暇な時に更新するブログ

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象

 

 

先日テレビのニュースを見ていたら、10歳の囲碁棋士の女の子が16歳の囲碁棋士の女の子に負けたというニュースをやっていた。

 

対局後の会見で記者の方から「今のお気持ちは?」「悔しいですか?」とか聞かれて「緊張しました」と答えていましたが、そりゃそうですよね。

 

大の大人が追いかけ回してカメラでバシャバシャ勝手に写真を撮るのですから、実力を阻害する環境になっていたのかも知れません。

 

もはやマスコミにとっては、この対戦の結果はどうでもよくて、最初から「10歳女の子の囲碁棋士」を取り上げることが前提ですから。結局のところ勝っても負けても「記事にする」という結論ありきでしかありません。

 

ただ、どうなんでしょうか?対する16歳の女の子は紛れもなくこの対局に勝ったわけなのですが、質問に答えた内容は殆ど報じられず、それどころか「戦ってみて(10歳の騎士と)どうでしたか?」なんて質問を浴びせているくらいです。

 

テレビに映る時間も、勝利したのに1/10程度だけ。

 

失礼極まりない。

 

囲碁のルールは年齢で変わるものなのでしょうか?そして同じルールで土俵に上がった以上、当事者達とて歳とは関係なく、勝ち負けの争いを正々堂々と行いたいと思っているハズですが。

 

ですから私は少なくとも、まず勝利をしたこの「16歳の女の子」の方が取り上げられるべきニュースであったと思うわけです。

 

全て、誰について書くかという題材と枠が決まっている以上、ニュース記事なんてものは所詮週刊誌と変わりはないわけです。

 

話題性=ニュース。

 

世の中は、〇〇ハラスメントというのが流行りのようですが、勝負事で勝った人が負けた人よりも大きく報じられるというのは、負けた本人にとってもハラスメント(嫌がらせ)ですし、勝った人にもハラスメント(嫌がらせ)に成りかねません。ましてやこの場合、16歳であれば、本人やそのご家族やご親族、ご友人、関係者にとってみれば、勝利して新聞に載ることは楽しみなはず。

 

切り抜いてスクラップブックにでも残したいと思う親御さんも多いことでしょう。

 

個々人の間でのハラスメントは、個々で解決すれば良いことですが、私がここで指摘しているハラスメントは、社会全体に報じられるわけであって、極めて公共性が高い、報道の自由や特権を盾にした「悪質なメディア取材ハラスメント」と言わざるをえません。

 

何故、議員や官僚、芸能人、民間企業におけるハラスメントは隅々まで事細かく報じるのに、テレビ、新聞紙でも報じるという、最も配信性の高い報道関係のハラスメントが問題にならないのでしょうか?

 

同じように昨今、社会全体が実力主義から目を背け、話題性に流されているように思える事象が多々あります。

 

例えば、自動車の運転。

 

年寄りによる痴呆を含めた鈍化は別の話ではありますが、運転技術や知識不足によって起こる事故は、もはや日々無数に起こっています。

 

私は昔から感じていましたが、正しい運転、正しい知識というのは、大前提の話であって、なぜ教習で車をスピンさせたり立て直す練習や、ABSの無い車で思いっきりブレーキを踏む経験をさせないのかと思うのです。

 

試験に受かることと、「経験値を積んで」それを「技能に活かすことができている」というのが別にあるから問題なのです。

 

今日、誰しもが運転免許が取れてしまうというのはAT車の利点でもありますが、本来車というものは、馬に乗っている所から機械に代わり、車輪を装着するところから始まるわけです。つまり、変速ギアなんてなかった所から始まるわけで、そこからの発展でマニュアル車が出来、更にオートマチックにシフトチェンジができるまでに進化したわけです。

 

そしてこのオートマチックが「簡単だ」と考える根本に問題があるように思えてなりません。

 

厳密には、AT車の変速装置は、アクセル操作が絶対的にシビアであって、どこでシフトが変わるのか、登り坂や下り坂の勾配状況、路面状況によって様々に変化するものです。

 

これを「アクセルだけ」で操作&指示出しをするわけですから、オートによって省かれた部分の重要性や問題点が見えなくなっているものです。そういう意味では、AT車は運転技術や車の構造的な知識は、むしろマニュアル車よりも必要でなくてはならないはずです。

 

つまり、「オートマチックの方がマニュアル車よりも、いざという時は難しい」ということ。

 

馬とまでは言いませんが、そもそもが簡単な乗り物なんてありませんけどね。

 

誰でも簡単にというものは、単に人間が便利さを獲得した代わりに「機械に任せて人間が退化した」という、主語が隠されている視点を社会が忘れているように思います。

 

それを例えば、車の運転補助装置で機械的にカバーするという選択肢は勿論必要な部分でもありますが、それとは別に「扱う人間の能力を上げる」という部分も等しく議論されなくてはならないものと考えます。

 

 

インターネットはとても便利なもので、冷戦下で軍事用の通信手段やスパイ的活動に発展しました。

 

それがいつしか市場に出回って、コンピューター社会が到来。

 

誰しもが手軽に世界と繋がり、自由に発信ができるようになりました。

 

便利ということは、その弊害もあるわけで、本来情報は、自分の目と足を使った収集努力によって手に入れてきました。

 

しかし、それが省かれたということは、それに隠れた情報の本質というものにも着目する必要があります。

 

むしろ簡単に仕入れることができた情報というものは、自分で調べて検証し、収集し、分析した情報よりも難易度の高い情報なのです。

 

昨今の社会問題のおおよそが、便利さに乗っかり、堕落の一途をたどる人間の習性の縮図であると思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 当然ではありますが、猫と人間とでは、寿命が違っていて、歳月経過が違います。
 
 いろいろな所説はありますが、ここで改めで猫の年齢と、人間の年齢を比較した表を作ってみました。
 
 
 
 
 
高いところに登れなくなって救出される猫。
 
なんで降りれないところまで登ってしまうのか・・・・・
 
 
 
 
 
 
犬は散歩とご飯を食べることを生きがいにしているといっても過言ではありません。
 
こう寒い毎日だと、朝晩の散歩も億劫。
 
「ちょと家の前一周でいいや」「今日は面倒だから・・・」というのはよくあることです。
 
が、しかし、所変わってイタリアでは→こちら