気付けば東日本大震災から約10年が経とうとしているが今でもあの時のことは鮮明に覚えている。中学1年生の4時限目の学活の時間の最中だった。突然、ゴーッと揺れだし、時計が落ちて僕らは机の下に潜っていた。まあ、その後地区ごとに分かれて集団下校をすることになるのだが、家に帰ってニュースを見ると津波の映像。家や走っている最中の車が押し流されている映像がニュースで流れていた。まあ、衝撃だった。苫米地英人曰くあれのせいで、日本の国民の殆どがPTSDにかかってしまったとのこと。潜在的にはかなり多くの人がそういう症状を持っているのかもしれない。確かに、3.11以後日本の空気は絶望のようなものに覆われた感じがする。悪い意味で現実を見すぎている感じがした。今でもそう。

こういった天災に見舞われたときに企業は何をすればいいのか。もちろん、迅速な対応であり、リスクを最小化することである。東京電力はあまりにも対応が遅すぎた。メルトダウンを避けられたかもしれない。福島の土地を失うこともなかったかもしれない。そもそも、原発が未だに日本にあることがおかしい。アメリカにいつまでハイハイ言っているつもりなんだろうか。。

日本はとにかく外国と違って決断までに時間がかかりすぎる傾向がある。あれこれ頭だけであちらこちらとリスクばっかり考えていては何も行動に移せない。企業に求められるのはレジリエンスにおけるゼロトラストのもとで最善を尽くすことだ。

今回のコロナ騒動においても、行政の旧態依然とした前時代的なシステムには驚いたのではないだろうか。10万円を配るなんてアメリカや韓国では一週間以内で済むことだ。ちなみに韓国では、次の日には振り込まれていたのだそう。

もはや、日本の国のシステムは壊滅的で企業や地域が代替していくしかないのかもしれない。ただし、国の予算だからこそできる規模のこともある。なんとかして日本の政治への関心を取り戻し、歴史的感覚を取り戻して主権国家たる体制を維持していきたいものである。日本の報道の自由も北朝鮮並み。このままで良いわけがなかろう。そのためにも、女性議員もこれからもっと沢山出てきてほしいし、儒教的な概念や慣習を変えていき、もっとアメリカのようなフラットな横つながりの社会を創出していくことがこれからの世代に必要な課題ではなかろうか。僕もこれに貢献できる何かをしていきたい。そのためにも、地域社会の単位・コミュニティは取り戻していく必要がある。日本は戦後、経済成長の論理ばかりを優先させて、地域社会をことごとく破壊していった。今日本は人口は減ってきている。もう人間中心の社会にする必要性はなくなってきているだろう。もっと生物の多様性を重視した自然豊かで伝統と調和した町づくりをしていきたいものである。そのためにも、職人芸を侮ってはならない。経済論理で職人たちは窮地に追いやられてきた。もう、そんなことに付き合う必要はない。何が大事かもう一度よく考えてみるべきだ。

職人たちが満足に能力を発揮できる環境の整備が求められる。

企業もこれからはもっと職人の技術を重視するシステムには変革していけばいいのではないだろうか。日本にベーシックインカムが根付き無理して働く必要がなくなれば、企業は安心して無能な社員たちをリストラして人件費を抑えることができるだろう。そうすれば職人たちにあげる給料分も高めることができるのではないだろうか。

職人たちが総力をあげて社会づくりに取り組めば必ずや予想以上の見返りが結果的についてくるに違いない。