【思う事】承認欲求と性善説 | 人生50年あとはおまけです

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成人病オールスターズのおっさんが
書き残す終活日記。
2014年8月以降も生き残っていたら
なるべく続けます

回転すし屋でのいたずらが話題になっている。

この手のリスクって以前から存在していて、

例えば、トングでパンを取って選ぶ

パン屋さんや、スーパーのお惣菜。

コロナ禍の影響でほぼ個包装になったが、

以前は、こういった商品が汚れるリスクが

あった。子供が手づかみしたものを戻す。

商品の前でくしゃみする、など。

茶碗を舐めまわしたり、寿司につばを付けたりする行為

とは同列には語れないけど。

 

性善説に従えば、「そんな不道徳な事を

する人はいない」となる。

0ではないが、

「まぁ大丈夫だろう」

という感覚。

これが、このような販売方法を維持してきた。

 

もちろんいたずらも以前からあっただろう。

現在と違うのは、そういった「いたずら」が

可視化されてすぐ拡散してしまう事だ。

これが「承認欲求」とリンクしているのが

過激ないたずらがなくならない、

バカッターがいなくならない、

一つの大きな理由ではなかろうか。

また、道徳的観念という考え方が薄れてきている

とも思う。

叱られる、怒られる、窘められる

といった体験と学習がないor少ないままに

年齢を重ねてしまった人達は、

「やっちゃいけないことの一線」を

知らないのだろう。

悲しい事だ。

 

誰かに認められたい!目立ちたい!

と思って軽く一線を越える。

本人にとっても不幸な事だと思う。

 

親の責任論、というのもあるけど

私は社会全体の責任でもあると感じている。

 

だからこそ、今。

一罰百戒。

 

こんなことをしたらとんでもない事になる。

という事を社会の共通認識として

確立しなければならない。

被害企業は実際にかかった費用を丸々請求して

その民事過程を公開して、知らしめる。

これだけの費用がかかるんだ。という事を

記録として残すだけでなく、客観化していく。

どれだけの抑止欲になるかは、未知だが、

少なくとも、ばれたら大変な事になって

取返しがつかない、という事を認知させる。

 

不幸な若者をこれ以上増やしてはならない。