手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。


テーマ:

アメーバブログのプレゼント機能、面白いんで贈ってみたことはありましたが(ファイターズの江尻・藤井両投手宛……ミーハーです/大汗)、自分が貰ったのは初めてです。

ろーれるさん、ありがとうございました♪

そういえばハロウィーンなんですよね。

ハロウィーンがやってきた (ベスト版 文学のおくりもの)/レイ ブラッドベリ
¥1,890
Amazon.co.jp


初めて読んだブラッドベリ作品です。我が家にあるこの本の古い版の発行年月日から見るに、まだ小学生の頃だったんですね。

そして、ハロウィーン、という言葉を初めて知った本でもありました。

アメリカは「中西部のとある州の北のはずれ、小さな川と小さな湖のほとりにある小さな町」に住む、13歳の少年達。ハロウィーンの晩、町はずれの谷に建つ「幽霊屋敷」と呼ばれる古い館にやって来た彼等は、そこで不思議な男マウンドシュラウド氏に出会います。


「諸君、自分の姿を見るんだ。なぜきみは、そんなどくろの面をかぶっている? それから大鎌を持ったきみも、魔女の扮装をしたきみもだ。きみも、きみも、きみも!」彼は仮面のひとつひとつに骨ばった指をつきつけた。「知らんだろう、え? そういう面をつけ、ナフタリンくさい古着を着てはねまわっていても、ほんとうは何も知ってはいないのだ。そうだろう?」


そうして少年達がハロウィーンの秘密を知るために<未知の国>へ出かけようとしたまさにその時、仲間達のひとりピプキンが、<何か>にさらわれてしまいます。


「さて」とマウンドシュラウド。「これで、ついてくる理由はもうひとつふえたわけだな、諸君。大いそぎで飛べば、ピプキンに追いつけるかもしれん。ハロウィーンのコーン・キャンディみたいにすてきなピプキンの魂をつかまえるんだ。そして、つれもどし、ベッドにねかせ、よくあたためて、いのちを救うんだ。どうだな、諸君? 二つの謎をいっぺんに解いてみたくはないか? ゆくえ不明のピプキンをさがしだし、ハロウィーンの秘密を解きあかすんだよ、たった一日の大冒険で!」


古代エジプトから、更に大昔の猿人の時代、ローマ人がドルイド教を滅ぼし、またキリスト教がそれに取って代わり……黒い<何か>に連れ去られたピプキンの魂を追って、様々な時代、様々な国の空を飛びながら、「ハロウィーンとは何か」ということを掴んでいく少年達。

と要約してしまうと、「伝統行事の成り立ちを勉強しましょう」的な作品だと思われてしまうかもしれませんね。勿論そんなつまらないものではありません!

小説であると同時に長い長い散文詩でもあるかのような、書かれた言葉ひとつひとつの全てが美しい、胸躍るファンタジーです。

AD
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)

テーマ:
トゥモロー・ワールド (ハヤカワ・ミステリ文庫)/P.D. ジェイムズ
¥798
Amazon.co.jp


P・D・ジェイムズ作品は全部押さえているつもりでいましたが、書店でハヤカワ文庫の棚を眺めていたら、見覚えのないこのタイトルが目に飛び込んできたのです。

えっこれってポケミスにはなかったよね? 新刊? しかも何だかミステリっぽくない、SFっぽい感じが漂ってるし……。

という疑問を解消するには読めばいい。ってんで即買ってきましたが……へえーえ、こんなのも書いてたんですが。知らなかったなあ。

この作者の作品だからということで、ハヤカワ「ミステリ」文庫の管轄になってますけれども、ミステリではないですよね、これは。かといって、今現在とは異なる社会体制の近未来を舞台にした小説ですが、SF、でもないような気がします。

ある時突然、世界中で子供が生まれなくなった近未来のイギリス。原因不明のまま時は流れ、今や、世界のどこにも子供はいません。最後に生まれた子供である若者達は、甘やかされて育ったせいで手のつけられない世代となり、年配者達は、このまま人類が数十年のうちに滅んでいくことを諦めとともに受け入れています。人々は「余生」をせめて快適に過ごしたいと望み、その快適を妨げる要素となりうる犯罪者や外国人労働者に対して、ひどく不寛容な社会ができあがっていたのですが……。

という風に設定を説明すると、何言ってるの普通にSFでしょ、と思われるかもしれませんね。でも、実際に読んでみると、どうもそういう手触りではないんですよ。

こういう社会体制の、こういう現象が起こっている時代における、ごく普通の人々の小説。そんな感じです。

いや、登場人物全員が「普通の人々」という訳ではないんですよ。首相でも王室でもないイギリスの最高権力者「国守」は、独裁者らしく見えない独裁者という非常に危険な政治家ですし、その彼に対して何を思ったか突然抵抗を始める小グループもいます。

ただ、そのどれもが、なるほどこういう社会ではこういう政治家も出るだろう、こういう人もいるだろう、いかにもありそうなことだと思えるんですね。「普通の人々の小説」とはそういう意味です。

読んでいて、ふと新井素子『ひとめあなたに…』を連想しました。「巨大隕石が衝突して地球が滅びるまであと1週間!」といういかにもSFな設定における……普通のラブ・ストーリー。この設定自体は物凄くとんでもないし、ヒロインが行く先々で出会うのも、どこか壊れてしまっている人ばかりなのですが、突然こういう事態に見舞われたのだからそれも当然と思えます。恋人と別れたままで終わりたくない、最後にひと目だけでも彼に会いたいと、ヒロインが一途に彼の住む町を目指して行くのも、若い女の子の心情として全く自然なもの。

この『トゥモロー・ワールド』も、そういう普通さ、自然さで貫かれています。主人公である50歳の学者が書いている回顧録のような日記の文章がしばしば出てくるのですが、いとこ(これが実は、後に危険な独裁者となる人物!)の家で過ごした少年時代の回想など、この小説の設定が近未来SFであることをうっかり忘れそうになるほどですよ。


……しかし、ひとつだけ釈然としないことがありまして。この、邦題です。

原題をそのまま訳した『人類の子供たち』、これが元々の邦題だったんだそうですね。ところが、この小説を原作にした映画がつくられて、そのタイトルが「トゥモロー・ワールド」だったものだから、小説のほうまでそれに合わせてしまったという訳なのですが……。

映画の原作であることを書店の店頭でアピールするためには、帯を新しくするだけで充分だったのでは? 堂々たる老舗の早川書房に似つかわしくない、いささか軽薄な措置だったのではと思えてなりません(汗)。

AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:

日本史好きの我が父親は、大河ドラマは基本的に欠かしません。鎌倉幕府とか室町幕府とか、親子兄弟親類縁者間での裏切り騙し討ち殺し合いが普通に続く世界はちょっと苦手のようですが、安土桃山や幕末ものだと大喜びで観ています。「新選組!」も好きでした。

父の場合、「大河ドラマのファン」ではあっても、所謂「ドラマファン」では全然ないので、出演している俳優陣についての知識はあまりありません。特に若い役者さんだと、予備知識ゼロという場合が殆ど。

年を食ってる幕末ファンが、先入観なしで見て「役柄のイメージに合っている」と感じられるものなのかどうか、父の反応に注目しているところが私には結構あります(笑)。

今年のこの「篤姫」の場合、主人公については大いに父のツボだったようです。「宮崎あおいさんという人は、顔は童顔だが、演技は貫禄があるよなあ」と、先日もしみじみ感心していました。若い女優さんに老けメイクをするのを憚るというのは大河ドラマの悪しき慣習だと私は思っているのですけれども(苦笑)、幸いにして今年の場合、主役の演技力がそれを補ってくれてますね。

一方、後半のサブヒロインである和宮。

前回までずっと父は黙って観ていたのですが、実は色々と思うところがあったらしい。今回の放送が始まる前、何だかたまりかねたという風で言い出したものです。「この女優さん、何ていう人なんだ? 和宮って、こんな人じゃなかったと思うんだが……」

いやお父さんこれはね、和宮がこんな風にぼおっとして、生きた人間というよりはまるで大きな人形みたいなのは、役者が下手なんじゃなくて、そういう設定なんですってば。と説明すると今度は、「お公家さん育ちだからっていうけど、もっと聡明な人だったと思うが……」と、やっぱり納得がいかないらしいんですね。

幕末好きなら当然、彼女が天璋院と手を携えて徳川家を守る為に奮闘したことを知っています。なのにこのドラマの和宮は、いつまで経っても徳川家になじもうとはしないまま。殆ど変化の見られないまま、家茂だってもう死んでしまったじゃないか……!

と、苛立ちがピークに達していた視聴者は、きっと、我が家の父だけではなかったと思うのです。脚本家並びに演出家様、グッジョブ!

家茂が死ぬぎりぎりまで「ちっとも変わらない和宮」のままで引っ張ったんだから、これは絶対、今回が彼女のターニングポイントになるんだろうと思ったら、その通り、でした。

家茂の死をすぐには受け入れることができず、落飾することも先送りにしていた和宮。これは周りの女官達が、特にそれを急がせようともしなかった、ということでもありますね。彼女達にとっては、和宮は単に「帝の命で江戸に来ていた」のであって、「家茂に嫁いだ」とは思いたくなかったということがよく判ります。

そこへ飛び込んできた、天皇急死という知らせ(岩倉具視役の片岡鶴太郎さんが、いかにも腹に一物あって悪巧みしていそうな胡散臭さ感バリバリなので、ちょっぴり期待してたのですが……うーん、やっぱり、毒殺説での設定ではやって貰えませんでしたね。残念)。

兄帝の死を知った和宮は、初めて取り乱して叫びます──「わたくしのせいか!? わたくしがお役目を果たさなかったからか!」

彼女のこの姿は、島津斉彬が亡くなった時の天璋院ときれいに重なりますね。天璋院もまた、斉彬の死を知って、託された使命を果たさなかったという負い目に苦しむことになりました。

しかし、それでも天璋院に後悔はなかった。自分の意志で、斉彬の命に従うことよりも家定に真心を尽くすことを、島津家よりも徳川家の為に生きることを、選び取ったのですから。

ならば、和宮は?

兄帝の死は確かに彼女にとって衝撃であり大きな喪失であったでしょうし、役目を果たせなかったことを彼に対してすまなくも思ったでしょうが……同時に、あることを彼女に気づかせもしたと思うのです。

彼女にとって、家茂の死のほうが、ずっと大きな出来事であるということを。

斉彬よりも家定のほうが自分にとって重い存在だと、悟った時の天璋院のように。

天璋院を訪ねた和宮は、初めて「義母上」と呼びかけます……それも、自分ではそうと意識しないまま。心の隔たりが消えたことを、端的に示すシーンです。

「どうしてそんなにお強いのですか……?」

天璋院の「強さ」は、これまでの和宮にとっては、理解の対象外というところがありましたよね。出陣する家茂を笑顔で送り出したことに嫌悪感を見せたように。

しかし、今は明らかにその時とは異なり、彼女の問いかけには、むしろ羨望が見てとれます。自分もそのように強くありたい、と。

夫である将軍に先立たれた御台所が、若い身空で落飾し、残りの長い後半生を、ずっと大奥に閉じ込められたままで過ごす。現代人の感覚で普通に考えたら、女性の個人としての自我や尊厳を何も考慮していない仕打ちです。

しかしこのドラマではそこを見事に一回転させて、政略結婚で嫁いできた女性が、他の誰の意志によるのでもない、自分自身の選択で、大奥で生きる決心をする姿を描いてみせました。女のたしなみとして婚家に従うべきだからではなく、自分の積極的な意志として、亡き夫が守ろうとしていたものをこれからは自分が守っていく。

夫は死んでも、それでも今も彼を愛しているから。

天璋院と自分は同じだ、と言って和宮が微笑した時、この場面の最初のほうでは気がつかなかったことに目が止まりました。

彼女の眉が、それまでとは違う形で描かれていたのです。

昔の人のお化粧の仕方というのは現代とはまるで違うものですが、時代劇でそれをいちいち忠実に再現することはありません。眉を剃り落としたりお歯黒をつけたりしていても、今の私達の目には、奇異に映るだけですから。

このドラマでもそれは同じで、天璋院も滝山も重野も、お近もお琴も、髪型さえ変えればそのまま現代人の顔になる化粧をしています。

ただ、和宮をはじめとする京都から来た女性達だけは少し違っていました。ぽってりと丸い描き眉。彼女達と天璋院達との間に共通するものは本当に殆どないのだということを、判り易く示すものでした。

しかし、それはこれまでのこと。

これからの和宮は、「普通の顔」をして登場してくることになるのでしょう。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

プロ野球も日本シリーズを残すのみとなりましたね。パ・リーグびいきの我が家は当然、ただいまライオンズの必勝祈願中でございます。

よくお邪魔するファイターズブログさんで、前に良い言葉に出会ったんですよね。「勝者は敗者の為に勝つ義務がある」──渡辺監督以下ライオンズの皆さん、あなた達には、パ・リーグ残り5球団の為に勝つ義務があるんです。頑張れー!

Jリーグは……えーと、よそはどうか知りませんけど少なくともコンサドーレ的には事実上、既にシーズン終了な訳でして(汗)。……せめて「残留争い」に参加できるぐらいであってほしかったです……。

とまあ、そんなこんなで今年の一喜一憂の季節は取り敢えず終わりました。春までひと休みです。

今年のファイターズは、とにかくまあ最初から最後まで怪我人続出で、それでよくも3位に入り勝率5割を守り、ポストシーズンも第1ステージを勝ち抜いたものだと……今にして思えば、多田野投手が自主トレ中に転んで手首骨折し、金森投手がキャンプ中に足をひねった、あれが全てを暗示していたような(苦笑)。

打球が当たって骨折とか、慢性的に抱えていた故障が悪化とか、誰彼となくそんな話題ばかり聞いていたシーズンでしたが、全日程終了を待ってたとばかりに小谷野・紺田両選手の手術のニュースが飛び込んできたのには少なからず驚かされました。まさかこの2人まで怪我を我慢したまま試合に出ていたとは思いもしなかったもので。と思ったら、藤井投手も手首を痛めていたというし、携帯サイト「HBC熱闘ファイターズ」でえのきどいちろうさんのコラムを読んでいたら、森本選手が試合前の守備練習をずっと回避していたのは、肩かどこか痛めているのではないか、という推測がなされていて……。

何故か不振の続く選手がいたら、十中八九、故障だと思ったほうがいいということですね。それから、何故か起用されない選手、についても。

クライマックスシリーズの第2ステージで藤井投手が先発の頭数に入っていなかったことについて、梨田監督は何を考えてるんだバカだアホだボケカス死んじまえ的な意見感想が山ほど出ていたものですが(苦笑)、事情が判ってみれば当たり前、手首を怪我した投手を先発させられる筈がないんでした。

打てない選手を「やる気がない!」と罵倒し、監督の選手起用を頭から否定してかかる。特にネット上では珍しくもない風潮ですが、そういう声を見かけるたびに、いつも少し不思議になります。

好きだ、応援している、自分はファンだと言いながら、選手を、チームを、まるで信じようとしていないのは何故なんだろう、と。

いやしくもプロのアスリートです。「やる気がない」と「故障を我慢してプレーしている」、どちらのほうがありそうなことか、普通に考えれば判ることだろうと思うのですけれども……。

いいね!した人  |  コメント(11)  |  リブログ(0)

テーマ:
漆黒泉 (文春文庫 (も19-2))/森福 都
¥730
Amazon.co.jp


この人の長編は初めて読みました。

舞台は宋代の中国。開封の都で茶商を営む晏延政の一人娘・芳娥は、「ゆくゆくは男をも凌ぐ長身に成長するであろう」と、この時代の女性としては非常にありがたくない予言をされてしまった少女。わずか8歳で時の宰相の息子と婚約することになりますが、それからいくらも経たずに彼は急逝してしまいます。

それから9年後。幼い日にたった2度会っただけの亡き婚約者を慕い続けたまま17歳になった芳娥は、彼の遺志を継ごうと決意を固めました。予言の通りの長身に成長した彼女は、女ながら武芸も身につけています。婚約者の政敵だった男を葬り去ろうというのですが──。

という発端部分を読めば、男装の美女が大活躍する、これは愉快痛快冒険活劇か?と思います。確かにそういう要素もありますが、しかしそれだけではありません。二重三重に伏線が張り巡らされた堂々の謎解きミステリでもあるのです。

亡き婚約者の敵を付け狙う芳娥の前には、次々と色んな人々が登場してきますが、これがどれも一筋縄ではいきません。たとえば、幼い日の彼女にありがたくない予言をした、雅号を「奉元先生」という人物。「卜占とは異なる不可思議なやり方で、世の中の様々な出来事を予言し見通すと噂されていた」「半月先の天気や水の湧く場所、流行病の兆しなどを幾度となく言い当て、人々を驚かしてきた」と紹介されると、まるで仙人か何かのようにも思えます。女の子が長身になるなど、と芳娥の父親が予言に渋い顔をすれば、背が高ければいいことがある、男に化けられるではないか、と突拍子もないことを言い出すのもそうですね。芳娥は子供心に、男に化けられれば、普通の娘でいるよりもずっと世界が広がるのだということに気付き、胸をときめかせます。奉元先生は、このぶしつけな予言をすることで、実は芳娥の前に世界への扉を開いて見せたのだといってもいいでしょう……。

と思ったら。

何だ何だこの人、仙人みたいだなんてとんでもない、思いっきり俗物じゃないかあ。しかも決して大物じゃない。大物っぽく振舞いたい小人物……。

と、全てがこんな調子です。物語が進むにつれて、ひとり、またひとりと芳娥が追う謎にかかわる人物が新たに登場してくるのですが、新しい登場人物が増えるごとに、先に登場していた誰かが最初とは全く違った顔を見せることになったりするんですよね。その度に謎の解明も行きつ戻りつ、二転三転を繰り返します。全ての真相が明らかになるのは本当に最後の最後。

最近のミステリの風潮からいえば、決して長過ぎるという分量ではありませんし、表面上のストーリーそれ自体はすいすいと快調に進みます。でもだからといって、読むほうも快調に飛ばしてしまったりしたら、必ず伏線を見落としてしまうことになるので要注意! どんな些細な(と見える)描写も、読み飛ばさずじっくり味わって下さい。最後の真相まで辿り着いたら、作者の筆力にきっと感嘆させられますよ。

巧い、とはこういうミステリのことをいうんだなあ。人目を引くタイムリーな題材の超大作も決して悪くはないけれど、私の趣味は、やっぱりこっちのほうですね。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

今回の内容は、「出来事」でいえば3つになるでしょうか。

坂本龍馬の寺田屋事件その後。小松帯刀の囲い女騒動。そして、タイトルにもなっている、将軍家茂の逝去。

と並べると、同時期に起こったという以外には何の関連もない、三題噺のような取り合わせに見えます。

このバラバラの3つが、「待つ身の女の立場」から見た形で描かれることで、バラバラの素材ではなくなっていました。

帯刀をめぐる2人の女、芸者あがりの囲い女であるお琴と、家つき娘の正妻であるお近。龍馬の妻おりょう(とはいうものの、この時代の感覚からいえば、当人同士の恋愛のみで結びつき、正式に祝言をした訳でもない彼女は他人の目には、龍馬の「情人」としか映らなかったのではないでしょうか?)。そして、徳川将軍家の大御台所である天璋院と、現将軍の御台所である和宮。

それぞれ全く異なる立場、かけ離れた身分のこれらの女性達が、等しく耐えなければならない想いがある。

恋人、夫、義理の息子──自分の大切な存在、愛情の対象である男達が、どうか、命だけは別状のないように。

それ以上のことを、敢えて彼女達の誰も望もうとはしません。お琴もお近も、帯刀が自分ひとりだけを愛してくれるようになどとは願いませんし、おりょうも、龍馬が命を賭して国事に奔走するのを止めようとはしません。

そして、天璋院と和宮も(実の息子である家定を失って久しく、大奥を統べる立場も天璋院に譲った本寿院の、気楽な隠居暮らしの姿が、この2人とは見事な対照をなしていますね)。

未だ将軍正室の貫禄はまるでなく、頼りなげな少女妻である和宮でさえ、「早く私のところに帰ってきて下さい」と言葉に出して望むことはせず、家茂の不在に耐えています。

無事であるように。

願っていいのは、ただ、それだけ。

先日ネットサーフィンしていて、どこかの掲示板でだったかブログのコメント欄でだったかちゃんと覚えていないのですが(汗)、このドラマについて、天璋院は主人公ではあっても傍観者だ、という感想を見かけました。

女性を主人公に据える、とはつまりそういうことなんですよね。天璋院の生き方それ自体は彼女自身が選択したものですが、大奥に君臨する大御台所という立場であってさえも、彼女が能動的に行動できる範囲は非常に限られたものでしかありません。

願い、祈り、待ち──そして、耐える。

極端なことをいってしまえば、殆どそれのみに終始するのがこの時代の女性の人生ということになってしまうのかもしれません。ましてや、お近もおりょうも天璋院も和宮も、幸か不幸か、所帯の苦労とは無縁ですから。

……もっとも、いずれお琴には帯刀の子が生まれる訳で……そうなると、お琴とお近には、帯刀のことのみではない気苦労や悩みの種ができてしまうことになる訳ですけれども。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:

またしても、ちょこっとご無沙汰してしまいました。

直接的原因としては、職場が忙しかったということになるんですが、更にそこから派生する理由がもうひとつ。

忙しかったために、書店に全然行けませんでした……。

しかしそれもやっと一段落。

今日は休日!

早速行ってきましたよー、街なかの大型書店に。これで当分、読むものを切らす心配はありません。

さあ、どれから読もうかなーっと♪

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

うーん、まだまだだなあ、和宮様は……。

判っているつもりではいても、ついつい嘆息したくなってしまいます。

天璋院と彼女を単純に比べちゃいけないことは、重々承知してるんですよ。年齢も違えば人生経験も違う、生まれ育ちが全然違う。このブログでも何度もしつこく繰り返してきましたが、お公家さん育ちの和宮に、武家の女性と同じ自覚を求めること自体が無理というもの。

天璋院は分家とはいえ藩主の一族につながる、自家の領地領民というものを持つ家に生まれました。彼女にとって、人の上に立つ、ということは、実際に権力を行使すること、それに伴う責任を引き受けること、です。

しかし和宮の生まれ育った環境には、実際の政治経済を動かす力というものはありません。実社会での実権は何もなく、従って百姓町人への責任も何もなく、ただ、存在それ自体が尊い、偉い、とされているだけ。

しかもお公家さんというものは、基本的に柔弱なものです。毅然としていること、気丈であることなどは求められない。まして女性なら尚更。

だから、そういう生まれ育ちの、しかもまだ若い和宮が、長州攻めに出立する家茂を送り出す天璋院の笑顔に込めた万感の思いを全く察することができないのは、しょうがないといえばしょうがない……んですが……。

それにしてもねえ!

昨日今日輿入れしてきた訳じゃあないんですから。いくら周囲を京都からついて来た人々にがっちり囲まれていて、彼女達の誰一人として「嫁したのだから徳川将軍家のやり方に馴染まなければ」だなんてことは露ほども思ってはいなくても、ですよ。

もうそろそろいい加減、「他人の為を思って行動する」ということを考えつくようになってほしいなあ……。

彼女は今にも泣き出しそうな顔で家茂を見送ります。彼のことが心配でたまらないという真心が伝わってくる表情。いじらしさに心打たれますが……ただ、出立時にそんな顔を見せられてしまった家茂の心中はいかばかりか。とても、後顧の憂いなく旅立つという訳にはいかないでしょう。

ただ、今回、和宮は母をなくしました。(最期に娘にかけた言葉が、強く生きよ、だったことはなかなか示唆に富みます)

そして。

次回ではとうとう、家茂の最期が描かれることになる訳ですが……。

これらの大き過ぎる喪失は、しかし、和宮が大人になるために、必要な試練であるともいえると思うのです。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:

筒井康隆『七瀬ふたたび』が、またドラマ化されましたね。

29年前に多岐川裕美さん主演で制作された時は、原作に忠実なつくりになっていましたが、今回は「テレパスであるヒロインが他の超能力者達と出会って……」という骨組み以外、かなり大胆なオリジナル設定になっているようです。

「時をかける少女」も新しくアニメ映画になったし、筒井作品は息が長いなあ……などと考えているうちに、ふっと思い出したのがこれでした。新井素子1984年発表の長編……って、これもいい加減古いな(笑)。

筒井さんの七瀬シリーズでは、しばしば、七瀬を見た男達が彼女と寝る空想をする場面が出てきます。美貌の七瀬に対して男達がそういう欲望を抱くのはまあ普通のことなのですが、ここで普通ではないのは、彼女にはテレパシー能力があるということ。そう、七瀬には、目の前にいる男が今、自分を犯す想像をしているのだということが、手にとるように判ってしまうのです。

作中では、七瀬にとっては別に何でもないことであるとして描かれています。だって、いつでも誰でもそうなのだから、と。

最初に読んだ時には、子供だったこともあり、まあそんなもんかなと思っただけでしたが……後年、この『あなたにここにいて欲しい』を読んだ時に、あっと思った箇所がありました。

この小説にもテレパスの美女が登場します。

幼い頃から美少女であったが故に、12歳の時にはもう、男達の心の中で犯され、そしてその想像を正確に読み取ってしまうという経験をしてきた女性、綾子。

彼女も七瀬と同じく、そんなことには慣れっこなのですが──ただ、彼女と七瀬には、決定的に違うところがある。

七瀬は、本当に何とも思っていないんですね。しかし、綾子はそうではない。


 今、目の前、心の中にうかぶ構図は──女として、とても、我慢ができないもの。一生、許すことができない筈のもの。たとえそれが現実ではなく、宇野さんの空想の産物だったとしても、とても思い返したくはない筈のもの。

 もし、あたしが綾子だったら。

 こんな心の中の構図を見せられただけで、宇野さんに殺意を抱くだろう。それも──ピストルの類で撃ち殺したんじゃあきたりない、出刃包丁で、一寸刻み、五分だめしに、体中、切りつけずにはいられない程の殺意を。


 綾子の不幸。女だったら、誰だって一生許せないようなことが日常茶飯事になってしまうという、不幸。それ程、綾子は傷つけられてきたのだ。普通の人間だったら、生涯恨みに思うようなことを、どうってことないと思ってしまう程──常時綾子は傷つけられてきたのだ。


新井素子インタビューなどを見てみると、当然というべきか、筒井読者なんですよね。となれば七瀬シリーズも勿論読んでいたでしょう。

男性作家筒井康隆が、男の頭で考えたキャラクター設定について、若い女性の立場からさりげなく異議申し立てをしているようにも思えたのです。



(ところでこの作品、今「生きてる本」ではないんですね? アフィリエイト検索に引っかかってこなかったのでびっくりしました。アマゾンでも古本しかないような……これが品切れ・絶版だなんて、納得いかないぞーっ!)

いいね!した人  |  コメント(7)  |  リブログ(0)

テーマ:

薩英戦争。八月一八日の政変。蛤御門の変。

幕末年表に太字で載るような出来事が、次々と出てくるようになりました。徳川幕府と薩摩藩に直接関係がないためこのドラマでは全くスルーされてしまいましたが、この間に池田屋事件なんかも起こってます。と、言わないではいられない新選組好き(苦笑)。

しかし、時代がいよいよ風雲急を告げるありさまになってきていても、どこか、「遠くの出来事」という感じなんですよね。視点が基本的に江戸城大奥の天璋院に据えられていますから。彼女は勿論、時勢に注意を払い、関心を持ち続けていますし、ニュースも絶えずもたらされてはいますが、彼女自身が関わり、経験している出来事ではどれもありません。

自分がどうにもできないところで、世の中がどんどん大きく動いていく。それをただ見守っているしかできないもどかしさ──薩摩がイギリスと戦争したとか、長州の過激派が京都の町を焼いたとかの重大ニュースに接する天璋院の表情には、そんな焦燥があるようにも思えます。

しかし、佐幕派びいきとしては、「基本、薩摩目線」の幕末ドラマを観るというのはなかなか新鮮でいいですねえ(以前に「翔ぶが如く」などもありましたが、ちゃんと観ていなかったのであまり印象に残ってないのです/汗)。

最初にも書きましたが、「主人公に直接関係のないことは、どんなに有名であってもスルー」という方針がしっかりしているので、京都守護職松平容保公も新選組も見廻組も、全く・全然・影も形も、出てきません。勤皇方にしても、長州勢は、「長州」と大きくひとくくりにされておしまいです。高杉晋作や桂小五郎の人となりやエピソードなどが語られることはなく、また、なくても別にこのドラマには何の支障もない訳なんですよね。

このところ坂本龍馬の登場シーンが増えてきていますが、彼もただ単に幕末史の有名人だからという理由だけで出てきている訳ではないでしょう。もしも彼が薩摩ではなく長州のほうと近しい人間であったなら、薩長同盟や大政奉還などへの関り方が同じであったとしても、このドラマに出てくることは多分なかったでしょうね。


ところでこのドラマは、歴史年表の見出しばかりで成り立っている訳でもありません。そういうことよりももしかしたら重大事なのが、大奥内の人間関係の機微。

将軍家茂の上洛問題で、天璋院との間にまたしても距離を置くようになってしまった和宮。腹を立てる、怒る、というよりも、「所詮、あなたとは理解し合えない」という判断を冷静に下してしまったように見えました。

家茂が戻ってくることになっても、和宮のこの態度に変化はなく、これはひょっとしたら、このまま彼が亡くなる時までこの嫁姑の仲は打ち解けないままなんじゃ……とさえ思ったのですが、ははあ、その手がありましたか。

和宮の体調不良が悪阻の症状だと早合点されて、いっとき、「ご懐妊!」で盛り上がった大奥内。早とちりだったと判った後、傷心の和宮の心に寄り添うことができたのは、生まれた時から側にいた母親でも乳母でもなく、天璋院でした。

将軍御台所の役目として「お世継ぎをもうける」ためにではなく、夫を愛しているから、その子供を産みたい。

和宮のこの思いを正しく理解できるのは、かつて同じ思いを抱いたことのある天璋院ただひとりだけでしたから。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。