が相手にそのまま伝わるというのは、芸事の継承であり喜ばしい限りのものである、という見方もできる。

【その点で、妄想も哲学もこの映画においては同等の価値を持っている。妄想と崇高な人生を同一地平で美しくて力強く描いた映画を俺は知らない。】

事実か虚構かとか論理性とか「言葉にできる」だの「言葉にできない」だの「わかる」だの「わからない」だの、青臭い些細な問題ではなく
「伝わり、受け継がれていく」それ自体に価値があるのだ。
何故なら忘れ去られないという栄光があるからだ。
もう一度言うけど
言葉にできない、とか、理解できない、とか。
それは無価値な判断基準だし、理解できなくても忘れられないものにその作品がなり得たら、その作品の勝利であり、観客は甘美な敗北者である。

★ホームレス ニューヨークと寝た男
HOMMELESS というタイトルのスペルにはっとさせられた。
自己演出力のはなしなのだ。
「裕福な暮らしをしてるように見えるのが大切」
めっちゃロマンスグレーなのに、ホームレス。
寝床は古いビルの屋上で、他のホームレス同様真っ黒いビニールをかぶって眠る。2ヶ月くらい前に見たかった…
大勝負のときこそサラッとしてるのが大事。
声は優しいのに目が危険。
映画俳優組合のメンバーは健康保険が安いとか、細かい情報が
妙に脳裏に焼き付く。
惨めな人生を打ち明けて、気分をぶち壊さずに済む。
いつも皆に優しくて、ニコニコしている人のなかにも
なんか掴み所がないような感じがする人がいる。そういう人は
寂しさを感じているのかもしれない、僕も含めて。
自分のことを客観視すればするほど、対象としての自分と観察者としての自分の距離が離れるから、自分から自分が遠ざかっていって自分のほんとうの気持ちとかがわからなくなって、世捨て人みたいな要素を持つようになる。
それが人間らしい欲求からも距離を置くことになるから、ある意味俗世を離れたような態度で周りと接してしまうので、じょじょに人から遠ざかっていく。
52歳でホームレスで夢を追いかけてる人間が実在したのだということ。
「世間ではホームレスに同情するべきだというが僕に同情する必要はない。
だから僕はホームレスじゃない。ベッドと屋根がないだけだ」
毎日へとへとになってから屋上の寝床に戻ってくる。
そうすれば、色々悩まずに眠れるから。

これはまさに、契約上・法律上の家を持たない人間の言葉だ。
僕なんかは、「家賃を払っているのだからなるべく家にいなきゃ」
と思って、無駄に家に帰り、無駄に時間を過ごしてしまう。
そういう支払った分だけの利益を享受することを
考えてしまう。

・・・今度また、あーいうことになったら
この映画の話をしようかな。
「ニューヨークと寝た男って言う映画知ってる?
ニューヨークのフォトグラファーの話で、高身長でイケメンの
スーツ姿の52歳のおじさんの話なんだけどとんでもないひみつが
たった一つだけある、何だと思う?」
「えーなに」
「ホームレスでビルの屋上に住んでる」

彼も似たようなもので、見た目とは
裏腹に、オンボロの家に住んでる。

問題は家の外観や
部屋の狭さ広さではなく、主含めて家の中がどれほど面白いものが詰まっているかだ

我々に彼は語りかける
「今度君の家に泊まりに行くよ」
泊まりに来て欲しくなるwwwww

★コンスタンティン
ティルダ・スウィントンがなんだこいつ感あって好き。
理屈が、一回見ただけではようわからんけど、理論が肉体を凌駕するものを見たかったのでまあ良しとしよう。

★リーグ・オブ・レジェンド
超人紳士同盟wwwwwwwwwwwwww
ハイド「ぐあああああ」
ジキル「ジキルです・・・」
もうだめwwwwwww
恋愛要素いらねえからどんぱちやってくれればいいんだよ!!!
ずっと見てたくなるくらい。終わってほしくないいい映画だったwww

 

★ローガン
自分にも来る運命だよな。介護とか、死ぬこととか。
映画的にはかなり低予算だったのでは。それでもずっと圧倒されてみれた。
ディズニー傘下のマーベルには決してできないこと全部やろう、そんな気概を感じた。
あと、バイオショックに近い。倫理を問うテーマがあるのは好きだ。


★天国でまた会おう 
まず、たくさんの仮面が出てくる時点で素晴らしい。それ目当てで観たし。
そして、なんというか不思議な余韻がある。
買収されそうになった堅物の役人が、報告資料にお札を一枚一枚貼ってるのは笑った。拍手しちゃったよ。
この映画でも、とんでもない計画に誘われた人間が一度その計画を断るも、別の悲しい出来事が起きて、やけになってその計画に携わるというお決まりの流れがある。
欲を言えば、主人公と仮面の男の友情がもっと描かれてればよかったかな。
子どもが、顎がない仮面の男の話を通訳できるという設定は面白いし、すんなり受け入れられる。舞台の嘘的な匂いをかんじる。

★TED2
1よりも見やすかった!
ドタバタがくっそくだらねーけど、普通によい作品。


★メアリーの総て
ほんっとつまんなかった。
とりま、ボヘミアンラプソディのロジャーテイラーのベンハーディが出てた。
ベンハーディとトムハーディは親戚じゃないみたい。
映画としてはマジで退屈。
ほんっとこういう
雰囲気優先の作品嫌いだわー。
数日もせずに記憶から消える量産型のドラマもどき。
金と時間返せよ。

まあ、最後の最後、怪物の苦悩に共感する人はたくさんいるだろう、というところはよいと思ったが。最初からぶちギレた、感情的なメアリーシェリーであるほうがよかったのに。

そしてポリドリの立場ももっとフューチャーされてほしかった。


★フランケンシュタイン
ロバートデニーロとケネスブラナーのやつ。
フランケンシュタインにロマンスは一切不要だな。それ以外はすごくいい。原作に忠実でありながら、最後はすごい展開。マジで!みたいな。さすがヘレナボナムカーター。


★ウルヴァリンXMEN ZERO
死亡フラグの女の人。冷蔵庫の女だっけ?こういうの。
あと、マジカルニグロ。
「マジカル・ニグロ」は白人のメインキャラクターを助けるために、自らが持っている古くからの知恵や神秘的な力を差し出す。そして、時には天使の格好さえしている。という役回り。
やってはいけないことを明文化するアメリカ社会において 上記のよう 脚本を作る上でやってはいけないことがラベリングまでされているということは、絶対やってはいけないわけで この映画はそういうシナリオを作る上でやってはいけないことをたくさんやってる。 評価が低いのも頷ける。

絶望にたたされる主人公に、今まで敵か味方かわからなかった政府の役人とかが
「あいつを倒す武器をやろう」
という展開は好き。

ヒュージャックマンのからだって、血管や筋肉がよく動くから、その人の内面の感情からの動きのように思える。そこがいい。


★Xメン ファーストジェネレーション
動かせるのか
もちろんだ、俺が作った

最終兵器はこの私だ

など心踊る台詞が多い。
あと、あのひとがビーストになるとは。
野獣が眼鏡かけてるのはかっこいいね。
向こうでケモナーが多いのもわかるよ。


★Xメン フューチャーアンドパスト
代わりをおごろう、連れがいないなら
悪くない台詞だ。

あと、いつも小さい男は何かの悪役だな。
ロードオブザリングを見習え。
ロードオブザリングといえば、イアンマッケランのガンダルフだけど、マグニートーの時と顔が全然違うと前から思っていたが、顔ではなくて、マグニートーの時はイアンマッケランは三白眼に近くなっている。
役によって眼球における白眼の割合を変えられる。凄まじすぎる。

★バットマンVスーパーマン
バカ映画として見ていたので、「マーサ…」の場面は普通に良かった。
クリプトナイトの存在が、バットマンと一般人の存在意義でもある。
最強無敵のスーパーマンもクリプトナイトという弱点がある。
しかしそのクリプトナイトは普通の人間ならなんの害もない。
だからそれをつかってバットマンは優位に立てるし、
悪いスーパーマンを倒せる武器をバットマンが作れる。
映画に限った設定じゃないけど、この構図は面白いと思う。
あと、怪物の動きは基本的には超サイヤ人だな。
あと、CGとカット割の問題ね。
いっつもこの手の映画では、微細なCGのカットを出す前に別のカットを出すでしょ。
つまり、最後の棺桶の上の土がちょっと浮かび上がるところ。
あの直前に土をかけたルイスレーンが去るシーンがあるけど、あのカットはいらないんじゃないか。
棺桶視点からレーンが土をかけ去っていく。
かかった土にズームして、ちょっと浮かび上がる
このズームして、間があって、ちょっと浮かぶ。
この間が大事なんだよ!!え、なにがあんのあんのあんの
と極限のフォーカスをさせて「おいおいおいww」と思わせる。
画面全体をCGで作らなきゃいけなかったりすんだろうけどそれでもそういうCG前のタメの間がある映画、なんかいい例がないかなあ。


★パラサイト 半地下の家族
精神的にではなく生理的に来る映画を見たかった。のでよかった。

言葉そのものの「薄皮さ」

でも、地下に地下があるところはかなり驚いたなあ。

だからと言って前半と後半で全然違う映画みたいだ、とは思わなかったなあ。

冷たい熱帯魚みたいな感じ。

あとなんか、シャイニングも連想するよね…

でも、映画の中で生まれる悲劇の原因を「社会」に起因させるよりも

自己と他己の肉体に起因させるようなものが、ないなあ。と思う。

それは身体的な差別表現になってしまうから、なんだろうけど。

そこらへんが、映画にはできないけど、演劇ではやれてしまうテーマのような気がする。

リチャード三世といい、お岩さんといい。

韓国映画は生々しさがいいね。肉欲と血傷。そういうものもフラットにみられるといいのだが。

たぶん、あの奥さんは純粋であるがゆえに格差について気づいてないか、高階級意識がなかったんじゃないか。だから、最初においにきづかなかったのでは。夫から言われてやっと気づいたのは、そういう意識や思想を植え付けられたからだろう。

★スプライス 
モンスターは鳴き声が命だな。
あと途中から普通にかわいい顔になってて笑った
小さな体でめちゃくちゃ大きなものとか重いものを投げ飛ばす理由として納得できるのは、からだが小さいからものすごく素早い動きができてその勢いがすさまじいから重いものを投げ飛ばせる。
その点は参考になったけど、それ以外は面白くなりそうでつまんないのの繰り返しだった。 奥さんに化け物とセックスしてるところは見られるし 、 猫は殺されるしで最悪の映画だ。
目が離れてるだけでこんなに不気味で怖い顔になるんだなあ

★ミスティックリバー
次のオンライン演劇の参考になるような気がして野生の勘で見てみた。 当たりだった。
2ch とかでよく話題になる もやもやする映画としてとても有名。
俺の人生って一体何だったんだろうって思いながら殺されていく人間がいるというのは 事実としてあるんだよなぁと思うと 何も言えなくなる。
しかしこのようにもやもやした映画は 人を立ち止まらせて 何か物事やその人の今現在のことを深く考えさせるいい ブレーキのような 感じがする。
こうした悲劇 は 人間の心にとってのブレーキなんだ。
「俺を愛していたからあの娘を撃ったのか」
このセリフはビビって声を出してしまった。
ノーカントリーと 魯迅の故郷をなぜか思い出した。
あとクリント・イーストウッドの映画は、 チェンジリングを見たのは覚えていてあの時も意外な結末だなぁと思った。今回も同様。 子供の顔を蹴り上げる映画は初めて見たか、あるいはすごく珍しいかもしれない


★ハイランダー 
書いてる脚本のヒントになるかなーと思って観たけど、全然参考にならなかった❗
でも、面白いし、何より音楽がクイーンだからヨシ!百万点ですわ

★アンダーワールド
登場人物誰にも感情移入できないまま終わった映画。ラバーボンテージの衣装はかっこいいけど、それ以外はそんなに。
でも、みたら狼男のお話のアイデアなどが思い付いたのでよかった。狼男のことをライカンと呼ぶらしい。
シリアスなおバカになりきれてないからつまらない。本気の熱量を感じたかったのに。
 

★テネット
時間がひとつの方向に流れていくことにたいする、普通のことが普通に起きてることにたいする奇跡を感じた。
悪役がケネスブラナーだったとは。
面白かった、面白かったんだけど、ノーランの映画にしては…。
ノーラン版バットマン三部作とか、インターステラー、インセプションのように
冷徹で繊細な映像のなかに、照れ臭くなるくらいの情熱的なヒューマニズムを感じられるのが、僕にとってのこの監督の作品の魅力だった。
だからこの映画が終わったあと、それこそ、メメントとかを見終わったときの感覚に似てるというか、この監督が、原点回帰をしようとしているのかな、と思った。

「完璧ではない、欠点もあるモルなら信じられたのに」

「どうして戻ってこれたの」
「お前のお父さんだからだ」

「誰だってヒーローになれる、傷ついた少年の肩にコートをかけて世界の終わりではないと励ませばいい」

「人はなぜ落ちるのでしょう、這い上がることを学ぶためでしたよね」
「まだ見捨てないのか」
「決して」

こういう実直に熱くて涙が出てくるような台詞が、この作品には、あっただろうか。

主人公より、ヒロインの方が背が高い。
その点でいろいろ許せた。


★ハードコア
いやーいいね。悪人が男も女もひどい死に様になるのは。とてもよい。
ファムファタルの定義はなんだろう。
あと、主観映像でよくある断片的な記憶にもちゃんと意味があるというか、のちのち伏線になるのもよいね。
どんな映画もクイーンが流れれば名作。


★アンフレンデッド
全員くずなので途中から安心してみんな死なないかなーと思ってみてた。
これがひきこもりのやつの陰キャだったら、すごく同情できるんだけど、みんな酒飲んだ勢いで漏らしたり大麻すったりヤったりしてるので、途中から痴話げんかで、幽霊が生者のヤってるとこの流出映像をYouTubeで流したり、悪趣味でいいなあとおもった。

★ジキル博士とハイド氏 1931年
カメラの前で変身していく顔がマジですごい。。
驚くべき変貌のシーンの秘密は、数十年後になってマムーリアン自身が、ハリウッドの映画監督との多くのインタビューを書籍化した『ザ・セルロイド・ミューズ』の中で初めて明らかにされた。メークにあわせて回転する一連のフィルターがレンズに取り付けられ、メーキャップをだんだん浮かび上がらせたり少しずつ見えなくする効果が得られた。(ウィキ)
とのこと。

1941年のジキルとハイドはそんなに評価されなかったのかあ。
マーチは自らの経歴の中でトレイシーが自分の名声を最も高く吊り上げてくれたことを感謝する、と言う内容の電報をトレイシーにふざけて送っている。

とにかく、ハイド状態の動きのアクロバティック。まるでパルクール。
どんどん変貌していく表情や腕。
なによりも、目の表情が豊かで美しい。

いろんなヒントにはなった。人間の善悪両面という心理学的なテーマがこのジキルとハイドにまとわりつくが、この映画から考えると人間性と本能。
人間と動物の違いとは何か。それは人間そのものへのまなざし。哲学に行きつく。
それをビジュアル化した名作だと思う。

バッハの「トッカータとフーガ二短調」を使ったホラー映画

★REC
スペイン映画なんだね。
太った血まみれババアが撃たれたりぶん殴られたりする映画。
ハイテンションで大変よろしい。
またこどももゾンビ化して憎たらしい大人を八つ裂きにするのでその点は意外だった。
その子を守るような展開になると思ってたから。
「こいつはかまれた、諦めて逃げよう!あいつも噛まれた、逃げよう!」
間抜けな展開だけどテンポとしてはいいかも。テンポははやければはやいほうがいい。



★ハルク
ブルースウェイんを演じたクリスチャンベールに似たエリックバナがブルースバナー。
この時代の遺伝子の中のイメージ映像ってなんで雷がなってるんだろう。
凶暴化したトイプードルを思いっきり木に叩きつける映画
ヒロインが優柔不断で頭が悪くこの映画に必要ないと思った
主人公とヒロインが両方とも自分の実の父親と対決するという不思議なプロットは面白い
アメコミ版のハルクは元々は灰色だったところが印刷機の調子が悪くて ヒーローが 身につけない色として考えられたのが緑だった 緑色なのは偶然の産物だったんだってさ。
あんなデカイ体なのに1回ジャンプすれば何百キロも遠くまでジャンプできてほとんど空を滑空しているようなあの感じは すごくいい。 作り物、モンスター映画の嘘としてすごく 素晴らしい
ハルクのモーションキャプチャーは監督のアン・リーがやっているwww グリーンディスティニー見てみようかな
ダニーエルフマンは作曲する時に監督に「エルフマン調だから駄目」って言われたのが楽しかったらしい。自分もダメ出しされて楽しいと思えるくらいになりたいよ。

★ヴェノム
登場人物みんないい意味でおバカでテンションが高くてとても良い
ヴェノムの方が常識持ってたりする 悪いやつだけ頭を食われて酷い死に方をするのでとても安心して見れる
しかも頭を食ったあと
「うーわやっちゃった」
「あれ気持ち悪いよね」
と自分の体なのに他人事www
Sonyがマーベルスタジオに勝てなくてヤケクソになってつくったら面白くなった映画。
最初の15分ぐらいで 彼女と別れて会社もクビになるのでテンポがとても早くて良い
トムハーディの顔だからとても楽しく見れる。
エディとベノムがボケツッコミをしながら戦うのは面白い。



★フロムヘル
見てる間、結構早く時間は過ぎ去っていったが、なんにも残らなかったのも事実。
アランムーアの原作読んだ方がいいのかな。
昔大学の図書館にあったんだよ。
BOOK・OFFにないかなあ。
アブサン飲みたい。
このときのジョニー・デップにジャックスパロウの片鱗を感じる。


★スプリット
ほんとにつまらなかった。
期待した俺がばかだった。
シャマランはクソの足しにもならない。
精神科医が人質を見つけて 泣き出すんだけどもその背後に この多重人格の人間が出てくるってすぐわかる。このような悪役のためのご都合展開がとても嫌だ
このてのものはやっぱり一時間半が限界だな。
多重人格の人たちに失礼な映画。
でもマカヴォイの演技は魅力的。

★デッドプール2
面白かった。たまにこれくらいハメはずしたものをみるのが健康的だよね。
銃で撃たれて死ぬ部位が心臓に近い左肩だと主要人物が死んでも、観客としてその死をそこまで引きずることなく物語を味わえる。と個人的には思った。

★スーサイドスクワッド
男と女がガチで殴りあう点は、今後の参考になりそう。男がちからわざでガツガツ攻めてったとおもったら、女のほうが特殊能力とかあったりするとどうなるかわからないので面白い。
あと、普通の映画だなあと思ってたら急にボヘミアンラプソディが流れてきたので、よしとしよう。

★アップグレード
久々におもしれーって思える映画だった。真夜中に見たけど目が覚めるような感覚。ブラックユーモアもいっぱいあるし、まさか最後機械が勝つとは思わなかった。



★ジキル&ハイド
ジョン・マルコヴィッチ、そんな好きじゃない。ハイドになったときに声が変わらないのも残念。
どうしても、ケネスブラナーのフランケンシュタインのスピードと熱量ある映画と比べてしまうなあ


★ジキル博士はミスハイド
話も登場人物も薄っぺらいが、展開が早いのとみんななんだかんだ憎めないキャラなのでスナック感覚で見ることができた。
親しい人に正体がバレるくだりは、参考になるかもしれない。
ゲイの人が、ミスハイドとヤって、異性としてしまった自分のことがわからなくなるくだりがあるんだけど、ハイドがジキルだとわかると、やっぱりじぶんはゲイだった、よかったよかった。という部分がある。
すごいゲスイ表現だし今やったら問題ありそうだけど、作劇というかキャラクター造型的な面ではなるほどね、と思った。