「愛情」の反対は「無関心」だとマザー・テレサが言った、
そんなことを若い頃にどこかで読みました。
そして、それはマザー・テレサが活動していた環境において
真実なのだと思います。
機能不全家庭に育った私には、
「愛情」の反対は「支配」のような気がします。
そして、毒親というのは
子どもを一人の人間として認めず、
自分勝手に子どもを支配し、
子どもに決定的なダメージを与えておきながら、
「自分は子どもを愛している」と信じているものらしい。
それも、私の母について言えば、
「本当は何か違うのかもしれない。」と
心の奥底で感じる一瞬がたまにあったとしても、
未熟な自分と向き合うのが面倒くさいから
すぐにその違和感に気付かなかったふりをして、
相も変わらず自分勝手な子ども支配を続けている、
そんなふしがある気がします。
母自身、幼い時に産みの母を亡くし、
継母に育てられた人です。
血のつながらない弟、妹たちといっしょに
戦前・戦後に幼少期を過ごしたのだから、
寂しい思いもいろいろあったのだろうと思います。
継母に対して複雑な思いを抱いていることも
母自身から聞いたことがあります。
いわば「継母クオリティ」で育てられたのだろう、と
想像しています。
(すべての継母というものが、「継母クオリティ」
で継子を育てているとは思っていません。
温かく包み込むような愛情をもって継子を育てている方も
たくさんいらっしゃるはずです。
ただ、私の母が受けた愛情は「継母クオリティ」だったようです。)
私の母が、私の母ではなく、あくまでも他人であったなら、
「気の毒な生い立ちの人」として接することができると思います。
でも、母が私の母であることは動かしがたい事実なのです。
・・・ということは、
私自身が「継母クオリティ」の愛情しか知らない人に
育てられたということなのです。
ここで、大きな疑問が湧いてきます。
私に対する子育てが
「継母クオリティ」だったのは必然だったのでしょうか?
世代間連鎖は止められないものだったのでしょうか?
私は、「違う」と思います。
母だって、小学校、中学校、高校で学んでいます。
自分の実家以外で人間関係を築き、
よその家庭を垣間見、
人と人との間に生じる温かな気持ちを知る機会は
あったはずです。
私ほど転校は多くなかったので、
友達作りは私より有利だったはずです。
本当の愛情は相手の自由を奪って「支配すること」とは相容れない、
と気付く機会はあったはずです。
でも、母は気付くことができませんでした。
世代間連鎖を止められませんでした。
必然ではなかったはずなのに、
私は自分が「継母クオリティ」で育てられたということが、
悲しく、さびしいです。
実の親に育てられたのに、その子育ては
「継母クオリティ」だったということが、
くやしいです。
私は長い間、
「自分を大切にする」とはどういうことなのか
理解することができませんでした。
ペット扱い、家畜扱い、奴隷扱いで支配されて
育てられたのだから、
わからなくても仕方がなかったのだと、
今は自分を赦してやります。