ウィンク愛知で弁護士に無料相談を受けた時に言われたのが、

 

 

 「裁判はあなたが望むような制裁が行われるものではなくて、ここからここまで線を引いて、このラインで和解をしましょうねというものだし、金銭的解決はそのための手段に過ぎないのよ」

 

という言葉だった。

 

その時は自分は絶対に悪くない。会社側は社会的な報復措置を必ず受けなければならないものだという妄念に囚われていた。岡名なんかで自分の気持ちは収まらないと。

 

つまり、裁判の結果や法律が自分を必ず救うものだと思い込んでいたんだと思う。死刑制度の話もそうだ。司法が被害者を救うことは多くはない。一度受けた損ないというものは決して埋まることはない。結局は他者に救いを求めるものではなく、自分自身で解決していくものなのだ。

 

この世は様々な形の暴力が渦巻いている。肉体的なものや精神的なもの暴力は複合的に網の目を張っている。それらから逃れることが出来る人もいるだろうが、何故だか網の目に吸い込まれるように損なわれていく人もいる。だから、嘘やごまかしでも良いから人々は救いを求めて様々な装置に手を出すのだろう。そして、その装置にすら暴力の網の目は張られている。とどのつまり、自分自身がもっともっと強固になるしかないのだ。いや、もしかしたら永遠にその渦の中をさまよい続ける決意が必要なのかもしれない。満たされない気持ちは肥大していく。

 

何かの救いを欲して、この自己確認作業を僕は延々と続けているのだろう。ブログに上げてみたところでこんな自己満足のつまらない文章を読む人は少ない。結局、自分が自分に向けて何かを書いているにすぎず、より強く視野を狭くしているに過ぎないのかもしれない。