これまで後輩とやっていたゼミが、先週からまた四年生だけでやることになった。

 

 

つまり、それの意味するところは…

(*_*)

 

 

卒論を本格的に進めるということ‼︎ドンッ

 

 

 

 

先学期書いた8000字のレポートを膨らまして、20000字にするという作業に入りました。

前はゼイドンについて、八千字書いたけども…。はたしてこれをどう20000字に膨らませるのか。

 

はー、気が重いなぁ…と思いつつ。

いろいろ読んだり調べたりしながら、なんとかアウトラインを提出してきました

 

みんなは2ページ程度だったんだけどいろいろ言われたくないから気が付けば、ドラフトだけで6ページも書いていた…はわ~。

 

 

論はともかく。

熱意は伝わったようで…

 

 

「そこまで好きなら、それで一回書き進めてみては!」

 

 

と、先生も珍しく、すんなりOKをくれました。

すんなり過ぎて、逆に不安だけど(笑)

卒論は楽しんでやらなくちゃね!とのこと。

 

余談だけど、後輩がエミネムの研究をやりたいらしい…。ほほーう。それはそれで、どんな論文になるのか気になるわね。


 

アウトラインを書くために、コンプリートワークスを読み漁ったり(この本超便利!)、今までブログにどんな発見を書いてきたかなーと振り返ったりしていました。

そうしていると新たに発見することがあって、ああ、そうだったのか…と、今更感心することがありました。

(まぁ、それが論文の主張になるんだけども(^▽^;))

 

 

マイケルの作品には宇宙的要素が強いものがたくさんありますUFO

アフロフューチャリズムっていう見方があって、黒人のSF作品には奴隷として生きた歴史をもつことから、「故郷から無理やり連れてこられた」「誘拐されて今ここにいる」というメタファーが含まれており、マイケル作品にもそれが含まれてるのかなー、みたいなことを以前ブログにも書いたはず。

 

けれども、突き詰めて考えてみると、マイケルのアフロフューチャリズムにはもっと違う意味があるような気がしてきた。

「自分はここではない、他の場所からやってきた」というメッセージは共通していますが…そこをさらに延長して…

 

 

「だから、ここにいる人たちとは圧倒的に違う存在である」

 

 

というニュアンスがものすごく強い感じがするのです。

 

というのは、宇宙的要素の物に限らず、マイケルは作品の中で常に特異な存在として現れることが多いからです。

 

スリラーではゾンビや狼男になったり…

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スピード・デーモンではウサギになって疾走したり…


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BADではダリル少年から、いきなりのドレスアップにきりかわり…

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ムーンウォーカーでは車、ロボット宇宙船。
ブラック・オア・ホワイトでは、クロヒョウ。
リメンバー・ザ・タイムでは砂になって、現れたり、消えたり…。
ゴーストでは、骸骨にもお化けにもなる…。

 

 

どんだけ変身しとんねーん!((>д<))

…と突っ込みたくなるくらいw

きっと、マイケルの中では、何かにかに変身する、人間ではない者に変化するということはすごく重要なことなんじゃないかなと思います。


 

人間離れしていて、神がかった自分を演出することや、単にエンターテイメントの追及ということもあると思うけれど…

圧倒的に普通の人とは違う、特異な存在になろうとすることには、何かほかに意味があったんじゃないかなという気がすごくする。

それは、自分がこの社会で何者であるかという選択をすることを、あえてはねのけているようにも見える。

圧倒的な強い個性。

MichaelJacksonはアメリカ人でも黒人でもなく、MichaelJacksonなのである!と言いたいくらい。

ちょっとうまく言えない。

 

Michaelは、「僕は黒人であることを誇りにおもう!」と生涯にわたって言い続けたけれど、はっきりとした黒人賛歌は作らなかったし、黒人歌手であることを前面に押し出して、黒人音楽を追求するということもしなかった。


「シーツなんかこわくない!」という黒人としての歌詞もあるけども…、はっきり黒人の立場から何かメッセージを発する作品を作らなかった。

 

音楽をジャンルで分けることはできないって、言ってたけど。

アメリカの音楽は、単にジャンルで分けるというよりも、黒人音楽か白人音楽か、という人種的カテゴリー分けも強いわけで。

マイケルはただジャンルが嫌い!とかじゃなくて、徹底的にここの側面からカテゴリー分けを無視していたのだと思う。

だから、一度黒人音楽に立ち返って、黒人のための歌を作ろう!なんてこともしなかったんじゃないかな…。

音楽に白人も黒人もないわけだから。

 

自分が黒人であることは誇りに思うけど、世の中に黒か白かの線引きがあることがいやで、だからこそ、音楽や作品の中では、「どこにも属さない存在」であろうとしていたんじゃないかしら。

 

自分がどの人種に属しているか、相手がどの人種に属しているかに過剰に反応するアメリカの社会で、どちらにも属さない道を選ぶということはすごく勇気のいることだったんじゃなかろうか。

肌の色が白くなっていっても、マイケルがJBみたいに黒人賛歌をうたったなら、矛盾とみられるかもしれないけど、一方で「白人になりたい」なんて話は出てきてなかった…かもしれない。病気で外見は変わっても自分のルーツを保ち続けていると賞賛されたかもしれない。



でもMichaelはそれをしないで、中間でいることを貫いたんだよね…。

白か黒かは関係ない!と言い切る選択をしたんだよね…。



 

They Don't Care About Us も Black Or Whiteもなんとなく、人種差別に対する歌とか、弱いもののための歌って簡単に捉えがちだけど。

多分もっと深い思想の元に作られている…。

 

たぶん、マイケルの中では人種差別は、より大きな問題が内包している問題の一つにすぎない。

人種差別がおきてしまう人間の本質とか、人種差別を今なお存続させてしまっている人々の中にある固定観念を痛烈に批判しているんだと思う。


マイケルが一番言いたかったことは、

 

「自分とは異なるものの存在を認めよ。

そして愛せ。」

 

ってことなんじゃないだろうか。

自分と違うから。

理解できないから。

世間的に~っていわれているから。

私が損をするから。

 

だからお前のことは受け入れられない。

 

そういう他者に対する思いやりのなさや、偏見による無知から、人種差別とか、戦争とか、虐殺とかいじめとか、大きくも小さくも、いろんな規模での問題が生まれてくる。


黒人とはこうあるべきだ。

女はこうあるべきだ。

子どもはこうあるべきだ。


その線をはみ出すな。

逆らうな。


マイケルは生涯かけて、何者にも縛られない生き方を実践しつつ、あらゆる固定観念を作品の中で攻撃し、批判して、なくして行こうと努めたのだと思う。

 

マイケルはアウトサイダーに好かれるって、コンプリートワークスに書いてあったけど。

それもなんかうなずける。

いろんなモノに縛られて自由に生きられない人にとっては、マイケルはすごく味方になってくれるんだと思う。いろんな鎖を打ち砕く存在なんだよね。


自分とは違うものに対する理解のなさからくる迫害に、マイケル自身がさらされてしまったことは非常に残念だけど。

人間はなんて愚かなんだろうか(_ _。)

 

マイケルはどんなことがあっても、自分のスタイルを貫いた。

時に誤解されるんじゃないかということもあったけど、それでも考えを曲げたりしなかった。

自分がやりたいように生きた。

 

 

あなたはあなたの生きたいように生きていいんだよ。

みんな好きに自由に生きていいんだよ。

僕みたいに自由にいきろ。

人種も生まれも関係ない。

世間体も、人の批判も関係ない。

君が君で居ることが、君のアイデンティティだ。

自分の生き方を貫け。

信念を貫け!

 

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マイケルの生き方や作品の根底にはそんなメッセージが流れている気がする。

 


ああ、だから私はこの人のことが大好きなんだなーと妙に納得してしまいました。