札幌の学習塾アポリア数学工房塾長hen-aporiaのブログ

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札幌の数学塾なのか。
それとも、札幌の物理塾、化学塾。
あるいは、札幌の国語塾、社会塾。
さては、札幌の英語塾、古文塾?
譲れぬものが、あるのか無いのか。
それとも、現在が永劫回帰なのか。
自問自答は続きます。
そして、新たなジャンルを勝手に開拓します。

 令和になった。


 思えば、平成は散々だった。


 バブルからコンプライアンスへと、大きく時代とか個人の在り方が変わっていった気がする。


 オレの大嫌いなヤンキーやヤクザ文化から、オタクやボッチ文化への変化。


 そして、教育者などいらない自己管理=自己責任学習へと、大きく変わるとき。


 いやいや、こんなの当たり前だ。


 学ぶなど、自己選択の極みとでも言うものだ。


 関心がないということは、才能がないということと同義で、与えられた自由を謳歌する者。


 そして、こずるい利己心も、競争がなくなれば、人間の予定調和となるだろう。


 (逆に言えば、「仁」とか「善」は、実は戦争をもたらすものだ。) 

 実際、方程式とか長さの測量とか、実地で行う者には、数学はとっても役に立ちます。

 

 なので、そういう人間には、そういう教え方をするのです。

 

 

 

 たとえば、2次方程式で、判別式など扱いません。

 

 それどころか、解の公式すら使うことを禁じます。

 

 そして、虚数など存在しません。

 

 つまり、実数解以外は、解無しです。

 

 

 

 そして.、sinA2+cosA2 =1 など使いません。

 

 すべては、三平方の定理により具体的に計算します。

 

 さらに、正弦定理は、sinA = a/2R です。

 

 そして、余弦定理は、cosA = b2+c2ーa2/2bc です。

 

 実際に、点を取ることが使命なら、これがベストなのです。

 

 そして、実際に計算を仕事で生かそうとするものにとっても、これが最強です。

 

 

 

 

 数学とは、定規を使って図をいかにつくるかってことなんです。

 

 オレは、小学に入る前とか、小学のときにしきりにやっていたことなんで非常にわかります。

 

 図を使って実際に仕事をやる人間は数学家、理論だけで人間の間を浮遊しているのが自称数学好き。

 

 このエコが敷衍する受験生のほとんどは、自称数学好きなので、定規は使わずに理論的=思弁的な数学がふさわしい。

 

 それでこそ、新しい vertial humanity の先駆となれる。 

 

 (先駆者なら、プレミアムでいっぱい!)

 

 光合成とは、CO2 からグルコースを生み出すことでもあるが、そもそものエネルギー源は光だ、

 

 光のエネルギーで、水を水素と酸素に酸化還元して、そのエネルギーで炭素同化を行っているらしい。

 

 であれば、根本的なエネルギーの源は太陽光であり、これを使えばいいだけだ。

 

 

 

 そこで、E=hv である。

 

 つまり、光電効果を起こせばいいのだ。

 

 真っ黒い鉄板を敷き詰めて、そこから電流を回収すればいいはずだ。

 

 何てことはない、実に単純な仕組みだ。

 

 

 

 そのはずだ。

 

 

 

 しかし、それではまずいだろう、いやまずいはずだ。

 

 それは、今までのエネルギー収支が崩れて、地球全体を死に追いやるだろうからだ。

 

 今まで、反射して宇宙空間に逃げていたエネルギーを回収してしまうのだから、それはもう恐ろしいことになるはずだ。

 

 たぶん、砂漠だなんて恐ろしいところじゃなくても、たとえば、冷帯全体ででも、黒い鉄板で光電効果を起こさせれば、それだけでも、たぶん地球は滅ぶのかもしれない。(しかし、あくまで人間とかにとってであるが。)

 

 

 いや、光電効果なんてものじゃなくても、熱エネルギーを回収するだけで、問題なく地球はアウトだ。(もちろん、主に人間にとって。)

 

 あくまで、推測に過ぎないが。

 

 計算に基づくものではない。

 

 

 

 ただ、直感的に、こんな札幌とか、あるいはもっと北のヨーロッパとかでさえ太陽光発電をやってるという事実が最早すべてを物語ってる、ように思える。

 

 

 

 そして、これらを踏まえて、エコ教育とやらの必要性を非常に感じるのだ。

 

 エコとは、人間が意志を持たなくなることだ。

 

 つまり、管理されたエゴだ。

 

 

 

 

 正直言って、なぜみながこうまで青チャートとかを崇拝し、それにかけた時間と気力をどんどん捨てていくのか全くもって謎だったが、これらを思うと実に納得がいく。

 

 あれは、あの青チャートは、新しい世界のための福音書なのかもしれない。

 

 数学という名の思考停止を促し、助長する、人間の福祉のための書であるのだ。

 

 青チャートは、光を跳ね返す白い鉄板だ。

 

 生徒=これからの人類の精神に塗られた白い塗料みたいなものだ。

 

 

 

 このように皮肉めいて言ってはいるが、実に理にかなってると感心しているのだ。

 

 オレは。

 

 そして、思う。

 

 この先例をどんどん広めてほしいと。

 

 この島弧列島のみならず、いやこの実験地を踏まえて大陸へと。

 

 このユニットはいい。

 

 このユニットの曲はいい。

 

 このバンドが現れたときの緊張感は大したものだ。

 

 しかし、ふとレイザーアモンと鬼奴のを画像なしで聞くと、意外に変わらないものだと気付いた。

 

 

 

 

 曲がいいのだ。

 

 だから、或る程度の歌唱力があれば様になる。

 

 もちろん、レイザーアモンと鬼奴の気迫はかなりのものだ。

 

 しかし、それが本物のボーカル(ソプラノサックス付き)にあまり遜色ないというのは、結構な発見だ。

 

 

 

 勿論、本物の「目を閉じておいでよ」は、全然違う。

 

 で、何が違うかと言うと、ギターとドラムだ。

 

 このとんでもない本物が、その目つきこそが全く違う。

 

 本物はここにあった!