小学6年生の頃、
私はふたつ結びのおさげ髪にしていました。
もちろん、毎朝自分で。
私に髪を切らせようと
執拗に言葉による圧力をかけても
うまくいかなかった毒親は、あるとき
「もういいかげんに髪を切れ。一か月以内に切れ。」
と言い出しました。
それを私が無視したままひと月が過ぎました。
すると、毒母は文字通りの実力行使に出ました。
というのは、つまり、
学校から帰った私を
力づくで引きずるようにして
美容院に連れ込みました。
私ももう6年生でしたので、
もし、本気で抵抗したなら、
たぶん母と腕力は拮抗していたと思います。
そして
商店街の中で母娘がむんずと組んで
動かない状態が
永遠に続いたと思います。
でも、私の中には、
夕方の人通りの中で
周囲の目にさらされ続けることへの
恥ずかしさがありました。
同級生もどこかにいるかもしれないし。
それで私の方は、恥ずかしさで、
途中から力をゆるめてしまいましたが、
それでも引きずられる形で美容院に入りました。
今でも、
「あの時の母は恥ずかしくなかったのか」
と不思議です。
12歳の娘の髪を毒親の好きなように変えるために
いやがる娘を商店街の中を引きずっていくんですよ??
「いやがる幼児を医者に引きずって連れていく」のとは
意味合いが全然異なります。
毒親って本当に何を感じ、何を考えているのか
わからないな,と思います。不気味です。
「今でも」というか、
毒親育ちを自覚した「今だから、なおさら」
そう思います。
母は私を美容院のいすに座らせると、
いわゆる「ちびまるこちゃんのおかっぱ」を注文しました。
美容師さんが私に同情して
少しだけ注文より長く切ってくれたので
後ろに刈上げ部分はありませんでしたが、
それでも、
漫画の登場人物のようなおかっぱの子は
現実のクラスの中には、他にいませんでした。
その日の夜、
髪が短くなった私を見て父は言いました。
「おお、やっと短くなったな。
待てよ、あの髪を売ったら、いくらになったのかな。」
母は、
「そんな、髪を売るなんて…。中国の田舎じゃあるまいし。」
と答えていました。
その日その時、私が何を思ったのかは覚えていません。
たぶん、無意識のうちに、
何も感じないようにしていたんだと
思います。
私は生まれてから
父が16年ほど前に亡くなるまで、
父とまともに会話した記憶が
ほとんどありません。
父との断片的な思い出をつなげても、
「大人の男というのは、
何を考えているかわからない、
突然不機嫌になったりする人」
という程度の理解しかできないままに
私は大人になりました。
実際、おじさんと呼ばれる年齢以上の
男の人が(政治家でも、コメンテーターでも)
テレビで話しているのを見ても、
その表情からは、
「本音では何を考えているのか、
怒っているのか、楽しいのか、悲しいのか、
まったく読み取れない、
そんな自分は何かおかしいのか」
と思っていました。
その為、
就職活動中も、入社した後も、
「おじさんと呼ばれる年齢以上の男性」ばかりの職場で
「自分は一挙手一投足どうすればよいのか」
「自分が今やっていることは、これで正しいのか、
何か不手際があるのではないか」
と恐れ、極度に緊張していました。