「トッツィー」2回目観劇でした。


この舞台、楽しい笑いの後ろにたくさん現代の問題が取り扱われてるなー、元の映画版っていつ作られたんだろう?と調べたら、1982年…って40年も前⁉︎ストーリーを読むと、マイケルは舞台ではなくテレビドラマのスターになっていたり、ジュリーのお父さんに惚れられたりと、かなり違うみたい😳テーマはその時から同じなのか、2018年初演のミュージカルからなのか、あるいは日本版が現代を反映しているのかわからないけれど、日生劇場で上演されている舞台は全く古びていない、今の時代の物語と感じます。


演出家のセクハラ&パワハラ&モラハラは、ちょっと話題にしづらいくらいタイムリー。エハラマサヒロさん演じるロンみたいな演出家も多いのでしょうね。ロンのように悪質でなくても、日本では厳しい演出が美談にされがちだけど、それに異を唱えてきたのがいっくんで、稽古場のプレッシャーを無くしたい、戦うべきはそこじゃないと言い続けていました。そんないっくんが座長を務める「トッツィー」カンパニーはとても雰囲気が良いらしい。舞台上のマイケル同様、いっくんは舞台裏で革命を起こしているんだなー、そんないっくんだから、この皆に愛されるマイケル(ドロシー)役が説得力を持つのだなーと感じています。


また女性の生きづらさもテーマの1つでしょうか?ロンにせまられて、それを上手くあしらわなければならないジュリーの苦労…マイケルは女性として過ごす中で、ジュリー、サンディや女性たちの苦しみを知る。体験しなければわからないとせず、想像し、相手の身になる大切さも感じます。


さらに恋愛をめぐる騒動はLGBTQの問題にも通じます。ドロシー(マイケル)を女性と信じているけれども惹かれ、付き合おうと言うジュリー…相手を性別で判断せず純粋。そこにはもう同性愛、異性愛の区別も必要なくて、一番ピュアな恋心かもしれないと思いました。


また恋愛に男女の区別が不用なら、役者のキャスティングにおいても、その人が役にふさわしいなら生まれ持った性別にこだわる必要はないのかも?その点、日本には女形という文化があり、ドロシーのような(男性が女性を演じる)役者がすでにいる(篠井英介さんや加納幸和さんなど)から、もしかしたら進んでいるのかもしれない?なんて考えたりもしました。


笑いながらも、いろいろと考えさせられる舞台です。


今回は終演後の電飾、撮影できました↓


いっくんドロシーパネル、後方のゴミ箱や荷物を隠す板が置かれたけど、場所は同じ…↓