こんにちはおねがい


兄、朝ワーク、毎日頑張ってます。(ピアノも!)


インフルエンザにかかった日も、幼稚園欠席しても、ちょぴっとだけやりました。


一回の分量は大したことないです。5分か10分くらい。『もうおしまい』って兄が言ったら、おしまいにしています✏️


継続は力なりを信じて、毎日歯磨きと同じように、なるべく負担をかけないように取り組んでいるのですが…


たまに、私のエゴなのか、兄へのギフトなのか、わからなくなる瞬間があります


基本的には、河合隼雄先生が、こどもに勉強習慣をつけることは親の義務である(旨の言葉をおっしゃっていた!)と仰っていたことを信じているので、私のエゴ…というよりは、兄へのギフトだと思って取り組んでいます。


内容も、兄が楽しめるもの、自己肯定感が上がりそうなものを選びつつ、苦手なものも少しずつほめほめしながら…って取り組んでます。


昨日より今日、今日より明日…できるようになれば、そこを見逃さず、認めて、ほめて、『いいねグッラブラブ』を押しまくってますスター

兄も、自分なりに『できる!』が増えてることに自信をつけていて、いい循環型社会ができてるように思ってます✨

他の子と比べないで、ひとりで垂直評価できるのが、未就学児のおうち学習のいいところでもありますねおねがい(ブログで出会う異次元児たちは別として爆笑笑い



だけど、そもそも親として兄を『ほめほめ』するのは、『あれやこれをできるようになれ』という親の暗示ということでもあり…無言のうちに、朝のワークを『やらない』という選択肢を排除してる、呪いの言葉でもあるんですよね。(そこを認識しておくことは、大事だなと思ってる!)


そんなわけで、インフルエンザでも(基本的には元気だったから)一緒に取り組んでたんですけど、こんなときまでワークを『させる』のは、私のエゴなのかなって、ちょっと迷う瞬間があったのでした。


親のエゴと、こどもへのギフトの境界線ってどこなんでしょうね!


最近、『こどもに期待しない』ことについてかかれてる記事も読んだんだけど、親が自分の子どもに期待しないで、どうするの昇天はてなマークとも思うんですよ。

元こどもだった自分からすると、『期待してほしい』気持ちと『期待しないでほしい』気持ちって、両方あるんだよね。

日によっても、時と場合によっても違いません?


そこもね、やはり親のエゴからくるこどもへの『期待』と、こどもを励ましたいとか、応援したいとか、ギフトの想いからくる『期待』があると思うんだよなぁ。


そして、その時々、その『境界線』を冷静に判断する自分の眼が必要だなと思うし、日々試行錯誤しながら、ちょうどいい距離感でこどもと向き合って、朝ワークとも付き合っていきたいなと思うのでした。



別件ですが、成長するに従って、兄から、いわれのない憎まれ口や八つ当たりされることも増えてきて、私もかちんときて応酬しちゃうことがあるんですよね。

そういうのも、ちょっとずつ流せたり、適切な対処ができるようになっていきたいなーと思ってます。