もっと早く、

自分が機能不全家族で育ったことに

気がつけばよかったと

思います。

 

自分の家の雰囲気が、

よその家とは大分違うらしいこと、

そして、

入浴・洗髪の回数制限など、

学校であまり聞かれたくないような

独自なルールがあることは

子どもの時から、気がついていました。

 

でも、

それは父親の仕事の関係で引っ越しが多く、

家族の誰もが学校や地域で、

よく言えば「お客様」、

悪く言えば「よそ者」としての関係しか

築きづらい状況にあったという特殊事情のためなんだと

思っていました。

 

「自分の家がよその家と大分違うのは、

当たり前のことなんだ」

と思っていました。

 

←今思うと、

「当たり前などでは全くない」ですよね。

「短期間で転居を繰り返すこと」と

「家庭内の独自ルールの存在」の

間に必然性はないですよね。

 

 

友達の家のことを羨ましがっても、

「よそはよそ。うちはうち。」と

片付けられたのは、

まあよいとしても、

 

父の仕事に転勤が多いことについて、

それは

「会社で父が認められているからだ」

というような説明も

家では聞かされていました。

 

それで私は

「自分の家がよその家と大分違うのは、

当たり前のことなんだ」

「そして、それはきっと、

家族にとっていいことなんだ」

と思っていました。

 

そして、家族の殊勝な一員としては、

「家庭内の独自な恥ずかしいルールは

決して学校や外に漏らしてはいけない。」

と思っていました。

 

でも、それは私の勘違いでした。

 

アラフィフでようやく気が付いたこと、

それは、

よその家とは大分違うと感じていた自分の家が、

機能不全家族というものにあてはまるということです。

 

そして、自分が物心ついた

小学生のときから感じていた

「どんよりとした陰鬱な気分」と

「生きづらさ」の原因が

毒親による周到なマインドコントロールに

あったということです。

 

気付くのが遅すぎです。

 

10代、20代、30代、

それぞれに人生の分岐点となる場面がありました。

 

健全な愛情ある家庭で育っていたなら

身に着いていたであろう

自己肯定感や、周囲への信頼、

そして、危険なモラハラ人物を察知する能力。

 

それらがあの時の私にあったなら、

間違いなく違う道を選んでいました。

 

わざわざ自分から、

自分のそれまでの努力を無駄にして

自分を不幸にする道を選んだりしませんでした。

 

「私の人生を返して!」

と、親に言えばよいのでしょうか。

 

それとも、

50年も気が付かずに生きてきた自分に?

 

もっと早く、

自分が機能不全家族で育ったことに

気がつけばよかったと

思います。

 

10代、20代のうちに気が付いていれば、

「私の人生を返して!」

と空しく心の中で叫ぶことは

しないで済んだことでしょう。

 

(主人と結婚したことは、

当時は自信はなかったのですが、

私の数少ない「正しい選択」の一つだったと

思っています。)