「毒になる親」という言葉を

初めて知ったのは、

はっきりとは覚えていませんが、

10年以上前のことだったと思います。

 

その時は、

「親が毒になるって、

そんなことがあるのかしら。

それにしても、ひどい言い方ね。」

みたいに思って、

大して気にも留めませんでした。

 

自分が子どもの頃から抱いていた

「どんよりとした陰鬱な気分」や、

「生きづらさ」は、すべて、

自分の弱さやふがいなさ

(「不当な扱いを受けても、自己主張できない」

「傷つくようなことを言われても言い返せない」

「自分が我慢しさえすれば、

周りが円満になるんだから、

それでいいやとあきらめる」

「本音は違うのに、

相手が自分に期待していることを

反射的に答えてしまう」

etc.)

が原因なのだから、

受け入れるより他はないと

思っていました。

 

これも10年以上前のことですが、

こんなこともありました。

 

日本とは異なり、

思ったことははっきりと言葉にする

オープンな国民性のある国の人と

いっしょに仕事をすることになりました。

 

出会って数日で、その人に言われたのは

「あなたは、

ずいぶんとコントロールの強いご両親に

育てられたのね。

それがお母様なのか、お父様なのかは

わからないけれど。」

という言葉でした。

 

この時も、

「毒親」という言葉を初めて知ったときと同じで、

私は「なんて失礼なことを言うのだろう」

と、目を白黒させるばかりでした。

 

自分がどうしてそんな風に言われたのか、

まったく理解できませんでした。

 

今から思えば、この人の

「ずいぶんとコントロールの強いご両親」

という見立ては、

まさに図星だったのに、

自分の成育環境に疑いをもつことなど、

当時の私はまったく考えていませんでした。

 

もしかすると、

私たちの世代では、

「自分の親が毒親である」ということを

自覚しないまま、

「どんよりとした陰鬱な気分」や、

「生きづらさ」を

自分の運命か何かであるかのように

受け入れて生きている人が、

少なくはないのかもしれませんね。

そんな気がします。