大阪の南、摂津国、河内国、和泉国がありました。
その3国の境が「堺」とよばれ交通の要衝で
石器時代からの繁栄が確認されています。
現代、堺市を中心とした地域には百舌鳥古墳群、古市古墳群があり
世界遺産の暫定リストにあがっています。
中でも最長840メートルの大仙陵古墳は、世界三大墳墓と称する巨大さを誇っています。
大仙陵古墳は、通称「仁徳天皇陵」と呼ばれ、古事記・日本書紀の時代から仁徳天皇のお墓と考え信じられてきました。
「仁徳」。仁徳とは「他人に思いやる気持ち」のことです。
徳という言葉は儒学の上で最高の文字と考えられています
後にその名で呼ばれる「おほさざきのみこと(仁徳天皇)」は
「人家からかまどの炊煙が上がっていないことに気づき3年間租税を免除し、宮殿の屋根のふきかえも行わなかった」などの逸話があり
徳のあった政治を行っていたことから、後世に名付けられ現在でも「仁徳さん」と愛されています。
当時の経済政策であった、農業政策に実績があります。
先日、大阪に行ったときに始めてまわらせていただきました。
子供時代の教科書に触れた感じでした。
周りからはあまり聖的な感じは受けなかったのですが、正門からは聖的なエネルギーを感じました。
近年では、学術的に仁徳天皇の陵(皇族の墓)として疑わしいとされ、教科書では大仙陵古墳と記されてます。
亡くなった時期と、建設された時期に隔たりがある。
通常、陵墓は首都の近くにあるのがパターンですが、当時の首都から離れており特定する根拠に欠けているからです。
仁徳天皇陵であるのか、仁徳天皇でないなら誰の墓なのか、古代歴史を解明する上で大きな課題になっていました
しかし、立ち入り調査は行われていません。
上空や周りからのレーザー調査などの外表調査が精一杯です。
それは、明治に入り、近代国家神道を作るときに、尊王思想の強化しようとする考えからで
陵墓に治定されるとその古墳は「天皇の墓」として一切の立ち入りを禁じられました。
国家神道が解体された戦後も現在に至るまでも学術上の調査は行われず、徳川幕府の調査が残っている記録の最後になっています。
その頃には、陵墓の中に畑が作られていたりしていたとの記録もあります。
また、盗掘も行われており、一部はボストン美術館に収蔵されています。
明治5年に最後の調査が行われているものの関東大震災で焼失され記録の中身はうかがい知ることはできなくなりました。
その大仙陵古墳が10月15日に宮内庁が「調査する」と発表されました。
とても嬉しいことです。日本の古代史がより明確に変わるかもしれません
調査が行われるのは「世界遺産に登録できないから」という見方が多いようです
巨大な墳墓でなんとなく価値があるとみんなが思っているのですが
どういうものか明瞭でないからです。
墓なのか、墓だとしたらどの時代のどういう墓なのか
誰がどういう目的で作ったのか
世界遺産には「完全な保護」が必要なのですが
天皇家の墓であり、文化財指定が出来ないなどのクリアすべき点が多いのが現状です。
そのクリアの一つとして行われるようです
調査の結果がたのしみです。
個人的には、仁徳天皇陵であってほしいかな
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