手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。


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戸板 康二
最後のちょっといい話―人物柱ごよみ

このところ、本放送時に全く観られなかったNHK金曜時代劇「山田風太郎からくり事件帖」の再放送を楽しみにしています。といっても、1話と2話はぬかってしまったんですが。うーん、これは全部観たいなあ……NHKさん、何とかDVD化して頂けないでしょうか。感動の名作でも傑作でもないし、もう5年近くも前のドラマではあるんですけれども。
中村彰彦氏の『明治無頼伝』のあとがきだったか、明治10年までは幕末、という言葉がありましたが、時代設定はまさにその時期。ご隠居こと最後の南町奉行・駒井相模守、元同心(つまりご隠居の元配下)の兵四郎らと警視庁大警視・川路利良が、江戸改め東京の街で起こる様々な事件で対決。更にそこへ実在の有名人がからみます。史実をがっちり押さえた上でドタバタ・ハチャメチャ・荒唐無稽をやらかすという、実に何とも贅沢なつくり! 川路大警視がレギュラーなら、彼も出てきてくれないだろうかと思ってたら……いました! 端役の巡査達の中に「藤田巡査」というのが(笑)。でもって兵四郎を評して曰く「新選組に欲しかったなァ」と……はい、斎藤一です(笑)。
原作が読みたくなって最寄の本屋に走りましたが、ちくま文庫も河出文庫も置いてないのでした。休みの日まで待たなきゃなりませんね。
という訳なので、原作の話ではありません。このドラマを観ていて、「あー、読んでてよかった!」と思った本の話です。
第3話「写真、事始め」はいわば「神風連の乱」前日譚。殺された熊本鎮台司令官・種田政明に対して、乱の参加者の1人が実は女をめぐる恨みを抱いていた!という衝撃(笑)の真相が語られます。更に衝撃の真相第2弾は、この青年を焚きつけたのが川路大警視なんですねー(笑)。女を諦めて郷里の熊本へ帰れと、一見穏やかに勧めているかのように見えながら、ふっと呟く「風蕭蕭として易水寒し」……って、こらちょっと待ておっさん! そりゃ始皇帝暗殺に向かった荊軻の詩だろーがっ! 何をほのめかしてるんだあんたはっ(近藤正臣さん、こういう腹黒い人やらせたら天下一品ですねえ・笑)。
で、問題の女性は乱の当日、難を逃れて東京へ事件を知らせる電報を打ち、これが名電文として有名になる訳なんですが。
「ダンナハイケナイ ワタシハテキズ」
このエピソードを、『最後のちょっといい話』で読んでたんです。
こういう事実とフィクションをうまいこと混ぜ合わせたタイプの作品って、元ネタを知ってると楽しさ倍増なんですよね。おお、これをこんな風に料理したか!っていう。で、このドラマに限らず、この「ちょっといい話」シリーズのおかげで「あーこれ知ってる!」と叫べた例は枚挙に暇がありません。
劇評家にしてミステリ作家の戸板康二さんが亡くなるまで続けていた、エッセイというか古今東西の噂話というか、のシリーズです。一体どんなもんかというと、こんな感じ。


         
 劇作家ジェームス三木がはじめて放送の仕事で書いた台本が刷り上って来たのを見たら、作者の名前が「ジュース三本」になっていた。
         □
 戦前は参議院でなく、貴族院であったが、その議長を長く勤めたのが、十六代将軍に世が世ならなるはずだった徳川家達公であった。或る日、議場が大変ざわめいた。すると徳川議長は、発言している議員のほうに指をのばし、「子爵、ちと声がお高うござりましょう」とリンとした声でいった。すると、いわれた子爵が「ハハア」と机に両手をついて平伏した。彼は小藩の大名華族だった。
         □
 坂東八十助と中村勘九郎がディスコに行った。ところが、そこにいる人たちのように、うまくおどれない。日本舞踊の動きみたいになってしまう。しょうがないから、隅のほうにいって、二人で「三社祭」をおどっていた。
         □

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司馬 遼太郎
幕末
決して山師でも策謀家でもない、ただ人よりちょっとだけ変革への志が大き過ぎたがために危険人物扱いを招き、悲劇的な最期を迎えることとなった藤沢周平版清河八郎の活躍を堪能したら、今度はこれを読み返したくなっちゃいました。
自分が他人よりも強くて賢くて度胸もあって、リーダー性抜群であることを自分でしっかり判ってるというイヤな奴(笑)。180度正反対キャラの司馬遼太郎版清河八郎です。実在の同一人物を主人公にして、ここまで違う作品になるものかと(笑)。
たとえば、彼がお尋ね者になる直接の原因となった事件。往来で、酔っ払った振りをしてからんできた下っ引きを一刀のもとに斬って捨てた。この出来事それ自体は両作品とも変わらないんですが、細かい内容はまるっきり違います。藤沢版だと、相手が自分を捕らえようとしていることに気づいたため咄嗟に斬るしかなかったという、いわば過剰防衛。しかも、実は公儀にとってはそれこそが思う壺。あいまいな思想犯としてではなく、議論の余地ない殺人犯として追われる身になってしまう……という悲壮かつサスペンスフルな展開です。これが司馬版になると、からんできた相手の正体に最初から気づいていて、いきなり名前を呼んでぎくりとさせる。そして抜く手も見せぬ早業で首をはね、悠々と退場。自分の刀の切れ味には感心しても、人を斬ったことそれ自体については「たかが町人首」と気にもとめない……。
何度も言いますが、同一人物です、念の為(笑)。
しかし、この司馬版八郎くん、もうどうしようもないくらいヤな奴であると同時に、また妙に格好いい男であることも確かなんですよねえ。たとえば、自分の情人(藤沢版では妻ですが、司馬版ではただ、深い仲の女というだけです)が逮捕されたと知った時の反応。いきなり刀をすらりと抜いて、俺のためなら喜んで死んでくれる女だ、だがそれまでの拷問を思うと胸が張り裂ける、てなことを言ったりする。……挙措動作がいちいちぴたっと決まって、頭にくるけど思わず見とれてしまう、というような。
とんでもなくカリスマ性のある男で、だからこそ同時に強烈な反発も招く。山岡鉄太郎が惚れ込むのも、佐々木只三郎がムカつくのも、どっちもいちいちよく判る。タイトル通り、「奇妙なり」としか言いようのない人物なんです。司馬遼さんが、個人としてこの人物に好意・敬意を感じていたとはとても思えません。実は山師じゃないかも、と考えたことも多分ないでしょう。でも、小説書きとしての冷徹な好奇心だけで造形されたこのキャラクター、小説の主人公としてはとんでもなく印象的かつ魅力的です。
最後の暗殺場面の見事さは、何回読んでもそのたびに改めて感動させられます……これぞ短編小説の幕切れ!というお手本みたいな文章。司馬史観がどうとかこうとか言われますが、私にとって司馬作品一番の魅力は、この文章の鮮やかさですね。
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藤沢 周平
回天の門

幕末小説は世に多々あれど、これはちょっと珍しいかも。文庫本で500ページ超、堂々の主役を張ってるのは清河八郎です。
同じ藤沢周平作『雲奔る』のあとがきにもありましたが、作者にとって清河八郎、自分の郷里から出た志士、なんですね。なので最初っからどうしても見る目が他人とは違う。山師策士と呼ばれ悪評まみれの彼ですが、それは「誇張」「曲解」があるとし、悲劇の志士として描いています。
実家は豪農で大規模な酒造家で、つまりは大金持ちのお坊ちゃま。14歳の頃から郭通いをし、「ど不敵」な性格の少年は、おとなしく家業を継ぐ気にはどうしてもなれず、江戸に出て学問と剣術に励みます。やがて念願だった文武ニ道教授の塾を開きますが、時代の動乱を目の当たりにするうちに、「学者だからといって、黙って坐って書物を読んでいるわけにはいかん」と思い始め……。
という辺りまではスムーズに読めるんですが、国事奔走のための集団「虎尾の会」結成のくだりぐらいから、八郎のキャラクターにちょっと飛躍があるな、という感じがしてきました。
後継ぎという立場に縛られて鬱屈と情熱を持て余す少年から、時勢に胸をとどろかせる英明な青年へと成長していく訳ですが、このいずれの段階でも、八郎、基本的に「普通の人」なんです。いたずらに過激の言辞を弄したり刀を振り回したりはしていない。
それがいきなり、ごく当たり前のように横浜焼き打ちの計画を立て、将来の倒幕を決意し……い、いつの間にそういう奴になったんだ(苦笑)。
八郎を山師的と呼ぶなら、真木和泉だって西郷・大久保だってそうじゃないかというのが作者の言い分です。それは確かにその通り。彼等ほど身分が高くなく、「草莽」であったがゆえに扱いが違うのではないか、と藤沢氏は言うんですね。それも当たってるだろうとは思うんですが。
一介の志士が、対幕府、対朝廷、対藩の行動ならば策を弄するのはむしろ当然です。でなければ渡り合えるものではない。でも八郎が浪士組結成に当たって用いた策は、相手は幕府だけではありませんでした。彼は集まった浪士達200人をも騙していた。騙したというのが言い過ぎならば、自分同様の草莽である彼等を、同じ立場の人間としてではなく、只の「頭数」としてしか見ていなかった。
藤沢さん、そこのところは少しも気にならなかったのかなあ……? 最初から「弁護しよう」という意図があって書かれた小説の限界を見たような気がします。
ラストシーンは勿論、八郎が佐々木只三郎達に斬られるところなんですが、この解釈は斬新でした! こう来たか……悲壮美ですね。

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日本推理作家協会
殺しのパフォーマンス

「人間ちり鍋」
と、いきなり挙げたら何のことかと思われるでしょうが。
水魚さんのところ で、医療にまつわる都市伝説を集めた本、が紹介されてたのです。その中の一例。
お風呂につかった状態で人が亡くなった。お風呂の火はついたまま。ほっといたらどういうことになるのか、ということを言い表している訳なんですが。
本の著者の方は「これがどんな状況だったか書くのは悪趣味なのでやめます」と書いているそうです。水魚さんも「これ以上は読みたくありません」とおっしゃってます。そして私はこの本を読んだことはありません……にも関わらず。
まざまざと脳裏に浮かんでしまったイメージがあるんですよ……この短編のせいなんです。
それは仲睦まじく理想的な結婚生活を送っているとある夫婦。彼等は再婚同士ですが、どちらも死別でも離婚でもありません。失踪です。ある日突然配偶者が姿を消し、戻ってこなかった。どちらの家でも、その日は一晩中、風呂の火が焚きっ放しだった……。
そう、実はこれは殺人でした。理想の伴侶に巡り会った男と女が、邪魔な配偶者を始末して一緒になったという訳なのですが。風呂の火にどういう意味があるのかというと。
……作中で詳述されてるんですが(汗)、ううう、これはやっぱり私も自分では書きたくない……アンソロジー『殺しのパフォーマンス』講談社文庫ですので、興味のわいた方は読んでみて下さい。但し警告! 正直、グロです(汗)。


 もし、兼子も一造も、こうして小さくされていたならば、彼らの配偶者たちは、警察が捜索にくる前に、死体をどこへなりと隠すことができただろう!


 「小さくされて」だって……うげげげげ。

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柴田 よしき
猫は引越しで顔あらう 猫探偵正太郎の冒険4
ただいま嬉しい3連勝中。はたして4連勝できるか?
……って、あ、すみません、コンサドーレ札幌の話です。
今朝は、「ブラジルに勝てるとは思えない。録画放送はあるが、負け試合と判っていて録画放送で観るのはおよそ気が乗らない」という判断のもとに起き出して生放送を観戦しましたが、正しい判断でしたね(笑)。
しかし、4点はいくら相手がブラジルでも取られ過ぎ! 何となく、「勝てないまでも、みっともない姿は見せられない」という意識が希薄だったような気がするぞ……。
まあ、それはさておき、本の話です。
ついに東京にやって来ました、桜川ひとみ先生と正太郎。ひとみ先生の恋人の転勤に伴っての引っ越しだから、てっきり結婚か同棲かするのかと思ったら、まだそこまではいってません。という訳で、ひとみ先生の超あつかましい条件による新居探しにまつわる謎からスタート。一戸建て(正確には大家さんちの離れ)という物件を首尾よく発見し、正太郎は大家さんちの猫2匹(名前はフルハタとニンザブロー、略してフルフルとニンニン!)とともにご近所の謎に挑みます。この2匹、正太郎の謎解き好きといい勝負の噂好き・詮索好き。3匹でああだこうだと推理合戦が始まると、正太郎が聞き役に回ることさえあるんです。これは新展開だなあ(笑)。
しかし何だかあっさり舞台が東京に移っちゃって、金太とかチョチョとか、これまでのレギュラー犬猫陣とももうこれでお別れ?と思いつつ作者による解説を見たら、実は、本作1話目と2話目の間に長編が1つ入る筈だったんだそうです。作者自身の引っ越しのため、予定が狂ってしまったのだとか。そうかそうか、近いうちに長編が読めるんですね。楽しみ!
それから、もうひとつ楽しみなこと。正太郎が東京に来れば、これは必ず永遠の心の恋人・トマシーナとの再会があるぞ、と期待していましたが、本作の段階では残念ながらまだでした。しかし、「次のシーズンが終わったら会わせてもらえることになっている」という一節発見!
長編は時間がちょっと戻って引っ越し前後の話になるとして、次の短編集辺りでついに再会がありそうですね。
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ジェネオン エンタテインメント
獅子の時代 完全版 第三巻

第22回「雲井龍雄襲撃」まで観ました。

この回はタイトル通り、明治政府が米沢藩士・雲井龍雄を捕らえて殺してしまうという出来事がメインです。事件それ自体は大昔のことだし、ドラマが作られたのも26年前。しかし、観てると、何というか……。

政府が危惧するのは、雲井のもとへ生活に困窮する武士が多く出入りしていること。困窮している=政府に不満がある、ということです。彼等不満分子の群れは、容易に謀反人の群れとなるのではないか。そもそも雲居の目的はそれではないのか? 反乱が起こってからでは遅いと、政府内では雲井を捕らえようという意見が大勢を占めています。嘉顕はひとり反対を唱えますが、誰も相手にしてくれない。大久保利通以下、「これは戦いなんだ、先手を打たないでどうする!」という声ばかり。

いやあ……観ていて、「共謀罪」とか「対テロ戦争」とかいう言葉を思い浮かべてしまいましたよ(苦笑)。

嘉顕は公正な裁判を求めて奔走します。雲井が捕らわれたのは有り得べからざることですが、災い転じて福となす、の気構え。裁きの場で雲井には存分に主張を述べて貰おう、そして堂々と無罪放免を勝ち取って貰おうと。

理想主義者の限界ですね。政府は最初から雲井を殺す気で捕らえたのです。意見を言う場など与えられる訳もなく、彼は打ち首になりました。

雲井を演じていたのは風間杜夫さん。何かもうどの俳優さんに対してもおんなじこと言ってますが(笑)、若い! 細い! クールで知的な眼差しが何とも魅力的でした。1回限りのご出演とは勿体無い……。


このドラマ、銑次と嘉顕が本当に2人とも主人公として並び立っていることに感心させられます。

敗者の側に寄り添い過ぎれば、薩摩・長州はただ天下を取りたかっただけに過ぎないという扱いになるでしょうし、維新の意義を強調し過ぎれば、旧弊な会津は敗れるべくして敗れただけということになるでしょう。その場合、嘉顕もしくは銑次が、制作側の「両方に目配りしています」という言い訳のためだけのキャラクターになってしまっていたおそれは大いにある。

でも、そうはなっていないんですよね。見事です。

単純な悪玉も善玉もいないんですよ、このドラマ。たとえば藩閥政治を推し進める大久保利通にもちゃんと言い分がある。薩摩人が政治をとるのが一番スムーズに進むと本気で思っているんです。

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ジェネオン エンタテインメント
獅子の時代 完全版 第三巻
久々に再開です。簡単におさらいすると、開墾だけでは斗南の冬は乗り切れないと見た銑次が青森へ出稼ぎに来て、洪という清国人とかかわりを持ったところまででした。
洪は革命を目指す青年です。アヘン戦争以来、すっかり弱体化してしまった清。外国の侵略者を追い出し、疲弊しきった現王朝も倒して、新しい漢民族の国を作りたいというのが彼の念願。放送時には多分何とも思わずに観ていた筈ですが、今観ると非常に切ない場面のひとつなんですよねえ、これも……清王朝の終焉はまだまだ先の話です。彼の夢はかないません。
銑次と弥太郎は新政府軍の武器を盗み出す手伝いをし、まんまと成功(余談ですが、ここの責任者が嘉顕の留学仲間だった尾関。戊辰の戦いの間じゅう「薩摩の天下じゃ!」と舞い上がってふんぞり返っていた男ですが、あの時に引き続き、人間の小さい奴だなあということをしみじみ感じさせる登場の仕方でした)。ところが、思わぬことが起こります。洪が同志と信じていた者達の殆どは、実は本気で革命を志してなどいませんでした。彼等は武器を転売して儲けようともくろみ、邪魔になる洪を殺してしまいます。
武器を運び出そうとする連中の前にあらわれた銑次。ほんの束の間の付き合いでしかなかった洪のために、自分でもうまく説明のつかない衝動にかられて闘います。……ここまで、意識的にか無意識的にか「家族のため」という一点のみで行動していた彼でしたが、だんだん変化してきていますね。世の中全体をよくしたいという洪の情熱に触れたことが、銑次の中に何かを生みつつあります。
さて一方、東京の嘉顕。
菊子は弟・信吾の家に住んで、嘉顕のところへ通ってきていましたが、信吾が外国へ行くことになりました。信吾としては、これで菊子と嘉顕を同居させてしまえば後はもうなるようになる(笑)と思ってる訳なんですが、嘉顕だってそんなことは百も承知です。先手を打って、菊子が来るのと同時に女中をひとり雇い入れました。
この人選がいかにも彼らしい。夫と息子が彰義隊で死んだという元御家人の老女なんです。物静かで上品で丁寧な物腰の婦人ですが、薩摩人に対して何も思わないでいられる筈はない。敢えてそういう人を身近に置いて、戒めにしようというんですね。
こういう意志の強い男だから、菊子に対しても「義姉上」としての扱いを決して崩しません。彼女が、深夜に彼の部屋へお茶を持ってくるという思い切った行動に出ても、敢えて言外の意味には気付かない振りを通します。何とも危ういバランスですが……。
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アーシュラ・K・ル=グウィン, Ursula K. Le Guin, 清水 真砂子
アースシーの風 ― ゲド戦記V

プロ野球とワールドカップの合間に録画した番組を観るのに追われて、「獅子の時代」鑑賞がストップしてしまいました……うーん、いいところで止まっちゃってるんだよなあ。早く再開したい!
と言いつつ、とりあえず本の話(笑)。
やっと全巻揃いました!
「最後の書」と銘打った第4巻が出た後になって、今度こそ最後の第5巻がいきなり登場。おやこれは揃えなきゃ、と思いつつそのまま時がたっていたのですが。
えっ、ジブリが映画化する? あ、でもシナリオは第3巻「さいはての島へ」が中心なのね、じゃあ焦って買わなくてもいいか、と思ったら。え、テルーが登場するの? この子って第4巻からのキャラじゃん……ということは。
やっぱり全部読んでおいたほうがいい!
という訳で、映画公開目前になってやっと買いましたよ、第5巻「アースシーの風」。ふう、間に合ったあ。
こんなタイトルのシリーズですが、実のところ、魔法使いゲドが名実ともに主役を張るのは第1巻のみ。続刊では彼は脇へ回り、助演男優賞的な活躍を見せることになります。だもんで、小説の読者としては物語を堪能しながらも、ゲドの格好良さに惚れたファンとしては、ずうーーっと微妙な欲求不満が続いてたんですよね……で、望みをかけた最終巻だったんですが、うーん、シリーズの骨格はそのまんま変わらずでした。ちょっと残念。

改めて通して読んでみると、作者の中で、この物語世界の捉え方がどんどん変わっていっているのが判りますね。たとえば竜の存在。第1巻の時点では、人間とは相容れない恐ろしい生き物というだけだったのが、段々、恐ろしさと同時に偉大さも併せ持った存在という描き方になっていきます。そしてとうとう……最後にこんな展開になるなんて、昔書き始めた頃には、作者自身思ってもいなかったんじゃないのかなあ。

そして、女性の捉え方についても。

大抵の魔法ファンタジーというもの、架空世界が舞台なんですから、どんな時代設定でもよさそうなものですが、暗黙のうちに「この世界でいうなら中世の感じ」というルールがありますね。王侯貴族がいて身分の区別があって、女性の地位は低い時代。アースシー世界もそうなっていて、まともな魔法使いは全員男。女は一段劣った占い師やまじない師どまりな訳です。そして魔法使いの男は修行のために禁欲を貫き、家庭を持つこともしない。

このルールに作者自身が疑問を持った結果、第4巻以降、魔法ファンタジーの世界で、男と女の自我と自尊心と結婚の問題が追求されるという、児童文学の枠におさまりきらない作品になっている訳ですが。

でも、破綻はしてないんですよね。登場人物全員、個性があって感情があって生身の身体があって、物語のご都合主義で動かされてるんじゃない、ちゃんと生きているんだ、という手応えがあるんです。

映画の予告を観たら、事実上の主人公・アレン王子の声は岡田准一、そしてゲドは菅原文太! 期待大ですよ、これは。

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坂木 司
青空の卵

わー、揃って勝ったーーッ!! コンサドーレとファイターズ!
……って、ワールドカップのさなかに何ドメスティックな、というよりローカルな話で興奮してるんだと思われるかもしれませんがご容赦を。だってほんとになかなかないんですよー、両方勝つことって。これで一気に明るい週末になりました♪
なんていう話題で始めておきながら、実はサッカーにも野球にも全然関係のない本の話です(笑)。
この小説の読後、『歳三征きてまた』以来久々に、他の人の感想を求めてブログやサイトを検索しまくるという行動に出てしまいました。といえばお気づきの方もいるかもしれませんが、まるでボーイズラブみたいなんですよね(苦笑)。この「みたい」というところが曲者。そのものではないんです。明らかに作者はそのつもりはない。しかし、だったらこの表現はちょっと(苦笑)。
というようなことは単行本の時点で既にたくさんの方がツッコミ済みなので、他の要素に目を向けてみることにしました。
帯のコピー「名探偵はひきこもり」なんですが。これ、指摘してる方がいて、全く同感だったんですけれども、間違ってると思うなあ。探偵役・鳥井真一、確かにほっといたら半年でも1年でも自宅から1歩も出ないでいられそうな奴ですが、しかし、「ひきこもり」ではないですよ。過去にトラウマがあって、そのせいで他人と極力関わりたくないと思っているし、自分が他人から拒絶されないですむということにも自信がない。それで部屋から出たがらないという人を、「ひきこもり」と呼びたくなるのは確かに判るのですが。
でも、彼が閉じこもっているのは実家の自室ではなくて一人暮らしの部屋。友人知人が来れば招き入れ、手料理をふるまいます。プログラマーという仕事も持っています。それにここが重要なんですが、彼、閉じこもったっきりじゃないんですよ。自発的にではないにせよ、近所のスーパーぐらいなら割としょっちゅう出かけてるんです。
これをひきこもりと呼ぶっていうのはねえ……昔、曽野綾子『夢に殉ず』の主人公が無職だ無職だと威張る(笑)ので、そのつもりで読んでたら、途中で、ぼろとはいえアパート1軒所有しているということが判った時の「おいおい」感を思い出しました(苦笑)。
1冊通して読んでいくと、作者はとことんいいひとなんだろうなあというのが判ってきます。出てくるのは基本的に善人ばかり。ちょっとこそばゆくなるような「感動的」場面が頻出しますが、まだ書き慣れてないからなんだろうなあと大目に見ることができます。あざとさ、わざとらしさ、いやらしさはありません。

ただ、「いいひと」であるがゆえの限界を、鳥井と坂木のキャラクター設定に感じてしまったんですね。

精神的にべったり依存し合ってて、年齢だけはそろそろ30歳も近いのに、まるで未熟なこの2人、しかし、経済的にはしっかり自立してる訳ですね。鳥井に至っては料理の名手で、パソコン相手に年がら年中閉じこもってるプログラマー・男・ひとり暮らしにしては、実にいいもの食べてるし。

中途半端だなあと思ってしまったのです。

危うく不安定な世の中に対比させて、主人公達には意図的に健全さと強靭さを保持させるのか。

それとも、頭がきれること以外は本当に何のとりえもない、非生産的な「名探偵」とするのか。

そのどちらでもないということが、ちょっと歯がゆいんですよねえ……。

でもこのシリーズ、続刊が文庫化されたら、きっとまた読むだろうなという気がします。何か、続きが気になるシリーズなんですよ。

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村上 元三
新選組〈下〉
ようやっと、村上元三『新選組』のまともな(笑)感想です。
主人公・秋庭守之助は旗本の次男ですが、妾腹であることなどから実家にもよりつかず、浪人同然の暮らしをしているという人物。長崎へ行ったり江川坦庵の塾で学ぶなどして蘭学や砲術を身につけた彼は、直参の生まれではあるものの、徳川幕府及びその体制に対しては非常にクールな見方をしています。といって倒幕運動に身を投じるというのでもなく、いわば時代の傍観者。剣の腕が立ち、短銃の名手でもあるという、いかにもヒーローな一面もありますが、世の中や人生をどうとらえるかということについては、現代人である読者の感覚とかなり近いところに設定されている人物です。
この彼が老中・板倉周防守の命で新選組に入ることになり、彼の目を通した新選組が描かれる訳ですね。それこそがこの小説の主眼であり、だからこそこんなシンプルなタイトルがついてるのだということも重々判ってはいるんですが。
ただ、この守之助くん、新選組と直接関係のないところで展開する彼個人の物語も、結構波乱万丈なんですよ。
相愛の許婚・良乃との仲を裂かれ、駆け落ちを決行しますが失敗。良乃は別の男に嫁ぎ、人を斬ってしまった守之助は芸人の一座に隠れて江戸を脱出。一座を率いるおくらという女は、どうやら武家の出らしくて訳ありな感じ、長州藩ともつながっている模様です。やがて京で新選組隊士となった守之助ですが、内山彦次郎暗殺の巻き添えをくらって一緒に殺された与力がなんと良乃の夫。その最期の場に居合わせたばっかりに、単なる巻き添えではなく、守之助が恋敵を殺したのだと思われて……。
というような守之助の物語と、普通の新選組小説っぽい部分とが交互に語られるために、こんな長大な作品になっている訳ですが。
たとえば藤沢周平『用心棒日月抄』における赤穂浪士の討ち入りみたいに、新選組は背景にまわす、というのでもよかった気がします。あくまで秋庭守之助を正真正銘の主人公として全編でクローズアップ。そのほうがより完成度が高くなったんじゃないかと。
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