「嵐山電鉄・ 四条大宮」 から 「嵐山」 に到着したころには、だいぶ雨脚が 強くなって

   来まして・・・・・「こりゃ、傘無し と云う訳にゃいかんなぁ」 (「ビニール傘」 を購入)

 

   「天龍寺」 (世界文化遺産)

   臨済宗天龍寺派大本山・霊亀山天龍資聖禅寺、京都五山第一位

   「嵯峨天皇の檀林皇后」 が開いた 「檀林寺」 の地が時を経て荒廃したが、その地に

   「後嵯峨天皇」 と その皇子 「亀山天皇」 が 「離宮・亀山殿」 を営んだそうです。 

   暦応二年・1339年 「後醍醐天皇」 の菩提を弔う為に、「足利尊氏」 が 「無窓疎石 」

   (生前 『無窓国師・正覚国師・心宗国師』、死後に 『普済国師・玄猷国師・仏統国師・

   大円国師』 と七度にわたり 歴代天皇から 『国師号』 を賜り 『七朝帝師』 と称される)

   を開山として 「亀山殿」 を寺に改めて 「天龍寺」 を創建したとの事です。

   (「「後醍醐天皇」 は幼少期を この 「亀山殿」 で過ごしたそうです)

   (「天龍寺」 西方の 「小倉山」 が その姿が 「亀」 に似ている事から 「亀山」 と呼ばれ

   「天龍寺・山号」 の 「霊亀山」 も、これに因むとか)

   「無窓国師」 は 堂宇建立の資金調達の為に 「寺社造営料唐船・貿易船 天龍寺船」

   を仕立て 「中国・元」 と交易し 康永二年・1343年には ほぼ七堂伽藍が整い、落慶

   法要が 「後醍醐天皇七回忌 康永四年・1345年」 に行われた。

   しかし度々の火災・・・・延文三年・1358年 貞治六年・1367年 応安六年・1373年

   康暦二年・1380年 文安四年・1447年 応仁元年・1467年 (「応仁の乱」) の六度

   の火災に依って焼失・再建が行われ、更に 文化十二年・1815年にも焼失し、そして

   元治元年・1864年の 「禁門の変 (蛤御門の変)」 での被害によって、現存する伽藍

   の多くは 明治時代後半以降の物になってしまったようです。

 

   「勅使門」

   桃山時代に建立された京都府指定文化財 (寺内最古の建物です)

 

 

   「別院塔頭」 が左右に並んでいますが

   「等観院」 と 「永明院」 (恵比須尊神・夢地蔵尊) を覘きまして・・・・・。

 

 

 

 

 

   「法堂 (Dharma Hall 選佛場)」 (寄棟造・浅瓦葺・単層)

   元治元年・1864年の 「禁門の変・蛤御門の変 兵火」 で焼失後、明治になって江戸

   後期建立の 「雲居庵禅堂・選佛場」 を移築した 「禅宗七堂伽藍」 の一つで 「住持が

   仏に代って衆に説法をする場所・説法堂」

   「鈴木松年」 が描いた天井画 「雲に乗る龍図」 は 平成9年・1997年の 「法堂 移築

   100年・無窓国師650年遠諱記念事業」 として 「加山又造」 が描いた 「八方睨みの

   雲龍図」 とされ、今日は 「特別公開日」 だが・・・・・間もなく 終了時間でした。

   (雨が強くなってしまい、「曹源池」 に伺う事も断念致しました)

 

 

 

   「八幡社」 (天龍寺総鎮守社・天龍寺十境の霊庇廟)

 

 

   「庫裏」 

   (明治三十二年・1899年に建立された 「七堂伽藍」 の一つで 「台所兼寺務所」 の機能、

   「方丈・客殿」 と 棟続きです)

 

 

   「京都伏見 月の桂・京都にごり酒の会」 の開始まで少し時間が在るな、如何しようかな?

   「あれ? 雨が小降りになった、じゃあ 『紅葉の名所・天龍寺塔頭 宝厳院』 で 『獅子吼の

   庭』 を駆け足で拝見してきますかな。