手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。


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まず最初に、西武ライオンズ球団の公式な発表として「大久保2軍打撃コーチ解任」のニュース。
な、何だ!?となったところへ、「東京スポーツ」紙の記事。しかし媒体が媒体だし(汗)そのまま鵜呑みにも……と思っていたら、他のスポーツ紙や夕刊紙にも載り始め、各紙とも内容に殆ど違いはなく。
そして「解雇」のニュース。球団が発表した経緯も、これまでの報道ほど詳しくはないというだけで、大まかにいえば同内容でした。
という、述べられている事柄がみんな本当だとするならば、「大久保とは一体全体、何て困った奴なんだ!」ということになります。
ただ、本人と直接面識のあったという人のコラムなりブログ記事なりを見てみると、特に横暴だとか粗暴だとかいう印象じゃない、確かに人よりちょっとうるさくて押しつけがましいところはあるけれど、基本、気のいいあんちゃんだったよ……という声も複数あるんですよね。
大久保前コーチ自身、「コーチとして不適切な行為はしていない」と言い切ってもいるそうですし。
ツイッターでhanochinさんから「事実は1つでも、真実は人の数だけあるんでしょう」という言葉を頂いて、ふっと思い浮かんだのがこの絵本でした。
となりのせきの ますだくん (えほんとなかよし)/武田 美穂
¥1,260
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元気いっぱいの男の子、ますだくん。彼は決していじめっ子でも乱暴者でもないんです。でも、隣の席のおとなしいみほちゃんの目には、彼の姿は恐ろしい怪獣としか映らないのもまた事実。学校に行くのが気が重くなるほどに……。

ここ数日、2ちゃんねるやYahoo!知恵袋などを覗いてみると、「デーブが悪い」「いや雄星達若手選手が甘えてるんだ」という言い合いがかまびすしくなっています。
でも、そんな「どっちが黒か白か」なんていうことじゃないんじゃないのかな。

悪気がなくても相手にはそうとは受け取られないことがある。それは、通じるように言えないほうが悪いのでも、相手を怪獣のように見てしまったほうが悪いのでもないでしょう。

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対談 数学大明神 (ちくま文庫)/森 毅
¥897
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ああ、とうとうこの日が来てしまいましたか。

森「一刀斎」毅先生、亡くなられました。

1928年生まれで82歳ということでしたから、まあお年に不足はないのかなと思わないでもないですけれども。ただ、去年料理中に服に火がついて大火傷をし、それ以来ずっと入院中のまま亡くなったのだと聞いてしまうと……この事故がなかったら或いはもっと長生きできたのだろうか、なんて詮無いことを考えてしまいます。

20年ほど前、書店で見つけるたびに森先生の本を買い込んでいた時期がありました。そのくらい夢中になった著者なのに、そもそも最初に知ったのは何でだったっけ、というのがどうしても思い出せません。新聞か雑誌に載ったコラムでもたまたま目にしたんだったのかなあ……。

色んな人のブログを読んだりツイッターや2ちゃんねるを覗いてみたり、していると時々、「微苦笑」という気分になることがあります。何事についてもとにかく生真面目で厳密で、全てに筋を通すことを求め、その当然の帰結として常に誰かについて憤り、その非を鳴らし続けているという人の何と多いことかと。

真面目が悪いなどと言う気は勿論ありません。ただ、程度問題じゃないのかな、という気もするんですよね。

著名人の発言だとか。政治家の腹黒さだとか。自分以外の「最近の若い連中の傾向」だとか。プロ野球やサッカー日本代表の選手起用や作戦だとか。

間違いや曖昧さは、それがたとえほんの髪の毛ひと筋ほど、砂のひと粒ほどのものでしかなかったとしても、絶対に許せない、見過ごせない。完膚なきまでに糾弾し、批判し尽くさずにはおかない──そういう人が少なくないんです。

世の中なんて、でたらめだったり、いい加減だったり、大雑把だったりすることのほうが実は多いのになあ……いちいち「けしからん!」とやってたら、きりがないし、自分以外の人間全般、社会全般について、ネガティブな見方しかできなくなってくるんじゃないのかなあ。

そう思うことがしばしばでした。

そんな矢先の、森先生の訃報。

些細なことにも真面目になり過ぎる人々の、対極にいた方でした。

数学者ですから、そもそも「厳密」「論理」は専門分野です。だからこそ、ここは絶対に厳密にならなければどうしようもないという部分と、そんなに突き詰めて考えなくても別にいい部分との見極めがちゃんとできていて、のんびり・ぐうたら・ええかげん・ずぼらに、飄々とした風でいることができたのでしょう。

1冊だけ選ぶとしたらどれにするか、ちょっと迷いましたが、これにしてみました。

安野光雅さんとの対談です。数学的な思考、数学的な発想というところからスタートして話に花が咲いているには違いないのですが、何しろ「──大明神」だなんていうんですから、堅苦しいところは何もない。「正多面体はもっとあってもよさそうな気がするけどねえ。正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体の五つしかないってのは、寂しいねえ」だなんてね(笑)。

古い本だからか、画像がなかったんですけれども、ちくま文庫の表紙はこんな風です。勿論、安野さんが絵を描いてるんですが、自分と森先生が大木に縛りつけられてるんですね(笑)。で、何人もの天狗が焚き火を囲んで踊ってる。思うに、天狗に捕らえられたお2人、数学大明神への生け贄にされようとしていたのかもしれません(笑)。

                  

 昔、大晦日の祗園さんに「おけら火」をもらいに行く友人とつきあったことがある。神社でもらった火で、家のかまどに火をつける。古い京都の習慣なのだ。ところが、途中で火縄の火が消えてしまった。すると、友人はあわててマッチをとりだし、火縄に火をつけたものであった。

 二人とも、「数学大明神」にたいして、その程度の「信心深さ」を持っている。ときに消えた火は自分のマッチでつけることにして、なにより道行の風情を楽しむほうに、主眼がある。もともと、数学大明神への信心とは、そんなものだ。学校みたいに、「奉安殿」にまつっては、おもしろくもない。途中で舞妓さんとすれ違ったら、当然のことに道草をくう。そして、どこへ脱線するやらわかったものでない。茶店に腰をおろしてしまうこともある。その場合には、信心以外の話題に熱中してしまうかもしれない。そうしたことを含めて、この神信心の道行きはある。

(「まえがき」より)

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秘策、とは後にいう「薩長同盟」のこと。おおいよいよ幕末ドラマらしくなってきたなっ、というところなのですが。

──勝麟太郎を師としていた龍馬は、勝から「雄藩連合による新国家」という考え方を伝えられており、その理想のために薩摩と長州の橋渡しをしようとした──

普通だと、こうなんです。

しかし、このドラマの龍馬は普通じゃない(笑)。

日本を西洋列強の侵略から守らなければ!と固く心に誓ってはいるものの、そのために自分が具体的に何をするかといえば、勝のもとで学んで「近代的な海軍をつくる」ということ以外には、取り敢えず何も考えていなかった。なので海軍操練所が閉鎖された今、理想と情熱はあってもそれを活かす道はなく、途方にくれている状態です。

勝が口をきいてくれたので薩摩藩を頼ることにしてはみたものの、このままだとただ単に命令を受けて働かされるだけの存在に成り果ててしまうのは目に見えている。初対面の時からずっと、「薩摩藩の総司令官と一介の脱藩浪士では立場が違う」ということを言い続けている西郷吉之助。何とかしてその立場を対等なものにしなければならないが、今の自分達には、せめて食い扶持を稼ぐためだけの小商いですら、自力で始めることもできない──。

という目前に差し迫った生活の問題だけでも頭が痛いところへもってきて、理想や志にかかわる大問題にも直面してしまいます。幕府の長州攻めを何とかしてやめさせることはできないものか?

長州はもはやかつての頑迷で世間知らずな攘夷主義者の集まりじゃない。世界に目を開き、学び、国力をつけ、独立独歩の気概を見せている。この藩を滅ぼしちゃいけない!……でも、一体どうすれば?

ここでまたさっきの問題と同じ壁にぶつかってしまう訳なんです。西郷をつかまえて、薩摩藩は長州攻めに加わらないでくれと言うことはできる。でも、西郷が聞く耳を持つ筈もありません。

自分達個人のことも、世の中全部のことも、全てが焦眉の急の難題だらけ。八方ふさがり。四面楚歌。

一体どうすればいいのか、自分に何ができるのかと、悩んで悩んで考え続けて……

そうしたら、あった訳なんですよね。

全部を一度に解決できるアイディアが。

ただ長州攻めをやめろとだけ言われても、それは西郷にとってたわごとでしかありません。しかし、ただ攻めないというのみならず、手を組め、というのはあまりにも予想外の話でした。

西郷が思ってもみなかった可能性を提示したことで、龍馬は一気に、ただの脱藩浪士ではなくなったんです。

いわば、起死回生の逆転ホームラン。

師から教えられた構想、かねてよりの理想をいよいよ実現せんとして運動を開始する、というようなのはやっぱりこのドラマの龍馬には何か似合わないんですよねえ(笑)。行き当たりばったり、破れかぶれ、切羽詰まってじたばたともがいて、どうにかこうにか打開の道を探ろうとする。そういう「格好悪い」姿をさらすことこそが格好良く見える、このドラマの龍馬はそんな奴です。


さて、前回から始まった第3部、新キャラも続々と登場している訳ですが。

長崎の女傑・大浦のお慶さんはイメージどおりでした。

けれども、丸山芸者のお元さん。彼女の人物造形は新鮮でしたねえ。

町奉行所の密偵のようなことをしているけれど、どうやら、自ら進んでおこなっているというのではないようです。たとえば近藤勇や井上聞多がらみで名前の出てくる勤王芸者の君尾さんなんかとは色合いが違う。

そして、隠れ切支丹です。

西洋諸国と条約を結び、長崎の街なかには外国人の姿も珍しくなく、グラバー商会のトーマス・グラバーのように日本に住み着いて商売をしようという者も出てきている時代になって、それでもまだ切支丹は禁制なんですよね。

芸者として客に見せる笑顔以外にはほとんど表情というもののない彼女が、マリア観音に手を合わせる時だけは、踏絵を踏んだ心の痛みに涙を流しています。

こんな彼女にとって、開けっ広げで「垣根のない」龍馬との出会いは、単にロマンスというだけにとどまらない意味を持つものになっていくのかもしれません。

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蛇の歯上 (創元推理文庫)/フェイ・ケラーマン
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買ってから少しの間、読むのを躊躇していました。

第1作からずっと愛読しているシリーズなのですが、にもかかわらずというか、だからこそというか……。

ロサンゼルス市警の刑事ピーター・デッカーを主人公とするこのシリーズ、彼の私生活(敬虔なユダヤ教徒の未亡人リナと恋に落ちて再婚し、本人も実は生まれはユダヤ教徒なのだけれども実感としては「改宗」でしかないので色々苦労して、再婚同士だから親戚や双方の子供達のこととかもあって……)のほうに注目が集まりがちなのですが、どうも作者がそれをある種の「隠れみの」にしてるんじゃないか、と思うんですよ。

何だかんだあっても基本円満なデッカー家の一歩外へ出ると……大都会ロサンゼルスでは今日も凶悪犯罪が……!

このシリーズ、作中で起こる事件がとにかくもう悲惨で残酷なのが多いんです(汗)。でもって今回も、書店で本を手に取ったらいきなり「悪夢のように凄惨な事件現場」と帯にある訳でありましてね(冷汗)。のっけからレストランで乱射事件という始まり方をするようで……ううううう、むごい事件は読みたくないよう。

とはいうものの、あくまでも「ミステリ」であって「ノワール」じゃない。そして刑事が主人公のシリーズ物だということは、「明日という日は必ず来る」という終わり方をするということ。ルース・レンデルのノンシリーズ作品みたいに、読者をどん底に突き落として終わりなんていうことには絶対になりません。

と、自分に言い聞かせて本を開いたら、案の定というべきか、いくらもしないうちに「乱射事件」ではなくなりました。現代の病巣とか動機なき大量殺人とかいう路線ではないんです。変な言い方ですが、普通に「殺人ものの刑事ミステリ」でした。

それも、ミステリとしての構成はかなり古典的な部類に入るんじゃないでしょうか? これはぎりぎり言ってしまってもネタ割りにはならないと判断して書きますが、デッカー達が犯人だと目星をつける人物は、かなり早い段階で出てくるんです。87分署シリーズみたいに、刑事達が右往左往、五里霧中、試行錯誤を繰り返すさまが延々と描かれる訳ではありません。こいつが悪党だ間違いない、と睨んだ相手との「対決」なんですよね。現代の警察ものというよりは、その昔のピーター・ウィムジー卿シリーズなんかの感じに近いとさえ思います。

けれども当たり前の話ですが、作中に出てくる事柄は思いっきり「現代」なんだなあ……! 捜査を進めるうち、事件関係者の女性がデッカーからセクハラを受けたと言い出します。市警内務部による聞き取りの席には先方の弁護士もいて、口先巧みに、いかにもデッカーがセクハラおやじらしく見えるように言い立てるんですよねえ。こういう種類の下劣さ、いやらしさは、昔のミステリにはなかったことでした。

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百姓貴族 (WINGS COMICS)/荒川 弘
¥714
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エッセイマンガも色々と種類が増えましたが、またひとつ新機軸が生まれました。農業体験エッセイマンガです。

久世番子めあてに「ウンポコ」を立ち読みしていてたまたま連載第1回を発見し、こりゃあ面白いやと書店の店先でひそかに大興奮しました。幸いにも読者の好評を得られたと見え、こうしてコミックスが出るまでになったのは非常にめでたい限り……なのですが。

このブログを読んでくださってる方々は既にお気づきだと思います。私、少年マンガにはとにかく疎いんですよね。さらには、ベストセラーを知らなくても全ッ然気にしておらず、人気があるなら手にとってみようかという気も起こさない不精者。

作者荒川氏には伏してお詫びを申し上げます。ほんとにほんとのつい先日まで、エッセイマンガが本業の人だとばかり思い込んでました!(爆)

『鋼の錬金術師』というタイトルは見知っていたんですよ。でも中身を読んだことは一度もなく、したがって作者名も認識していませんでした。

しかもこの『百姓貴族』の絵柄が絵柄! これだけを見て、大長編冒険もののストーリーマンガを描く人だなんてことはどうしたって思えません! 『インド夫婦茶碗』だけを見て流水りんこはもともとホラーマンガ家だと気づけるかというようなものです(笑)。

荒川氏の実家は、北海道は十勝の酪農兼畑作農家。『暴れん坊本屋さん』が書店勤務とはいかに重労働であるかをくまなく描き出しながらも、同時にそこから得られる手ごたえや充実感、満足感にも溢れていたのと同様、ほとんど睡眠時間もないような酪農家の日常を描きながら、荒川氏はさらりと「好きでやってましたから」と言ってのけます。

特筆すべきは荒川氏のご父君。何でこの人こんなにやんちゃなんだと息子に呆れられる行状の数々に笑い転げながら、ふっと思い出したことがありました。

テレビのドキュメンタリー番組などで、荒川農園のような一家が紹介されることがありますよね。北海道の広大な農地で、たくましいお父さんとしっかり者のお母さんは、子供達にも小さい頃から甘やかさず仕事をさせてたくましく育てています、というような。

そういう番組で、子供がまだほんとに小さいうちからトラクターの扱い方まで教えて操作させているというお父さんを観たことがあったんです。凄いことするなあ……と思っていたのですが。

どうもそこんちが特別に凄かったという訳ではなかったようです。荒川家もそうでしたから(笑)。姉弟全員、子供の頃からトラックだの何だの扱わされて、排水路に落ちたり、あわや指切断しかけたり……。

しかも荒川氏の場合、なかなか理不尽な目にあってます。先に畑に行ってるからあとであれに乗ってこい、と無免許未成年の少年の身ながら言い渡されてしまい、やっとの思いでトラックを転がして畑に到着したら(私有地の中で、かつ危険がなければ、無免許で運転しても大丈夫なんだとか)、ほんとに乗ってきたのかと驚く父……自分がそうしろと言ったんじゃないか!(爆)

と、大都会札幌の隣町でサラリーマン家庭に育った怠けもんの目には強烈過ぎる体験ばかりが次々と出てくる作品だったのですが、しかしやっぱり「北海道」という共通点もこれまた強烈に感じました。

北海道では一家に1頭ヒグマを飼ってると言ったら信じた人がいた、てなことを書いてる荒川氏なんですが、これってひょっとして北海道人一般の特性なんでしょうかね、しょうもない嘘を言って道外の人をからかおうとするっていうのは(笑)。これに類した話ってしょっちゅう聞きますよー。私の大昔の大学時代でもいましたもん、冬になったら雪が何メートルも積もるから窓からでないと外に出られないって言った人が。で、聞かされた人がまた信じるんだ、これを(笑)。

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第1部から第2部に入る時にそうだったので、今回もきっとそうだろうと思っていました。

明治15年の岩崎弥太郎が新聞記者(つまり、この翌年に龍馬が主人公の小説『汗血千里駒』を新聞連載し始める坂崎紫瀾なわけですが)に昔語りをしている場面になる。

そのこと自体は予想通りだったんですけれども、まさかその場所をあんな風にしたとはねえ。

かつての「鬼小町」、千葉佐那が営む鍼灸院。

ドラマはこれから佳境に入っていくところですが、設定は「過去を振り返って物語る」ものであるため、この冒頭の場面には「後日談」的な空気がありました。

江戸を離れた龍馬を追いかけるので精一杯だった視聴者を、はっと立ち止まらせる千葉道場の「その後」。あれほど隆盛を誇った道場はすでになく、陽気で闊達な「若先生」重太郎は役人に、「鬼小町」と剣名を謳われた佐那は鍼灸師に……。

この場面を見ていて、今さらのように気付いたことがありました。

坂崎紫瀾が弥太郎を訪ねてきたのは、「世に知られていない坂本龍馬という人物」について聞くためです。

明治15年の時点で、世に知られていない人物。

それはつまり、幕末の動乱の中で命を落とし、既にこの世にいないということだ──。

たとえば初めて大河ドラマを観る小学生の視聴者などで、坂本龍馬の人生についてほとんど予備知識を持たないままに毎週のドラマを楽しんでいる人がもしもいたとしたら。

今回のこの冒頭シーンを観て、龍馬を思い出している佐那のしみじみとした様子に、初めて気付かされるということが或いはあったかもしれません。

このドラマの中の「現在」において、龍馬は既にいないのだ、と。

でも、ドラマの本編には、完結した過去を振り返るという落ち着きはないんです。未だ混沌としていて、明日、いや今日これから何が起こるかさえ判らない時代を懸命に生き抜こうとしている若者の、その本人の視線に即している。

この先の人生に待つものを、本人は知らない。けれども、視聴者は知っている。知らない人でも、気付いている。

「新選組!」の時などにもあったのと同じ痛ましさをここでも感じます。


さて、第3部に入って龍馬は変貌をとげました。

このことを端的に表現しているのが彼の髪の毛です。今までは、これでも結っていると言えるのかほんとに、というくらいのだらしなさ、ぐずぐずに解けた縮れっ毛が両肩にばさばさとかぶさっているというていたらくでしたが、今回からは違う。まあ、陸奥陽之助のようなきちんと身じまいしている人から見れば五十歩百歩というところだとは思うのですが(苦笑)、少なくとも髷が解けたのをほったらかしにしていたりはしない。ぎゅっとひっ詰めて結んでいます。

全体に、より精悍になった、と見えるんですね。

坂本龍馬といえばぱっと思い浮かぶパブリックイメージ、その像にいよいよ近づいてきたともいえます。幕府の支配を終わらせるべきではないか、ということも口にし始めました。

では、何故ここにきて龍馬はいきなり変わったのか。

いつも引き合いに出していますが、『竜馬がゆく』では簡単なものなんです。この小説では龍馬は最初っから倒幕派ですから。

でも、このドラマの龍馬は、「力ずくではない攘夷、本当の意味で日本を外国の侵略から守ること」を実現しようとはしていても、そのために幕府がどうこうということまでは今まで特に考えてはいませんでしたよね。

何が彼を変えたのか。

変貌をとげる前の龍馬、無邪気な少年のようだった彼しか知らない佐那に、弥太郎が言います。海軍操練所の閉鎖と武市半平太の死、この2つの出来事で龍馬はすっかり変わってしまったのだ、と。

実は、今までずっと、「この龍馬」がいつどういう契機で「あの龍馬」になっていくんだろうと思っていたんです。どんなことでも、自分の実感に根差した形でなければ把握できず、いきなり「○○するべきだ」に飛びついたりはしない(できない)性分。黒船を実際に見たから、「力ずくの攘夷なんて無理」ということを理屈でも何でもない圧倒的な現実として理解しました。では、更に一歩進んで倒幕運動に至るまでには、何が──? でも、この弥太郎の言葉で膝を打ちました。

海軍操練所がつぶされた。幕府は、自分達でつくった海軍操練所を自分達の手でつぶした。それも愚にもつかない理由で。

龍馬が、自分の実感として幕府の限界をしたたか思い知らされたのとまさに時を同じくして、半平太が死ぬことになります。ついに容堂に真心が通じたという喜びはあっても、理想は全て挫折した状態で。そして、龍馬がつくる新しい世の中が楽しみだと言い残して。

龍馬は、半平太からバトンを受け取ったんですね。

もともと、半平太を助けるために殺人の罪を着ようとまで思いつめた龍馬でした。脱藩し、実家からも勘当してもらっている。もはや自分の行動が誰か親しい人の迷惑になる心配をする必要は全くない。死んだ半平太の分まで一生懸命に、自分が考える「真の攘夷」を実現するために全身全霊を尽くそうと──特に大げさな気負いは何もなく、当然のこととして決意したのではないかと思うのです。

本来禁止されている長崎に潜入し、仲間同士の席でも変名で呼び合う配慮を忘れなかった長州藩士達は、しかし同じ料亭に薩摩藩士もいると知った途端、逆上して全てを忘れそうになります。一方の薩摩藩士達も、そこがどこであろうがお構いなし、長州藩士がいると判れば斬り立てずにいられない。どちらも、自分達が相手から攻撃を受けたことばかり執拗に憶えていて、相手方から見ればこちらも恨まれて当然なのだとは、まるで気付くことができません。

睨み合う両者の間に割って入り、大声を出した龍馬。単に場を収めるためというだけではなく、あの時の龍馬は、本当に腹の底から怒っていたように見えました。海軍操練所を閉鎖させ、半平太を死なせたのと同じたぐいの愚かさに対して。

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何かもう毎回毎回おんなじことばっかり言ってるような気がするのです。うわあ、こう来たかー!って。

しかし、今回のが最大ですね。

これはもう本当に予想外でした。武市半平太の最期が、まさかこんな風に描かれるとは……!

大河ドラマのストーリー展開が、史実や、人口に膾炙した通説や、ベストセラー小説での設定などとは遭えて違ったものになる場合、そこにはいくつかの理由があると思います。

ひとつは、「だったらいいな」。確か「篤姫」の視聴日記をやってた時にも書いた憶えがあるのですが、繰り返させて頂くと、史実や通説のままだと悲劇的過ぎたりする場合、「でも、死ぬ前に誰々と和解することだけはできていた」とかいう風にするんですね。

もうひとつは、「新選組!」に出演していた堺雅人さんの受け売りですが、「先に死んだ者からのバトン」。実際の世の中では、人は、全く無意味に不慮の死を遂げてしまうものです。でも、物語の中に「無意味な死」はありえない。それが主人公と深くかかわり、何がしかの影響を与え合っていた人物ならなおのこと。そういう存在が早世してしまうなら、その死は、あとに何かを残すものでなければならない。

この「龍馬伝」での武市半平太の最期は、まさにそういうものでした。

普通に考えたら、悲惨極まりないんですよ。自分の全存在をかけた理想を何一つとしてなしとげられないままの刑死なんですから。

ここにどうやって救いを持たせることができるのか。しかもこのドラマの半平太って、ある意味『竜馬がゆく』なんかよりもずっとひどい目にあってきたじゃないか、龍馬へのコンプレックスに悩まされ続けて……。

と思っていたら。こんなやり方があったんですねえ。

皮相的に見れば、これまでのパターンの繰り返しといえないこともないんです。龍馬が半平太のためによかれと思ってしたことが、龍馬の思惑とは逆の結果を生んでしまう、というね。龍馬は半平太を生きて釈放させようとして吉田東洋殺害の罪をかぶろうとした訳で、まさか、それがきっかけで半平太が自白してしまうなどとは夢にも思っていなかった。

ただ、半平太は皮肉でも何でもなく心から、龍馬のその行為が奇跡を呼んでくれた、自分は日本一の幸せ者だと言っているんです。これは今までにはなかったこと。半平太を心底感激させるようなどんな「奇跡」を、龍馬の行動がもたらしたのかというと。

半平太が昔から今までずっと、絶対の忠誠心を捧げている「大殿様」、山内容堂。その容堂が半平太の牢に足を運んだ。人払いをして半平太と2人だけで向かい合い、率直な言葉をかけてきた。それも、非難でも叱責でも罵倒でもない。半平太の真心と忠義を認め、容堂自身の内心の苦しさを吐露することさえした──。

半平太の逮捕命令を出した時には、たぶん、思ってもいなかったことでしょう。この増長した不愉快な男に、まさか自分・容堂と通じるものを感じるようになる日が来るなどとは。勤王思想を持ちながらも、徳川将軍家への忠義心を捨て去ることのできない自分。長曾我部侍の末裔として強烈に自己規定していながらも、山内家への忠義を言い続ける半平太──。

自白が得られなかったため、投獄は長期間に及びました。その長い時間が、容堂に「一体こいつは何者なのか」ということを考えさせ、ついには、自分とおまえは似ているとまで言わせるに至ったと思うのです。

だから半平太は、自白することができた。

自分の真心が容堂に通じていたとわかった今、心残りはもうない。龍馬を身代わりに罪人にすることなどできないし、以蔵をこれ以上苦しめ続けることもできない。

遅かれ早かれ刑死だと覚悟はとうに固めていながら、それでもなお半平太が頑なに自白を拒んでいたのは、「自分が死んだあとはどうなるのか」という不安からだったでしょう。死ぬ前にバトンを渡すべき相手を、彼は見つけられずにいたんですよね。

ところが思いもかけないことに、容堂をその相手として見出すことができたのです。半平太にとって、これ以上の僥倖があるでしょうか。

しかも龍馬とも最後に再会できた。友情に感謝し、別れを告げることができた。

胸に迫る「だったらいいな」です。何一つなしとげることのできなかった男の、せめて死に際だけでもこんな風だったら。後事を託す相手を見出して、思い残すことは何もなくなっていたら。懐かしい友にもう一度会うことができていたら……。

そして、以蔵。

『竜馬がゆく』や「人斬り以蔵」とは全てが正反対でしたね。半平太は以蔵を見切らなかった。だから以蔵も半平太を裏切らず、彼が自白して半平太を自分の道連れに死なせたのではなかった。

半平太のために拷問に耐え続けた以蔵を、その苦しみから解放するために、半平太が一緒に連れて行った──そんな形の最期でした。

もはや足軽ですらない無宿人扱いで打ち首になった以蔵と、上士として切腹の座につき、横三文字に腹を切って果てた半平太。

形式の上では天と地ほどにも開きのある死に方をした2人は、しかし、「一緒に死んだ」のだと思うのです。

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SIGHT (サイト) 2010年 08月号 [雑誌]/著者不明
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何だかあっという間のような気がしますが、今度の日曜日がもう投票日だったんですね、参院選。

ワールドカップ期間中で大相撲の不祥事があって口蹄疫がおさまらなくて、とニュースの時間枠と新聞紙面が足りなくなるくらい話題に事欠かない今日この頃であるとはいえ、やっぱり、総選挙と比べると何か地味ですよねえ。

自民党が凋落し、民主党にとってかわられる経緯をつぶさに見てきたこの雑誌、今回の特集のメインは「みんなの党」でした。といっても、みんなの党それ自体を特集している、という感じではないですね。

みんなの党が躍進している、という事態はつまりどういうことなのか、の特集です。

だからやっぱり、読んでいて本当に面白いのは自民党や民主党についての言及でした、私の場合。みんなの党って、今どんなに威勢がいいとはいっても、「未だ何もなしとげた訳ではないミニ政党」ですよね。自民党や民主党と違って失敗の経歴がない、というのはつまり、まだ「出来て日が浅い」というだけのことでしかない、という気がするんです。昔の笑い話の、誤診で死んだ患者の幽霊がいない医者の家があって、ということはさぞ名医なのかと思ったら、開業したばかりだった、というような。

多分今度の選挙で、みんなの党はかなりの議席を獲得するんでしょう。そうしたら今までのように、威勢のいいことを吠えてだけいれば格好よかったミニ政党、のままではやがていられなくなってきます。

その時にこの人達が、どこまで格好悪さに耐えることができるか、それに興味があるんです。責任のある立場に立たされるということは、無様さや格好悪さに耐えなければならないということで、自民党も民主党もそれで苦労をしてきた、今現にしている訳で。

じたばたしている人を、外側から眺めて大上段に批判するだけなら誰にでもできるんですよ。何となく、今のみんなの党には、まだそういう「他人事だから偉そうなことが言える」感がある気がするんです。

さてこの雑誌といえば、毎回の楽しみが内田樹&高橋源一郎対談。単行本化されるそうです! 編集後記によれば、雑誌掲載時にカットした分も収録されるそうで……って、毎回かなりのページ数でしたが、あれでもカット済みだったんですか(汗)。一体どれだけの長時間を喋ってたんでしょう(笑)。

今回、内田先生の発言を読むまで全く思ってもみなかったことがあって、はっとさせられました。

鳩山前首相が沖縄のアメリカ軍基地の存在について使った「抑止力」という言葉。

フィリピンにあった基地も韓国にあった基地も撤退したのに、沖縄にある基地だけは動かせなくて、で、それは「抑止力」であるというのなら。

それってつまり、核兵器がそこにあるっていうことじゃん、と。

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密偵/秋山 香乃
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さんざん迷った挙句、「ミステリ」ということにしてみました。

……時は明治19年。孝明天皇毒殺疑惑を裏付ける証拠が実在した!? 鍵を握る人物は北海道の監獄にいるという。政府の密偵・桐生征二は囚人に身をやつして監獄に潜入するが、そこは重罪犯と思想犯ばかりが送り込まれる場所だった……!

という話なんですが、いかがでしょう。「時代小説」であることには間違いがないのですが、普通に「時代小説」と言われてぱっと連想するたぐいの作品ではないですよね。

スパイアクションの形を借りて、明治期の社会の雰囲気や自由民権運動の興隆と挫折を描き出そうとしたとか、監獄の非人間的な有様に焦点を当てたとか、そういうことのほうが主目的の作品だというようにも思われません。あくまでも、スパイアクションそれ自体が主眼。

同じように明治を舞台にしてはいても、たとえば「新・御宿かわせみ」シリーズ愛読者の口に合うかどうかといえば、ちょっと疑問です。

主人公達が追いかける謎の核となるのが孝明天皇毒殺疑惑だから、この時代設定になっているだけ。極端なことを言えば、そういう作品です。「この時代が舞台であること」と「二転三転するスパイアクションであること」、どちらにより意味があるかといえば、後者のほう。そう私には感じられたので、「時代小説」ではなく「ミステリ」に分類してみます。

いやしかし、一読者の分際で偉そうなことを言ってしまいますけれども、秋山香乃はやっぱりこういう路線ですよ!

「漢方医有安」シリーズとか「からくり文佐」シリーズとか、江戸の市井の人々を主人公に据えた作品、それこそ所謂普通の「時代小説」も最近では手がけるようになっていて、これらも充分に面白いんです。

でも、私の非常に自分勝手な印象を言えば。

秋山香乃が、わざわざ人情ものを書かなくてもいいのになあ。

だって、もう、溢れてるんだもん、そういう小説は山のように。

それよりも、秋山香乃が書かなかったら他には誰も書かないような、そんな小説があるんじゃないだろうか……。

と思っていたところへこの『密偵』!

脱走も不可能な山奥の監獄で、政府の諜報部員と反政府組織の活動家が虚々実々の駆け引きを繰り広げ、入り乱れる男達の野心に思惑、アクションシーンもたっぷりあります。

うんうん。やっぱりねえ、秋山香乃には「これぞ男の世界!」という作品のほうが似合うと勝手に断定させて頂きます(女性作家ですが)。


というところまでが、一般論としての感想並びに紹介です。

実はこの作品、これ自体の評価とは全然無関係な部分ながら、前からの読者にとっては嬉しくてたまらなくなることがありまして。

主人公・桐生征二はヒラの密偵です。従って、彼に任務の指示や命令を出す直属の上司という人も、重要キャラクターとして登場してくる訳なのですが。

その名が藤田五郎警部。そう、斎藤一です!

「あの」斎藤に「あの」キャラクターのままで年を取らせるという離れ業を、作者は見事にやってのけてみせてくれました。

秋山作品の新選組が好きな人にとっては、後日談としての懐かしさも味わえる作品になってるんですよ。そういう意味でもおすすめです。

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最後の次回予告まで観て、なるほどそういうことだったか、と思いました。

今回がこういう話だった理由です。

来週で第2部は終わり、その次からは第3部が始まるんですよね。そこから先はいよいよ、幕末ファンの誰もが知っている「あの」龍馬が活躍する時期。

情熱はあっても未だ何者でもない、未熟で徒手空拳で、未来はまだ白紙のままの青年龍馬が、明確な意思と行動力を兼ね備えた大人の男になっていく。

その萌芽と、そして故郷及び生家からの完全な巣立ちとを描いたのが今回の物語だったと思います。

海軍操練所の閉鎖という大打撃にあって、半平太や以蔵のことを忘れたというのではないけれど、しばし失念していた龍馬。そこへ届けられた弥太郎からの手紙は、どれほどの衝撃だったでしょう。

常に気にかけていた筈なのに、いつの間にか意識の表面から追いやってしまっていたことを突きつけられた。激しい後悔にかられた龍馬は、脱藩した故郷へ戻るという無茶苦茶な行動に出ます。

これを知って驚いたのは弥太郎のほう。彼にしてみれば、戻ってこいと手紙に書いたのは本当に呼び戻そうなどとしたのではなく、腹立ちまぎれの怒声を放ったに過ぎなかった訳ですから。脱藩者の名宛で書いた手紙を藩邸に送ったというのがそもそも本気ではなかった証拠です。弥太郎にとっては、自宅の庭に出て叫ぶよりはもう少しだけ手ごたえのあることをして気を紛らわせたかっただけのことでした。

けれども、その怒声は龍馬に届き、龍馬はそれに応えて動きました。

半平太と以蔵を助ける、と龍馬は言う。しかし具体的には一体何をしようというのか。

ここが、龍馬が昔とは変わってきているところだと思うのです。これが若い頃の龍馬だったら、真正面から釈放要求をしようとして門前払いを食らったりしていたんじゃないでしょうか。しかし今の龍馬は、そんなことをしても全く無意味であるということを理解している。

容堂と対面したことのある龍馬は、逮捕容疑のかなり大きな部分を構成しているのが吉田東洋殺害の一件であることを知っています。この部分について疑いを抱かせることができたら、或いは──?

そういう策をめぐらし、そのために下準備をし、無関係な者に累が及ばないよう手を打っておくことも忘れない。自分が泥をかぶることを厭わず、ハッタリをかまして相手をまんまと騙しにかかろうとする……。

これは、「あの」龍馬、の姿ですよね。

世の中にもまれて少しずつ成長していった青年は、幼馴染の友を助けたいと必死になった時、そんなことを思いついて実行できるまでになっていた。これから先は、そういういわば「私情」でない場合でも、同じような知恵と行動力を発揮できるようになっていくのでしょう。

そして、坂本家の人別から外れた、ということ。

この時代の刑法は、重大犯罪の場合は親兄弟や妻子までもが罪になります。殺人をしたと吹聴しようというのですから、その前に自分を坂本家の人別帳から外しておいて貰うことは勿論必要な措置でした。

ただ、便宜上とはいえ、これで正式に龍馬は、故郷土佐にはもう何の寄る辺もない身の上となったということになります。

脱藩者であるということだけなら、この時代、志士を自認する青年達にとっては何ほどのことでもありません。「違法」であるとは承知していても、穏健な大人達が思うほど大それたことだとは考えていない。けれども殺人容疑ということなら訳が違う。はっきりと「犯罪」です。

しかもそれに加えて、もはや生家からも正式に縁を切られている。

最初の脱藩ははっきりと自分の意志で行ったものでしたが、それがいったん許された後、帰国命令に従わなかったので再び脱藩扱いとなったという経緯は、何だか龍馬本人を素通りして、頭の上越しに起こっていた事態のような感じがあります。自分は何もしていないのにそうなっちゃった、とでもいうような。

けれども、今回、改めて龍馬は明確に自分の意志で、二度と故郷の土を踏まない覚悟を固めました。

そして、どんな時でも龍馬を信じ、脱藩したのは承知していても、心のどこかでいつも帰りを待っていたような坂本家の面々も、同じ覚悟を共有したと思うのです。

次回以降、満を持してという感じで、幕末史の重要人物としての龍馬の出番となっていく訳ですが、それをこのドラマがどういう風に描くのか。

興味津々、です。


……と、その前に、次回はとうとう半平太と以蔵の最期なんですね……。

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